2、始まりと成れの果て
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この国の歴史を簡単に説明するなら、建国から王の血統が二回変わっている。
一度目は百年前。当時の公爵家の造反により、その当主が王へと成った。
二度目は、現在の新ニスカヴァーラ王朝へ変わった三年前だ。
その新王朝が建つきっかけと言えば、私が思うにおそらく十年前の小競り合いからだろう。
当時、国が傾いていく中、民のために立ち上がった人間がいた。それが初代王朝ニスカヴァーラの血統、つまり私の夫であるリクハルドである。
今の国王である彼は当時、自分が初代王朝の人間だとは知らなかった。本人もきっと、没落した貴族家が、辺境伯家の援助で暮らしているぐらいに思っていただろう。
当時はまだ名前も短く、リク・ニスカという平凡な少年だった。
そんな彼の最初の一歩は、騎士崩れの盗賊団に苦しめられる村を救うことだった。
「辺境伯様、どうか彼女の……リトヴァの領地に蔓延る賊を討伐するために、お力をお貸しください!」
十五歳になり成人を認められた彼は、辺境伯である父にそう申し出た。
とある村を救うために、兵を貸してほしいと。
当主である父の辺境伯も悩んだ。
「しかしなリク。そこにいるリトヴァ殿の領地は我が辺境伯家の隣といえども、他の貴族の寄り子だ。下手に手出しをすれば、侵略だと受け取られる可能性がある」
善良な父としては、手を貸してやりたい。
しかし他領は他領だ。兵を出すには問題が多すぎる。
それに正直、ニスカヴァーラの血統を守っていたのは数代前の義理だ。当時の主家であった王家の傍系の娘を引き取っただけに過ぎない。
その後、公爵家だった現王家による王座簒奪が起こり、王国の主が変わった。
今更その傍系の娘を引き渡す気も起らず、そのまま自家の親戚としただけだ。
「辺境伯様、どうか!」
「そうは言うがな、リクよ。隣国の間諜の姿も見え隠れしておる。うかつに兵たちを動かす時期ではないのだ」
十五歳になった青少年の訴えに、父は悩んだ。
確かに近隣の領地に賊が蔓延っているのはよろしくない。国は乱れているし領内の治安も悪くなる一方だ。
一つの村を救うため。国境に巣食う盗賊団を倒すため。理由は納得できる。
しかし相手は騎士崩れ。おそらくはそこに他国の間諜も混ざっていよう。更には他領の貴族の支援も受けているかもしれない。
ゆえに一筋縄ではいかないはずだ。
簡単に手を出すのも躊躇われる。
だが現実問題として、そこに自分の騎士と兵を貸すというのは難しい。
答えとしては、否しかない。
父を説得したのは、私だったのを覚えている。
「お父様、リトヴァ殿の領地を助けるのは、正しい判断だと思います」
「フリージア?」
「現在の王国は、予断を許さない状態。欲望にまみれた王族、我が国の崩壊を狙う悪しき隣人。私たちの辺境伯領とて、無事に済みません。そこに住む民なら尚更。ですから、正しいことをいたしましょう」
私の言葉に、お父様は小さなため息を吐いた。
娘が何と言うか予想していたのだろう。
反対の言葉を紡ぎ出される前に、私は言葉を重ねる。
「調整は私がいたしましょう。そちらのリトヴァ殿の主家に赴き、手助けできるように交渉します。悪い取引ではないはずですし」
「だが、問題はそれだけではないぞフリージア」
「もちろんリクも我が家に縁あるもの。目付が必要なれば、私が参ります。賊に勝てぬと見れば撤退させましょう」
「まあ……隣接したうちを通り越して入り込んだ隣国の間諜、そこからの挟み撃ちは面白くないな」
私の助言に悩むお父様を見て、リクはもう一度深く頭を下げる。
「辺境伯様、どうかご一考を! 姫様の言う通り、無辜の民が虐げられるのをこれ以上、黙って見ているのは我慢なりません!」
そう強く怒りを見せる彼……幼馴染のリクがどう成長したのかはよく知っていた。
武芸も達者で、賢者というほどではないが目端が利く。人望もあるようで、よく仲間たちを引き連れて治安維持に赴いていた。
「手遅れになる前に偵察するだけでも違うでしょう」
「……まあよかろう。兵五十を貸す。リクよ、無茶はするな」
私の再度の念押しに、父は折れた。私がいれば無茶な行動は抑えられると見たのだろうと思う。
……なぜ、私が彼と共に動いたかといえば、自分が持っていなかった動き出す勇気を持っていたからだ。
今考えれば、父もまた何かのきっかけ、つまり最初の一歩を欲しがっていたのかもしれない。
私はリクを、その一歩を持っている人間だと思った。無謀でも何でも良い。物事を正す無謀なら、賭けてみたかった。
こうして決まった隣領での小競り合いの結果は、リクの戦術による大勝利である。
しかも賊の中には隣国の間諜も混ざっていたのがわかり、更には自国の貴族も我が家を害そうと手を伸ばしていたこともわかった。
判明した事実から考えれば、未然に自領への被害を防ぐことができたのだ。上々の成果だ。
だが、この戦いはその後の大乱へと続くプロローグであり……ニスカヴァーラ王朝の復興史の一ページ目だった。
こうやって振り返ってみても、リクの活躍は英雄の歩みそのものである。
近隣の悪逆たる貴族との小競り合いから戦争が始まり、この国の民を救うという目的を掲げて内乱が始まる。
我が辺境伯家は私が前面に立ち、陰になり日向になりリクハルドを支援していった。
その動きは周辺諸国を巻き込み、仲間を増やし、リクはやがてリクハルド・ニスカヴァーラという名になった。
サウスヘラス王国が、新ニスカヴァーラ王朝サウスヘラス王国となったのだ。
王朝成立から三年、今ではリクハルド英雄記として、民にも多く親しまれている。
◆◆◆
馬鹿な、という言葉がどこかから聞こえた。
「な、何を言っている、フリージア……あなたは」
声の主は、他でもない国王だった。自分で突き付けた死刑だというのに驚いている。私が受け入れるなんて思いもしなかったに違いない。
「何度も申し上げたでしょう、陛下。あなたの言葉はこの国で絶対であると。そして簡単に覆してはならない。それは腐敗の始まりだと」
「だが……しかし……」
ちらりと右側に並ぶ妃たちの一人を見る。つい先日まで私の邪魔をしてくれた妃の一人が、一歩後ずさった。視線の意味がわかったからだろう。
「わ、私は……」
情けない声を上げた女は、第三妃ラールカーナだ。他国の姫であり、隣国と旧王朝軍との一大決戦の後に、敗戦国から寄越された供物とも言える姫だった。
彼女は中々に強かで、最近では出身国との交易で、サウスヘラス王国がやや不利になる条件を締結するよう進言していた。
リクハルドは自分の妃に甘い。私以外には、という但し書きがつくが。
もちろん、ラールカーナだけではない。
先ほどのリトヴァの他にも、リクハルドを憎からず思っていた昔からの仲間のほとんどが、要職についている。女性でいうなら私を含め八人全員がだ。
要するに我が新ニスカヴァーラ政庁は、後宮と混ざり合った場所なのだ。
決して正しい状態ではないが、それを良しとするリクと討論するのも、もう疲れた。
「ふ……フリージア……あなたはそれで良いのか……?」
国王ともあろうお方が、何とも情けない声を出す。昔の癖なのか、私のことをお前ではなく「あなた」と呼んでもいた。よっぽど動揺しているのだろう。
顔を見上げれば、そこにあるのは、信じられないものを見ているという彼の顔。
――私が見出した輝きは、すっかり失せてしまったようだ。濁った権力者の目へと変わってしまっている。
「構いません」
「だが、あなたが求めるなら!」
「覆す必要を認めません。何なら今すぐそこの女を正妃に取り上げると良いでしょう」
私がいた場所に座る女を見れば、ようやく我に返ったようだ。
第二妃リーナが汚い悲哀の表情を浮かべ、
「陛下、悲しいことですが、ご本人が望まれるのです……」
と泣き崩れる真似をした。
私の死まで求めていなかったはずだけど、正妃という言葉に欲望が理性を凌駕したようだ。
彼女はおそらく私が邪魔だったのだ。何せリクとの付き合いでいえば、私と彼女は同じぐらいで、私は彼が即位するまで主筋の人間だったのだから。
この茶番は、そんな私を煩わしく思った彼女と、彼女を養女とした公爵家の企みと思われる。もっとも、私の死までは求めていなかったでしょうけど。
しかし彼女も随分と変わったものだ。リクの幼馴染であるだけの村娘だったというのに、今では公爵家の養女で、第二王妃だ。
もちろん外見もそれに相応しい姿に変わった。内面が元から腐っていたのかどうかは知らないけれども。
ふと問題の公爵を見れば、やはり彼は私の死まで求めていなかったのか、養女に対し何やら首を横に振っていた。リーナの方はそれを敢えて無視しているようだけど。
「だ、だがリーナ、私は何もここまでは」
ぐるりと謁見の間を見渡せば、一番狼狽えているのはやはり夫であり国王であるリクハルドのようだ。まあ、他も似たり寄ったりのようだけれども。
二の句を繋げようとした王を止めるように第二妃リーナがしなだれかかる。
「陛下、罪は罪です。何より正しかったフリージア様に対して、国王陛下が法を曲げる方が侮辱と言えましょう……」
ふふっ、笑える。
その私の正しさが嫌いだったくせに。
大きなため息を吐いたリクハルドは、玉座に深く腰掛けて天を仰いだ。
「……ひとまず判決は私が預かる。それで良いか?」
自身が出した判決のくせに、何を言っているの。
「なりません。速やかに処刑を行いください」
「だから、何故、あなたは!」
「理由は先ほど、陛下御自らおっしゃったではありませんか。第二妃リーナを殺そうとした罪と」
「違う! そうではない! なぜ死のうとするのかと聞いている!」
そんなもの決まっている。
疲れたのだ、私は。
私が伴侶としたリクは、すでに死んだも同然。
虐げられる民を思い、公平を愛し、苦悩しながらも戦い、国を良くしようとしたリク。
彼は王となり絶対権力者となった。昔から隙が多かったけれど、私が横にいれば、まだ防げた。
しかしどんな因果か、彼は私の反対側に与することが増えた。
周囲にいる古くからの仲間たちもそうだ。結局、権力によって腐った。
自身の立場を良くするため、王の寵愛を得るため、より高い権力を手にするため、暗闘を続けているのだ。
王の前に立ち塞がり私の助命を請わないが、何よりの証拠だ。
彼女たちもわかっている。
仲間だった人間の争いを調停し調整を続ける正妃。それがいなくなれば、大変なことになることぐらい。
だが止めない。
正妃がいなくなることで起きる新たな争いと、それにより得るものを天秤にかけ、必死に考えているのだろう。
ああ、本当に彼らはあっという間に腐ってしまった。
「では逆に聞きますが陛下、この裁判紛いを起こした本当の理由は?」
立ち上がり背を伸ばして彼を見据える。
「……それは」
理由はよく知っている。
最近、彼は私の愛を試すことを楽しんでいたのだ。
本当にくだらない。
「私が泣いて縋るだろうと思いましたか?」
「ち、違う! す、少しばかり困らせ……い、いや、増長していたように思えて……」
「増長? 私が?」
「伴侶たる私に構わず、仕事ばかりだったからだ! 事実、貴方との間に子も生せていない!」
何を馬鹿なことを。
玉座について三年。つまり私が王妃となって三年だ。
私に未だ子はいない。他の妃や公妾たちは皆、一人二人生んでいる。
仕方ないだろう。体質もある。それに私は忙しいのだ。寝る間も惜しんで、国を安定させるために働いていたのだ。
「残念です」
「ならば!」
「残念なのは、陛下です」
「……何だと?」
「もう良いでしょう、陛下。リクハルド陛下! 私を処刑なさいませ! これ以上、貴方に付き合うのは、耐え難い苦痛だと申し上げているのです!」
私の言葉に、リクが目を見開いた。苦悩が怒りへと変わっていく。
「そこ……までか」
「ええ」
「そこまでなのか、フリージア!」
「もはや、どうでも良いのです、陛下のことなど。私は早く楽になりたい」
正しきを目指した私たちの戦いは、正しさとは全く無縁の元へと辿り着いた。
考えれば当たり前なのかもしれない。
権力とは無縁の人間たちが、大きな苦労の果てに巨大な権力を得てしまった。安寧と汚泥が混ざるには、充分すぎたのだ。
変わらなかったのは、辺境伯家の人間だけだった。元より大きな力の使い方を心得ていた。
……理解していたのは、私たち辺境伯家の人間たちだけだった、ということね。
だから、その終着点として、決して王に対する忠言などせず、何も言わずに消えてやりたかった。
「……良かろう。明後日、王城前の処刑場にて、斬首とする」
明後日というのは、それまでに私が考えを覆すための期間だろう。そして、国王自身が冷静になるための時間が必要と考えたようだ。
「それでは陛下、これにて失礼いたします」
私は人生で一番美しいお辞儀をする。
顔を上げる。目線は玉座の上にある、新ニスカヴァーラ朝サウスヘラス王国の旗。
さようなら、私たちの理想の正しさを目指した国。
「連れていけ!」
お別れすらまともに言えないのかしら、リクは。
そんな益体もないことしか思いつかない。
こうして、私は彼の視界から去ったのだ。