エピソード 3
3
保健室にはデスクとベッド、ソファと身長計しかなかった。
「152cmか〜…いいなぁ、かわいくて」
女の子3人は身長を測って遊んでる(ちなみに侑菜は3年前から152cm)。呑気なもんだ。まぁピリピリしたって疲れるだけだけど。
時刻は22時44分。時間が余っている状態。することもないので、俺と裕二はソファに座っている。
「なぁ、結局オーエンは何者なんだ?」
裕二が俺に問いかけてくる。俺が知りたいくらいだ。
「知るか。化学準備室に集めては音楽室で「熱情」と「月光」を聞かせ、次は保健室?目的が読めん」
「それは同感だ。そもそも大切なものって何なんだ?」
それも俺が知りたい。
不意に、また。
しゃらん、という音を聞いた。
「どうした?」
急に振り返った俺を不思議に思ったのか、裕二が問いかけてくる。
「さっきから何回か、鈴の音を聞いてる」
「鈴?聞いてないぞ?」
空耳か?この状況のせいで幻聴でも聞こえるようになったのか。
「…あん?なんだ、あれ」
デスクの上。なにかが――ファイルがあるのに気づく。半透明のファイルが5つ。
俺は立ち上がってそれが何なのか確認しに行く。
「…これ」
「どうしたの?なにかあったの?」
侑菜が歩いて近付いてくる。
俺はファイルの1つを手にとって持ち上げ、ライトで照らして確認する。間違いない。
「カルテだ。俺達全員の、10年前の」
「…なんだって?」
裕二が眉をひそめてカルテを手に取る。それは確かに、俺達のカルテだった。
「なんでこんなもんが…?」
「わからない。でも、これは――」
10年前。俺の記憶が、抜け落ちてる頃。やっぱり、オーエンは知ってやがる。
「…いっ…」
梨香が急に声を上げた。
「梨香?」
「いやっ…」
様子がおかしい。顔色は蒼白。足は震え、後ずさる。
「梨香っ!」
裕二が梨香を支える。梨香はしりもちをつき、裕二にしがみついて震えている。
「どうした、梨香」「梨香ちゃん、大丈夫?」
それぞれが心配して声をかける。けど、梨香の震えは治まらない。
「ぁ…っ、あぁっ…」
目から生気が失われてる。どうしたんだ、一体。
ブツッ、とスピーカーが鳴る。ハッとして時計を見ると、23時になっていた。
『カルテをご覧になってはいただけたでしょうか?』
オーエンだ。こんなときに。
梨香の震えは激しさを増し、裕二の背中に回された手にも力がこもるのが見えた。
『次の指示です。これで最後。化学室に行ってください。そこであなたを待っているモノがいます』
待っているモノ。それは、オーエンなのか、そうでないのか。
『リミットは23時30分。お急ぎくださいませ』
さっきと同じような終わり方で放送が切れる。
また残ったのは、静寂。梨香の呻き声により崩されたそれは、音楽室のときのそれより遥かに嫌なものに思えた。
「…梨香、いけるか?」
俺は梨香にそう問が梨香は反応を示さない。
「…ゆっくりしよう、とりあえず。時間はあるから。梨香、深呼吸」
裕二が優しい口調で梨香を落ち着かせる。最初はなんの反応もしなかったが、次第に落ち着いてきたのだろう、深呼吸をし、大分落ち着いたようだ。
「…ごめんね」
梨香が弱々しくそう言った。この場にいる全員に対する謝罪だ。
「全然いいよ。もう大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。心配掛けてごめんね」
ふらつく足で立ち上がるも、すぐに倒れてしまう。裕二が支えて、再びゆっくり立ち上がる。
「無理すんな。周りの力を借りればいいんだ、頼れ頼れ」
「…ありがと」
裕二が梨香に肩を貸したままゆっくり歩く。
「行けるか?」
「大丈夫。急ごう」
静まり返った学校の中に、懐中電灯とランプを頼りに行動し始めてから1時間半が経過した。
時刻は23時15分。月明かりは木々や建物に隠れて頼りにならない。
俺は相変わらず両手に花の状態で、裕二は梨香に肩を貸して歩いていた。
「梨香、大丈夫か?」
後ろを振り向いて声をかける。
「大丈夫〜」
呑気そうな返事が返ってきたので、逆に気が抜けた。そのタイミングで。
「わっ」「きゃぁっ」「ひゃっ」
狙い済ましたかのように、地面が揺れた。地震だ。それも結構な震度の。
「侑菜っ」
侑菜がバランスを崩して倒れる。俺は反射的に左手を離して侑菜を抱きかかえ、庇う。
しゃらん、と、また鈴の音。
まただ。また。また、この感覚。前にも、こんなことが――。
《――げて、――が――に!》
《で――、みん――》
《い――って!はや――》
「いたた…」
揺れが収まった。侑菜を放し、起き上がる。
「大丈夫か?」
「お尻打った…」
俺がとっさに左手を離したせいでナルミが尻餅をついたようだ。
「ごめん、反射的に…」
「大丈夫?」
俺と侑菜がそれぞれ手を差し伸べる。いや、ほんとにごめん。
「いいよ、大丈夫。梨香ちゃん、裕二君、大丈夫?」
「大丈夫だ」
手をとりながらナルミが振り返りながらそう問うた。
裕二が返事をし、全員の無事を確認した。
「地震か…結構揺れ強かったな」
裕二が梨香に肩を貸しつつ歩いて近付いてくる。
「家の食器大丈夫かなぁ」
「あー…割れてそう」
ナルミと梨香がそんな心配をしているが、今はそんな場合じゃないような気がする。それに、さっきの既視感。
あれは、なんだったんだろう。あれも、10年前の時のなんだろうか。あの時も、誰かを庇って――。
「りょーくん?」
考え込んでいた俺に気づいて、侑菜が心配そうにこっちを見ていた。
「どうしたの?大丈夫?」
「…ああ、ごめん、なんでも――」
答えかけて、ふと思う。
なんでオーエンは俺達を集めたんだろう。それに、この既視感。偶然なのか?そんな偶然があるのか?
「…なぁ、みんな。1つ聞いていいか?」
「何よ、改まって」
もし俺の考えが当たっていたら、オーエンの目的がわかる。謎を解く糸口が見つけられる。だから、聞いてみる。
「10年前の記憶、あるか?」
俺の言葉に、全員が固まった。
「…どういう意味だ?」
「そのまんま。10年前の記憶が抜け落ちたりしてないか、って意味だ」
だれも言葉を発さない。
「…私の記憶、一部だけ抜け落ちてる」
ナルミがそう答える。
「私も、一緒。いつごろか覚えてないけど、10年前の記憶がない」
「私も」
梨香と侑菜も肯定した。じゃぁ、やっぱり――。
「俺にもない。けど、忘れてるとかじゃないのか」
裕二が1つの可能性を示す。
「かもしれない。でも、記憶が無くなってからの自分は覚えてる。あのときは、何日か前のことだったのに覚えてなかったのを覚えてる」
「…はぁ」
裕二は頭を掻き、ため息をつく。
「…それが何を意味するか、解るな?」
俺が問うと、裕二は頷いた。恐らく、全員がわかっているだろう。
「その抜け落ちた記憶の時間、俺達は一緒にいて、何かあったんだろうな」
俺は頷いて付け加える。
「オーエンが俺達を集めたのは、大切なもの――記憶を戻すためだろう」
そう考えると合点が行く。音楽室で流れた音楽に聞き覚えがあったのも、そのためだ。
「でもなんでそんなこと」
ナルミがそう呟く。
「目的までは解らない。けど、さっきの梨香を見る限り、その記憶はいいもんじゃないと思うぞ」
あの怯え方は普通じゃない。よほどのことが、俺達の身にあったんだろう。
「でも、思い出せるかもしてないのにそのチャンスを逃すのなんて」
「このチャンスを逃さなかったら別のチャンスを逃しかねないぞ?」
知らないことは罪だという思想もあるが、知るからこそ動けない人間もいる。どちらが幸せかは解らないけど。
「…それでも私は、逃げたくない。自分のことだから、向き合わなきゃ」
ナルミの言葉に、梨香が頷いた。
「…オーケー、とりあえずここで立ち止まっても仕方ない。判断はギリギリでやれるだろう。急ごうぜ」
化学室の扉は閉まっていた。鍵は開いているが、オーエンの言葉が本当なら、何者かが俺達を待っている。
全ての答えも、そこにあるかもしれない。
「…準備はいいか?」
時刻は23時25分。リミットには間に合っている。
裕二が全員に問い、確認する。全員が頷いた。裕二も頷き、扉に手を掛ける。
「…行くぞ」
勢いよく扉を開く。そして聞こえる、あの音。
しゃらん――。
化学室の机の上には、大量の、様々な薬が並べられていた。
「なんだ、これ――」
裕二が化学室に踏み入る。侑菜、ナルミもそれに続く。
「ぃゃ…っ」
小さい声が。
「…ぃゃっ…」
梨香の口から漏れた。
「いやああああぁぁぁぁっ!!」
耳をつんざく悲鳴。梨香の目からは大粒の涙が溢れ出し、生気が失われている。さっきより、ずっとなにかを恐れてるような――。
「梨香ッ!」
裕二の叫びでハッとする。梨香の姿は遠くに見えた。無我夢中で走ってる。
「裕二ッ!」
裕二は猛スピードで梨香を追いかけて走っていった。
「梨香ちゃん、裕二くんっ!」
「ダメだッ」
追いかけようとしたナルミと侑菜を手で制す。
「椋くん、追いかけないと!」
「ダメだ、ここで追いかけてバラバラになったら――」
しゃらん。
俺の言葉など必要ない。そう言いたげな鈴の――あの、鈴の音が。
はっきりと、聞こえた。
しゃらん。
また。また、聞こえた。化学室の、中から。
3人が、同時にその方向に振り向いた。そこには、いつのまにか居た。
俺達を、待っているモノが。