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Lament for U.N.O  作者: tetori
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エピソード 5

 松田。こいつはたしか科学者だった。

「…そうだ、松田だ。松田が――俺達で」

 裕二が呟く。俺と繋いだナルミの手に力がこもる。

 反対に、侑菜の手が離れる。とっさに手を取ろうとするが、空を切った。

 侑菜はふらり、と教室の隅に立っていた。

「…侑、菜?」

 様子がおかしい。でも梨香のそれとはまた違う。

 しばらく俯いていた侑菜は、ゆっくりと顔をあげ、こう言った。


「思い出した?」


 その言葉に、衝撃を受けた。一瞬で、全てが理解できた。

「…侑菜が――」

 理解できても、信じられなかった。


「侑菜が――オーエンだったのか」


 俺の言葉に、侑菜はゆっくり頷いた。

「思い出した?あの日々のこと」

 侑菜が問いを繰り返す。

「…ね、取り戻せたでしょ。記憶」

「…おい、侑菜」

 裕二が口を開く。けど、俺にやったように掴みかかって問いただそうとはしなかった。

「…聞かせてくれ。なんでこうやって俺達に思い出させた」

 オーエン――侑菜が思い出させた、あの日の――10年前の、記憶。



     *     *     *     *     *



 10年前。俺達は、研究所の中に閉じ込められていた。

 それまでは普通に生活していたのに、そいつの――松田のせいで、それは壊れてしまった。

《お前達は俺の実験動物だ》

 松田はそれを繰り返し言い、俺達に色々な実験をしていた。

 薬物を投与し、症状を調べる。傷をつけ、薬によって回復力がどれくらいあがるかを調べる。地獄だった。毎日が、苦痛だった。

 その場所には、松田と、7人の子供がいた。

 俺と侑菜、裕二、ナルミ、梨香。そして、あとの2人はすぐに――死んだ。いや、殺された。

 倫理的に認められない実験を、松田は秘密裏にやっていた。


 松田はクラシックと、文学が好きだった。狂ってはいたが、博識な人間ではあった。

 デスクの上には常に薬と本とCDが散らかっていた。「そして誰もいなくなった」も、そこにあった。

 作曲家の中でもベートーヴェンが、それもピアノソナタが好きだった。中でも特に好きだった「熱情」と「月光」が研究所では常に流れてた。


 カルテは白い部屋――実験室のデスクに置かれていた。

 投与された薬物、傷の深さ。色々なことが書かれていた。 

 部屋の赤い染みは、血の染みだった。

 そこで俺達は、地獄のような苦痛を味わい、悲鳴を聞き続けた。


 しゃらん、という澄んだ鈴の音色は、研究室で飼われている黒猫――オーエンがつけている、赤い鈴のものだった。

 オーエンは自由きままな猫で、松田が主人であった筈なのに、松田といるところを見たことが無かった。


《いいか、まずはこの廊下を抜けてこの部屋に入る。ここで排気口から、侑菜を逃がす》

《絶対成功させようね》

《そうだね、ぼくらの希望なんだから》

 俺達は、一番年下だった侑菜を逃すために協力することにした。

 侑菜が逃げてくれれば、きっと、助けもくる。そういう希望もあった。

 あのとき――最初に話し合ったとき、思い出しかけたのが、このときの記憶だった。

 このときも、裕二が場を仕切っていた。


《逃げて、松田が来る前に!》

《でも、みんなが》

《いいから行けって!はやく》

 途中で松田に気づかれた。

 松田は侑菜に薬のビンを投げつけたが、俺がかばって倒れこみ、侑菜に怪我はなかった。

 急いで部屋に入ったときの記憶が、それだった。



     *     *     *     *     *



 侑菜は何を望み、何のためにこんなことを思い出させたかったのか。

 梨香は恐怖から、身を投げ出した。梨香は思い出していたんだ、あの時、既に。

「全部、私の我侭なの。…ごめんね。でも」

 侑菜は一度目を伏せる。

「あの事件を、私は赦せない。あの後のことを、話すね」

 一呼吸おいて、ゆっくり目を開き、そう言った。

 ナルミの手にさらに力がこもる。震えている。

「松田は――あの後、自殺した。警察が来る前に、生から逃げた。その時――みんなの記憶を、消して」

 松田は薬物の専門家だった。科学の力で人を救うのが仕事だった筈だった。でも、あいつは誤った方向に歩いていた。記憶を消す薬くらい、つくっていても納得できる。

「混乱した私ひとりの証言ではまともに扱われなかった。研究所からは倒れてるみんなと、他の2人と松田の遺体が見つかった」

 俺達が願ったように、侑菜が逃げたから、俺達も助かった。

「――松田はね」

 侑菜の瞳から、涙が零れだす。


「私の、お父さんなんだ」


 戦慄。

「あの事件をきっかけに離婚して、私はお母さんに引き取られた。翌日には、実験室に閉じ込められたけど。古川は、母方の姓」

 そんな、そんなことって。

 侑菜はゆっくり歩いて、梨香の前で屈んだ。

「…四方田は、お母さんの友達の姓」

 その言葉が意味したものを、俺は、俺達は理解した。

「…じゃぁ、梨香は」

 裕二が小さく声を漏らす。侑菜が頷いて、涙が零れた。

「…そう、私の、お姉ちゃん。離婚のとき、引き取られたの。離婚するときに」

 ――この子は、どれだけのものを背負って生きていたんだろう。

「私が泣いてたとき。お母さんは私をもう人間として見ていなかった。悲しくて、泣いてたとき」

 父親は自分と姉と、他の子供たちを苦しめ。

「りょーくんが、私の前に現れた」

 母親は、自分を娘として見なくなり。

 そんな中で、記憶をなくした俺が現れて。

「嬉しかった。生きていてくれたことが。また会えたことが。でも、それ以上に――」

 言わなくても解る。苦しかっただろう、辛かっただろう。

 侑菜でなくとも、一人の人間が背負えるとは思えない。

「言えば、壊れるのがわかってた。だから、言えなかった。あの日のこと」

 もう、なにもしゃべらなくていい。解った、解ったからそれ以上、自分を苦しめないでくれ。

「みんなを集めたのは――壊れないように、互いに支えあって、みんなで乗り切ればいいと思ったから」

 俺は声を出せずに、動けずにいた。

 侑菜の瞳からは大粒の涙が溢れて、今にも壊れてしまいそうに見えたのに。

「でも、お姉ちゃんは死んじゃった。私の考えが浅かったかな…ごめんね、お姉ちゃん」

 侑菜は立ち上がり、部屋の隅まで歩く。

 くるりとこっちを向いて、話を続ける。

「――私は、限界だった。だから、支えてもらうしかなかった。でもその支えは私を刺し殺すようなものだった」

 支えは――俺は、なにも覚えてなかった。だから、侑菜を余計に苦しめた。

 俺は――無力だった。

「ごめんね、みんな。こんなこと、押し付けて」

「…侑菜は、いままで背負ってきただろ。誰も咎めはしない」

 俺が言うと、侑菜は安心したように微笑んだ。

「U.N.オーエンと名乗って手紙を出したのには理由があったの。1つ目は、松田のデスクの上に「そして誰もいなくなった」があったから。2つ目は、この猫――オーエンがいたから」

 侑菜は指を1本、2本と立てる。それはもう思い出した。解っている。あいつはその本が好きだった。猫にまで名前をつけるくらい。

「3つ目はね、私と、お姉ちゃんの名前の意味なの」

「…名前?」

 ナルミが頭の上に疑問符を浮かべる。侑菜は頷きながら3本目の指を立てた。

 侑菜。梨香。それが、どうU.N.オーエンと関係するのか。

「U.N.オーエンは、略さずに言うと、ユナ・ナンシー・オーエン。私の名前はユウナ。1文字取ると、ユナ」

 ――そういうことか。娘の名前にもつけるなんて、相当好きだったんだな。

「…梨香は?」

 裕二が問う。侑菜は無表情で答える。

「梨香のリの字はナシとも読める。ナシに付け加えて、ナンシー」

 娘2人と猫の名前、全部でU.N.オーエンの名前ができるようにしたのか。

「…あまり意味はないんだけどね。それでも、私達のことを、少しでも思い出してくれたら――って、思って」

 切実な願いだったのは、理解できる。自分はみんなを覚えているのに、みんな自分のことを忘れてるんだから。



 しばらくの沈黙。やがて侑菜がそれを破る。

「…りょーくん、さっき私に誰も咎めはしない、って言ったよね。」

「…ああ」

「でも、お姉ちゃんを自殺に追い込んだのは、間違いなく私の咎。私はその責任を取るよ」

 悲しげな表情に戻り、侑菜は何かを――粉薬を、飲んだ。

 ――まさか、この子は。

「侑菜ッ」

 ナルミの手を離し侑菜の元へと駆け寄り抱きしめる。微かに、アーモンドの香りが――。

「…りょーくん、今まで…ありがとね」

 それだけ呟いて、侑菜は目を閉じた。

 俺はやっぱり――無力だ。

「侑菜、吐き出せ、早くッ」

 叫んでも、侑菜は反応しない。侑菜が飲んだのは、間違いなく――青酸カリ。

「私が苦しんだ分だけでも、生きて、幸せになってね――」

 最後に小さく言って、侑菜の呼吸が――小柄なのに大量に嚥下したからだろう、すぐに――止まった。

「侑……菜」

 侑菜の身体から力が抜ける。ナルミはへたりと座り込み、裕二は机を叩いた。



 24時5分。俺達が10年前に希望を託して生き延びさせた少女の生命の灯火は、もう燃え尽きて。


 希望を俺達に返して、魂は朽ちてしまった。




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