高飛車皇女は黙ってない
「そんなのおかしいです!」
可憐な、だがしっかりと響く少女の訴えが、学園の中庭に響く。
「ジル様にだって自由があるはずだわ。恋に落ちること、人を愛すること、好きな人と添い遂げたいと願うこと、それってとっても自然なことでしょう?それなのに責め立てるなんて。酷すぎます。」
ストロベリーブロンドのふわふわした髪を振りみだし、可憐な少女は涙ながらに訴える。
彼女は最近話題の男爵令嬢だ。平民の女性を愛人とした男爵家当主の娘で、母親の死と同時に男爵家に迎え入れられた。この世界ではどこにだって転がっている話だ。
それなのに多くの人に注目されているのは、彼女の小悪魔的な振舞いのせいだ。市井のマナーを貴族社会にも持ち込む彼女は、男性への距離も近い。コロコロと変わる表情も魅力的なのだとか。
甘く、儚い砂糖菓子のような少女。
手が届きそうでいて、抱きしめようとするとスルリと逃げる。
相手のコンプレックスを絶妙に見つけ、包み込むように癒してしまう。
どんな話でもキラキラと瞳を輝かせ、続きを期待するように見上げてくる。
あざといと誰もが気付く分かりやすさ。それなのに学園にいる高位貴族で見目の良い者を中心に彼女に熱をあげている。
そんな彼女のぱっちりとした琥珀色の瞳からは、次から次へと大粒の涙が溢れている。
周囲で見守る貴族令息令嬢たちは、大衆演劇のような陳腐な台詞を言っているはずの彼女に、思わず「そうだ!」と共感してしまいそうになる。
可愛さの暴力が酷い。
可憐な少女の横には彼女を守る聖騎士かのごとく、この国の第三王子が立つ。輝くブロンドに湖面のような水色の瞳。分かりやすいほどの王子様キャラではあるものの、だからこそ舞台を見ているような気持ちで見守れる。
「ララ、君はなんて愛らしいんだ。」
そう言うと、感情が溢れたとでもいうようにぎゅっと彼女を抱き締めて、髪に軽くキスを落とす。
馬鹿みたいな台詞ではあるものの、外見が完璧な王子の口から出るものだから、なんだか不思議と甘い気分にさせられてしまう。
「ジル様!私、ジル様には幸せになって欲しいんです!!」
「クリスティーナ。この愛らしさの一かけらでもお前にあれば。」
第三王子であるジルベルトは、目の前で真っ青な顔をしてたたずむ公爵家令嬢のクリスティーナを睨みつけた。視線の冷たさに驚きつつも、彼女は手を握りしめて必死に耐えているようだ。
「クリスティーナ様、ジル様はー。」
パンパンパンパン
第三王子と可憐な男爵令嬢、そして敵という配役を与えられた公爵令嬢という陳腐な芝居に周りも飽きはじめていたころ、後ろのほうから空気を引き裂くような破裂音が聞こえた。
それと同時に、芝居を見るために壁のように取り囲んでいた貴族令息令嬢の一部分がサッと一本の道を作り上げる。
「2階席から観ておりましたわ。最初は少し刺激的でワクワクしたけれど、どうにも陳腐でつまらない。この脚本、どなたが書き上げたものかしら?」
ゆったりとした心のこもらない拍手をおくりながら、一人の少女が群衆から姿を表した。
群衆の中の一本の道からゆったりと出てきたその少女は、明らかに他の者と雰囲気が違っていた。
腰まで届くほどの長さがある波打つ黒髪は、どこまでも深く艶めいている。豊かな黒髪に縁取られた肌は対照的に透き通るような白さで、陶磁器のような隙のないキメの細やかさだ。
長い睫毛は頬に濃い影をつくり、ぷっくりとした唇は官能的な赤。
女性ですら跪いて愛を乞いたくなるほどの妖艶な美しさをたたえた少女がそこにはいた。
圧倒的な存在に、野次馬はもちろんのこと当事者たちも固まってしまう。そんななか、一番最初に覚醒したのはストロベリーブロンドの男爵令嬢だった。
「あ、あなた突然出てきて何なんですか!?」
真っ先に言い返してきたのが男爵令嬢だったことにほんの少しだけ驚き、黒髪の少女は艶やかに笑った。
「あら、先ほどのあなた方のお話はお芝居だったのではなくて?大丈夫。わたくし最初から観ていてよ。」
「私たち真剣なお話をしていたんです。邪魔しないでください。」
さっきまではぽろぽろと涙を流しながら訴えていたのに、今は強気で噛みついてくる。間違いなく彼女はこの芝居のスターだ。
「あら、わたくし耳がおかしくなったのかしら?ベル、わたくしの耳は大丈夫かしら?」
黒髪の少女の呼びかけとともに、ベルという従者がどこからともなく現れる。
「姫、こんな恥ずかしい舞台に引っ張り込まないで下さいよ。お耳は先ほどまで何の異常もございませんでした。今も正常かと思われますよ。」
どうやらこの従者は日ごろから苦労をしているようだ。
「ああよかった。耳がおかしくなったのかと不安だったわ。ではそちらのストロベリーブロンドのご令嬢。ララさんだったかしら?先ほどあなたが言った言葉、あれはあなたの気持ちということかしら?」
「先ほどの言葉?恋や愛をジル様だって自由にすべきだって言ったやつですか?」
その言葉に黒髪の少女は思わずといった雰囲気でクスリと笑う。
ララは制服の肘のあたりをひっぱられたような気がするも、目の前の黒髪の少女と対峙することに必死で気付くことができない。少しでも冷静になれば、彼女の大切な王子や敵役である公爵令嬢の真っ青な顔が見え、異変に気付けたかもしれない。
「まさかそんな。恋や愛はどうでもかまいませんわ。添い遂げるとおっしゃっていたように思うのだけれど。」
「ええ、添い遂げる相手を周りが決めてしまうなんて、そんなのあんまりです!」
「それはジルベルト様が第三王子殿下だと知っていて、そのようなことをおっしゃる?」
つんつんと肘をひっぱる力が強くなっている。それを振りほどくようにララは体をゆすって感情を爆発させた。
「もちろん知っています。私この半年間、誰よりもジル様のおそばにいたんですもん。」
婚約者のいる男のそばに半年間も侍る。大胆な浮気宣言にもかかわらず、周りはそんな些末なことを気にする余裕がなさそうだ。
「あら、国家反逆でも企てているの?」
クスリと笑う少女の美しさと、口からこぼれた不穏な言葉があまりにもかけ離れていて、その落差が野次馬を恐怖に染める。
「え?どういうことですか?私は愛のはなー。」
どうでも良い言葉をこれ以上聞くのは面倒だ。つまらなさそうな顔をした黒髪の少女は、持っている扇子でクイっとララの顎を持ちあげて、物理で口を閉ざさせた。
「おだまりになって。」
冷ややかな言葉は圧倒的な支配者としての声。ザワザワと見守っていた野次馬も、公爵令嬢も、王子も、そして男爵令嬢さえも口を閉ざす。
「王族に自由をと訴える。王家の婚姻政策に口を出す。あなたは貴族と王族が支配者側にいる、この国の体制に一石を投じたいのでしょう?この国の仕組みを根幹から否定する。革命でも起こすのかしら?」
気丈にもララはまだ何かを言いたそうに口を動かすも、顎クイは継続中である。
「王族の婚姻政策、あなたは必要ないと思っていて?今隣国が攻めてこないのは、現王の妹姫が側妃として嫁いでいるから。この国ではなかなか小麦が育ちにくいのをご存知?北の農業大国から優先して小麦を輸入できるのは、第三王子殿下の一番上の姉上が嫁いでいるから。ララさんが学園で使っているノート。その製紙技術を取り入れるためだけに先々代の第三王子は小国へと王配として婿入りしたわ。」
顎の下にめり込む勢いで扇子をあてられているララは苦し気だ。顔色が悪くなってきたところで解放する。
彼女はゲホゲホと咳こみながら俯いている。
「ねえ、王族は自由に婚姻を結ぶべきかしら?」
「ゴホっ。それでも誰かの犠牲の上に国が成り立つというのはおかしいです。」
「なるほど。あなたは男爵家のご令嬢だったわね。」
「はい。それまでは市井で暮らしていました。」
「ララさんの男爵家は商売などはされていなかったわね。領地収入で生活を支えていらっしゃるのね。領地収入は領地で暮らす人の税がメイン。それって誰かの犠牲の上に男爵家は成り立っているのではない?」
「でもそれって、貴族だと普通では。」
「ええ、領地収入をメインとする貴族は確かに多いわ。でも、だからこそ貴族は領民を守るのでしょう?物理だけではなく、経済面や精神面まで幅広くね。そして、領民を守る一つの手段が婚姻でしてよ。おわかり?」
しっかりと馬鹿にした様子で、黒髪の少女は上から尋ねる。
「それ以外でも方法はー!」
「ええ、方法はある。領地同士で協力して軍事力を高めましょう、その結びつきとして領主の子どもの婚姻が使われることがある。でも、逆に言えば結果として軍事力が高められたなら婚姻という形にこだわることは無い。」
そこまで言うと、今までララの方に向けていた視線を第三王子へと向ける。
「ですので殿下。本気で恋や愛に現を抜かしたいのであれば、全力で何かしらの成果をあげるべきでしてよ。公爵家の令嬢と縁を結べば手に入る膨大な利益やコネクション。それらに負けないものを提示するだけの漢気が無いのであれば、こんな小芝居に付き合うのはおやめなさい。」
黒髪の少女が美しい顔で睨みつけると、青を通り越して真っ白になった顔で王子は震える。
「もしくは王族や貴族といった身分制度を撤廃する。これなら婚姻政策自体が成り立たないわね。あら、もしかしたら第三王子殿下は男爵令嬢を間諜として使い、革命を起こすおつもりでしたの?」
少女の威圧感を雰囲気だけではなく風として感じているかのように、王子はじりじりと後ろへと下がっていく。
バス!!
じりじりと下がり、薔薇の生垣にめり込みかけた王子の顔の横に豪奢で繊細な細工が施された扇子が投げナイフのように突き刺さる。
「キャッ!!」
さすがにこの悲鳴は王子であっても甘い声には聞こえないようで、周りはげんなりとした顔をした。
「あなたのためを思う乙女が頑張っておりますのに、後退するなど嘆かわしい。恥をお知りなさいな。」
ふうとため息を吐く。
荒ぶる心を一度落ち着かせ、再度ララの方向へ体を向ける。
「それで、まだ王族や高位貴族でも自由に婚姻すべきとおっしゃる?」
「......。それでも私は恋や愛を捨てるなんておかしいと思います。」
ララは睨みつけるようにこちらを見る。王子などよりよほど肝が据わっている。
「政略結婚に愛は無いとおっしゃるの?」
「無理やり結婚するんでしょ?愛なんて持てないわ。」
「政略結婚といっても無理やりとは限らないのだけれど、まあそれは良しとしましょう。ララさん、夫婦の間に愛があったかどうかなんて、人生の終わりまで観察しないと分からなくてよ。そして聞きたいのだけれど、恋をして結ばれても、人生の終わりまで愛し続ける夫婦も少ないのではない?」
「真実の愛ならずっと変わらないはずよ。」
「それは少女小説などであれば喜ばれる展開ね。でも現実的に考えて、心のバランスが不安定な少女時代と結婚したばかりのころ、子どもができる時期、老いに焦る時期、長い人生の中では状況も感情も大きく変わるのだから、愛も変化するものなのではなくって?」
ララは何かを言い返したいのに言葉が出ないようで、苦しそうな表情を浮かべている。
「それにあなた、何か勘違いをしているようだけれど自由恋愛をしているのなんて一部の都市にいる若者だけでしてよ。住民の少ない農村の少女は血が濃くなりすぎないために、会ったこともない隣の村の人間と結婚することもよくあるわ。パン屋の美しい娘が小麦粉を扱う商家へと嫁ぐ、そんな政略結婚だってある。」
「う、うるさー。」
「おだまり。ララさんよくお聞きになって。わたくしあなたの気骨のあるところ、とっても好きよ。」
高圧的な態度からの誉め言葉。思わずララの頬が赤く染まる。
「あらあら可愛らしい。でもね、ララさん、覚えていらして。学園は平等とはいうものの、貴族社会の縮図でもある場所。あなたが多くの目があるなかわたくしに強く反発すれば、あっという間にあなたやあなたの家族は窮地に立たされる。」
ゾクリとするような妖艶な笑顔で残酷な言葉を紡ぐ。
「ヒッ!!」
心を強く持ち続けていたララも、そろそろ限界をむかえるようだ。
「ララさん、誤解しないで聞いて頂戴。わたくし、あなたのように男性に可愛がられて生きようとするその姿勢、尊敬しているの。これは珍しく皮肉ではなくってよ。」
先ほど生垣に突き刺した、ほんの少し曲がった扇子を無理やり広げながら、黒髪の少女は微笑む。
「庇護欲をそそるその容姿を最大限にいかした振舞い、お見事とすら言える。でもね、そんな生き方では王子妃は難しくってよ。」
「私は王子様のお嫁さんになりたいわけじゃー」
それ以上は聞きたくないという意思を示すように、自分の扇子でララの口元を隠してしまう。
「お馬鹿さんは嫌いよ。」
一気に零度の声色に変わったことで、ララは顔を青くさせる。
「第三王子殿下は血税をすすって生きる王族。殿下本人と王子という肩書を別で考えるなど許されなくってよ。第二王子殿下はお身体が弱く、公務を請け負うことが難しいと言われておりますわ。だからこそ、第三王子殿下は王弟としての役割を強く求められる。そんな王子妃となるのであれば、他国の要人などが来た際に困らないように数か国語学びたいところね。貴族令嬢としての立ち居振る舞いはもちろん、ダンスや食事のマナーなども最高レベルが求められる。あなた、そんなにも堅苦しい生活の中、愛だの恋だのを忘れずに過ごすことができて?」
あらためて王族に嫁ぐことの現実を突きつけられ、もはや華憐な少女の仮面をぶん投げたララはぐっというくぐもった息を漏らす。
「厳しい教育を短期間で詰め込む。そんな日々が続くと第三王子殿下と会える機会もそこまでないかもしれなくてよ。もちろん王族へと嫁ぐのであれば、今までのように気軽に市井を散策などできないでしょう。あなた、そんな生活想像できて?」
現実が脳に少しずつしみ込んでいく。そしてそのたびに、ジルベルトの妻としての理想だった生活が輝きを失っていく。
「王子妃になるのであれば、簡単につけこまれないように表情を隠すように教育される。そして王族として国民を守るため、一人で立つことを覚えさせられる。予言するわ。そうなったとき、あなたの魅力は失われる。」
まるでララの最大の味方であるかのように、黒髪の少女は優しく耳元で言い聞かせる。
「コロコロと表情を変え、可憐で庇護欲がそそられる。貴族令嬢としては絶対に見せてはいけない涙まで、武器として使うことができる。それだけの魅力を王子妃という息苦しい生活の中で捨てるのは、お馬鹿さんのすることよ。」
語り掛けるような言葉に、ララは縋り付くような顔で見上げてくる。
「ねえ、あなたの可愛さをそのままに生きたほうが、楽しい人生が送れるのではなくて?そうね、おすすめは商家や力のある男爵家、子爵家あたりかしら。あなたのその程よい性格の悪さと可愛らしく見える振舞いがあれば、ある程度の男であれば手玉にとれるはず。婚約者がいる殿方は、手に入れてもきっとまた他の女性を見るからやめておきなさいな。」
自信たっぷりに語られるものだから、まるで黒髪の少女が未来を見通しているかのように感じてしまう。その証拠にララは瞳の中に黒髪の少女しか入れず、熱心に見続けている。
「あなたの可愛さは鋭い武器になる。その武器が使える戦場で戦うの。おわかり?」
聖母のような優しい微笑みでララに語りかけると、顔を真っ赤にしてぶんぶんと頭を縦にふった。
パンパンパンパン
「皆さん、これで小芝居はおしまい。楽しんでいただけて?そろそろ休憩も終わるころ。解散いたしましょう。」
その声を合図にララと野次馬たちはその場を後にした。
「ところでクリスティーナ様?」
黒髪の少女が思い出したかのように公爵令嬢に声をかける。
「ひっ。ご無沙汰しておりますクローディア様。」
黒髪の少女の正体を正しく知るクリスティーナは青い顔を下げ、淑女の礼をする。
「先ほどの小芝居ですが、クリスティーナ様は顔に感情を出しすぎですわ。プルプルと震えているだけならそちらの第三王子殿下にだってできるのです。この件は王妃殿下、王太子妃殿下にお伝えしておきます。」
クリスティーナはガクリとうなだれて、力なく頷いた。
「殿下。あなたもですよ。陛下と王太子殿下にはしっかり伝えておきます。」
まだ薔薇の生垣にめり込んでいる第三王子殿下もコクコクと壊れた人形のように頷く。
「そうそう、こちらの学園に留学してくることになりましたの。よろしくお願いいたしますわね。」
ニコリと笑ってそう告げると、気配を消していた従者を引き連れて颯爽と去っていった。
「姫、姫様。これほどまでに姫様のお手を煩わせずとも。」
従者のベルは、意外と面倒見が良い主人の顔を見つめながらそう言った。
「でも陛下や王妃殿下たちにもよろしく頼まれてしまったしね。まあ、恩が売れるときはしっかり売っておかないと。」
「たくましくていらっしゃる。」
可愛くてたまらないという甘い色を視線に乗せて、従者ベルはクローディアを見つめた。
「この学園もお馬鹿さんが多いようだから忙しくなりそうね。行くわよ、ベル。」
「平和な学園生活がおくれることを祈っております。」
「あら、わたくしは刺激が無いのは嫌いなの。」
そう二人は話すと、颯爽と歩いて行くのだった。
次の日、隣国であるグリーク帝国より皇女が留学してくるという話題によって、第三王子と男爵令嬢、公爵令嬢が繰り広げた小芝居の噂は一気にかき消されたのだった。