地球最後の小説
CPUの熱暴走を防ぐ無数のファンの作動音だけが反響する地下室で、とあるプログラムが長大な文字列をディスプレイに表示してゆく。文章による創作の歴史が、スーパーコンピュータの中で静かに終わろうとしていた。
名作、凡作から駄作まで、あらゆるジャンルの小説のあらゆるヴァリエーションが世に出尽くし、新人作家が何を書いても意図せぬ盗作や剽窃を指摘される時代。作家志望者は国際機関が公開している全世界著作物データベースをヴァーチャルアシスタントに高速検索してもらい、執筆中の自作品が著作権保護法に抵触していないかどうか確認しつつ、使用済みの表現と表現との間を縫うように作業を進めるのが当たり前だった。ひとくちに小説といっても、総文字数が多い作品ほど内容に無数のヴァリエーションが生じ、人類に可能な創作表現は地球が滅亡するまで創作し続けても網羅しきれないはずだったが、各国が総力を挙げて執筆プロジェクトに取り組むようになってからは、言語がもつ表現可能な物語のストックの枯渇が急加速した。先進諸国のスーパーコンピュータが核攻撃にも耐えうる地下施設で書き連ねているのは、今や無意味な文字列にすぎない。文学的に価値のない小説をなぜ書き続けるのか?内容に意味など無くとも金もうけの役には立つからだ。
著作権は著作物が完成した瞬間から発生する。世界に先んじて著作物を手に入れてしまえば、あとから同じものを作った他国や企業や個人に対して多額の使用料を請求できる。あらゆる小説は言語として意味が通らなくても詩的価値はあるのかもしれず、また意味が無いということ自体が文学的価値を持つかもしれない。無意味な小説も作品と呼べるのなら、あとは作品を創作するコンピュータの性能勝負だ。各国の保有するスーパーコンピュータが絶えず他国の著作権用小説を分析しては自動的に重複部分を提訴しつつ、未使用の文字列の確保を急ぐ。他国から請求されている使用料と自国が請求している使用料とのバランスが秒単位で変化し、大金が動くさまは“著作権戦争”とも形容できた。国家規模で行われている訴訟合戦には個人ではもはやついてゆけないので、何であれ著作権侵害のおそれがある文章を世に出す際には、「良いお天気ですね」「ごきげんいかがですか」といった手紙一通のレベルから、あらかじめ国に著作税を支払っておくしかないのだった。世界のどこでもそうするのがスタンダードであり、今さらそんなことに疑問を抱く者は誰もいなかった。
こうした国際競争が加熱する中で、真っ先に使い果たされたのがアルファベットによる文章表現だった。同じ内容の小説でも他言語ならば翻訳したものとみなすことができるので、執筆プロジェクトの標的は各国の方言や少数民族が使う言語へと向かい、現代では使用されていないものの解読は可能な古代文字にも向かい、きわめて種類の多い漢字による小説の網羅をも達成した。そして、おそらく地球最後の小説となる作品こそ、多言語を用いる混成作品だった。
完成しつつある世界最速のデータベースは、執筆中の一編を除いて、表現可能なあらゆる文章を、すなわち、あらゆる言語のあらゆる文字と記号とが並びうる、あらゆるパターンを含んでいるはずだ。意固地になって手作業でデータベースを読んでいる文学者もいるが、そういう連中には「このプログラムに執筆できない作品があることを数学的に証明してみせろ」と言ってやればいい。複雑に見える結果であっても単純なアルゴリズムから作り出せるということ、理屈さえ理解すれば生のデータなど見るまでもないということが、“人間の自由な発想こそ創作の根源”と盲信する数学音痴どもにはまるで分かっていない。
ディスプレイへの文字列の出力が止まった。この瞬間、以後現れるすべての文章が単なる模倣となり、新たな創作は今後一切、完全に不可能になった。
小説は、終わった。
……かに思われた。
数億年後、太陽系外からの電波が地球に届いた。その信号は発信当時の人類向けに英文の形式をとり、文面は次のようなものだった。
“銀河連邦政府が定める汎銀河著作権保護法に基づき、地球人が行った多数の盗作と剽窃に対して使用料を請求する”
以下にはメソポタミア神話から完全没入型ニューロ・ドラマの脚本まで、あらゆる著作権侵害の実例と、それらのオリジナルとされる汎銀河文書が延々と列記されていた。人類は自らの意思に関係なく、電波という形で作品を宇宙空間へ垂れ流し続けていたのだ。そして二足歩行のサルどもがちっぽけな脳みそと電気のおもちゃを使ってひねり出した素人小説など、太陽系の誕生以前に銀河のそこかしこで何もかもすべて執筆済みだったのである。
小説は、始まった時点ですでに終わっていた。
さらにこのあと、人類は音楽と絵画と映像に対する膨大な請求書を受信することになる。
おわり