エピソード 2
2
唐突に、テレビの電源が入った。
時計を確認してみる。22時。手紙に書かれていた時間だ。
全員が振り向いてテレビに注目する。テレビには、女性の――いや、マネキンだ。口元が映されているだけだった。
『ようこそおいでくださいました。今宵は楽しい夜になりそうです』
流れたのは編集された声。聞き取り辛いが、テレビから流れてくる声はそんなことを気にもしない。
『私がU.N.オーエンです』
時折ノイズが混じり、聞き取り辛い音声がさらに聞こえにくくなる。
『さて、本題に入りましょう。この度集まっていただいたのは、してほしいことがあるからです』
「おいテメェ…」
「待って、これビデオだよ」
声を荒げた裕二を侑菜が抑える。裕二はチッと舌打ちし、机に腰を下ろす。
『なんでもないようなことです。難しいことではありません。私の指示通りに動いてください』
U.N.オーエンは淡々と喋り続けている。恐らく本当にビデオか、あるいは俺達が見えていない位置から指示を出しているんだろう。
『まず皆さんの行動範囲をこの学校の校舎内、及び中庭のみとさせていただきます』
U.N.オーエンがそう言った直後だった。カチリ、と窓の鍵が全て閉まる。開いていた窓さえも閉まっている。
この場の人間それぞれが焦りの表情を浮かべているのがわかる。退路は、断たれてしまった。
『それでは最初の指示を出します。3階の第二音楽室へ向かってください。リミットは22時15分。お急ぎくださいませ』
テレビの電源がプツリと切れる。現在22時4分。第二音楽室はここの真上だからそう時間は掛からない。が。
「どーすんだよ、もう逃げられねーぞ!」
窓の鍵をこじ開けようとしている裕二がそう叫ぶ。ガラスは叩いても割れない。強化ガラスだったのか。
「もしかして私達、ここで殺されるんじゃ…」
「…いっ、嫌よ!私はまだ死にたくない!」
「俺だってそうだ!死ぬのなんて真っ平御免だ!」
全員が混乱している。無理もない。けれど、このままでは駄目だ。
俺が声を出そうとした、瞬間だった。
「考えよう、どうするか」
侑菜が大きく、はっきりとそう言った。しばらくその場が無音になる。
「…少しだが時間はある。どうするか、考えよう」
沈黙を破り、俺は侑菜に賛同した。
「…お前らがオーエンじゃないのか」
言いながら、裕二が睨む。
「否定はする。が、立証する材料はない」
「じゃぁ信じられねぇな」
「こちらにもそれは言えるがな。だがさっきお前自身が言っただろう。疑ってもしょうがないって」
しばらくにらみ合うが、裕二が先に折れた。舌打ちをし、ため息を吐く。
「…チッ。埒が明かねぇ。考えるしかねぇな…。お前らもいいよな?」
「…いいよ」「うん」
全員が頷いた。とりあえず状況を確認する。
「オーエンは指示に従え、とだけ言ったな」「うん。まずは第二音楽室」「場所は?」「ここの真上だ。走れば1分かからん」
「なんでこんなことをしようとしたんだろ」「手紙には大切なものを取り返すため、って書いてあったね」「大切なものって何?」
机を囲んで全員で話し合う。なんでだろう。昔も、こんなことがあったような気が――
《い――か、まずは――を――けて――る。こ――で――から、ゆ――をに――す》
《ぜ――いせい――せ――ね》
《そ――ね、ぼ――きぼ――から》
――なんだ、今のは。懐かしいような、声。
「りょーくん?」
ハッとして、隣を見る。侑菜が心配そうな表情で覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「…大丈夫だ、心配するな」
侑菜の頭をなでて不安を払拭する。不安の残る表情で、侑菜は俺を見つめていた。
「…とりあえず、指示に従おう。互いの監視と安全の為に、絶対離れるな」
裕二が決断を下す。全員が頷きあうのを確認して、立ち上がる。
さっきの声が脳裏に浮かぶ。いつ、あんなことがあったんだろう。それに最後のは、俺だった――?
しゃらん。どこからか、鈴の音が聞こえた。同時に。
《そうだね、ぼくらのきぼうなんだから》
幼い自分のその時の声が、蘇ってきた。
22時12分。俺達は第二音楽室にいた。
第二音楽室は俺が通っていた頃から倉庫扱いだった。ここにあるのは殆ど使えないものだ。弦の切れたギター。音の出ないピアノ。故障したキーボード。
「ごめん椋くん。手、握ってていい?」
震える声でナルミが話しかけてきた。怖いのだろう。無理もない。
「構わんよ」
「ごめんね。やっぱり怖いから…」
左手をぎゅっと握られる。右腕には侑菜がしがみついているから、状況が状況でなきゃ両手に花。
ピアノに腰を掛け、時間になるのを待つ。
不意に、ポロン…と、静かなピアノの音が流れる。急に強くなり、また静かなリズムに、けれどすぐに激しく。変化の激しいこの曲は――どこかで聞いたことがある。
スピーカーから流れる音楽に耳を傾けつつも、警戒を怠らない。
「この曲…」
「ベートーヴェン…」
侑菜が呟いた直後に、ナルミの口から有名な作曲家の名が出る。
「ベートーヴェンのピアノソナタ…第23番ヘ短調「熱情」の…第一楽章」
その曲名も、どこかで聞いた覚えがあった。けど、思い出せない。
いつも流れてたような気がする。けど、どこで?
この曲が嫌いだった。けど、なんで?
8分ほどでその曲が終わった。すぐに、またピアノの音が流れる。
今度は、静かなまま流れる曲。この曲もまた――聞いたことがある。
「第14番嬰ハ短調「月光」の第一楽章…」
ナルミが曲名を呟く。そうだ、これもベートーヴェンのピアノソナタだ。
この曲もまた、流れていた。どこでかは思い出せない。ただ、寝るときは毎日これを聞いていた気がする。
演奏は4分で終わり、その後に残ったのは静寂。
不意に、しゃらん、という音が聞こえた。また脳裏に光景が浮かぶ。
狭い部屋に、布団が敷かれていた。
俺はいつも隅にいた。隣には、いつも――いた。誰かが。
「月光」が常に流れてた。寝るのには丁度いい音楽ではあったが、寝付けない夜も多かった。
それは――恐怖ゆえ、だったのか――?
もう、思い出せない。これはもしかしたら10年前――俺の、抜け落ちた記憶なのかもしてない。
思い出しつつあるのか。今更なんの意味もないのに。
「…ナルミはクラシック聞くの?」
「…え?ああ…」
梨香がナルミにそう聞いた。ナルミは歯切れが悪そうに答える。
「音楽家になりたくて勉強してたんだけど、お金がなくて――っていうか、親が出してくれなくて。家事手伝いして親に仕事に集中してもらって、なんとか出してもらおうとしてるんだけど…」
「…そうなんだ。ちゃんと夢があったんだね」
「でも私には努力が足りなくて。演奏――私はサックスやってたんだけど、あんまり上手じゃなかったから」
「それでも、羨ましいよ。夢があるんだから」
梨香は少しだけ悲しげな表情を浮かべる。そういえば俺にも明確な夢はないな。羨ましい、というのはわかる気がする。
ザッ、とスピーカーが音を立てる。全員が再びスピーカーに注目する。なにかわかるだろう。U.N.オーエンだ。
『演奏、お楽しみいただけましたでしょうか』
変わらず淡々と喋るオーエン。こいつは、俺の抜け落ちた記憶の頃のことを知っているのか?なぜこうも懐かしさを感じることをする?
『次の指示です。1階、保健室に行ってください。リミットは23時丁度。お急ぎくださいませ』
ブツッ、と最後にスピーカーから雑音が流れ、静寂だけが残る。
時刻は22時36分。保健室はここの真反対にある。ゆっくりできはするが、急ぐに越したことはないだろう。
「行くか?」
俺が問うと、裕二はすぐに頷いた。