ラグの過去
帰り道、馬上の会話もすっかり慣れた私は、ラグの懐でぬくぬくしながら、おしゃべりしている。
さっきまでの話について、私は念を押す。
「本当に研究塔の人と会っても、ラグは困らないんだね?もしちょっとでも、ラグが嫌なら別に会わなくても平気だよ?」
いつも、私のことを優先してくれるラグが、結構渋っていたり、ずっと関わらないように黙っていたことが気に掛かる。
「…気にさせて悪かった。」
ラグが深々とため息を付く。白い息が、長い間留まった。
「若い奴はそうでもないんだが、研究塔の古株の連中とは色々あってな、ミアがアイツ等から、俺の事を吹き込まれんじゃないかとちょっと思ったんだ。」
なんだと…。
「ラグの悪口なんて言う人は、大嫌いよ!話しなんて聞かないよ!」
ぶほーっと息を吐き出す。ラグは少し眉尻を下げ、私の頭をくしゃっとした。
「悪口…というより、言われたくないだけで事実なんだ。だから聞かれたくなかった。」
「嫌なら聞いたりしないよ」
だからそんなに不安そうな顔をしないで。
「いや、他のやつから話されるのはもっと嫌だからな。」
ゆっくりとした馬の蹄の音が、森の中に響いている。あたりは夕闇に包まれ、どんどん気温は下がっている。
いつもならば、少しでも早く、暖かい家に帰ろうと先を急ぐのに、今日はわざとゆっくり進んでいるようだ。
私は、ラグの話を聞く態勢になった。
「ミアは、ゲルーニャ湖って聞いたことあるか?」
「うん、ガンガルド共和国と王国の間に跨がる大きな湖だよね?国境の関所でもある。」
「ああ、門は当時からほとんど使われていなかったが、今は完全に閉じられている。」
…それは知らなかった。
「二十二年前、そこの門から魔物の大群が、王国になだれ込んだせいだ。…ゲルーニャ湖の畔にあった俺の村は、それで壊滅した。」
「え…」
驚いて声が出ない。ラグの声は穏やかなままだ。表情は私の位置からはわからなかった。
「俺は…夢中で戦って…、魔力が尽きたら手当たり次第に農具を振り回していた。
…気づいたら皆、喰われていなくなっていた。」
「誰もいなくなっても、魔物はなかなか減らなかった。王国の助けが来るまでの1年近く、俺はその村でなんとか生き延びていた。」
「いちねん…」
現状を知るのがそんなに遅れたんだろうか。
「なぜそれがラグの悪口につながるの?むしろ、王国軍の醜聞じゃない?」
「ああ、騎士団は魔物が怖くて近寄れなかったらしい。救助を要請する近隣の村人たちに急かされようやく動いたらそんな有様だったというわけだ。…醜聞を嫌ったのか、俺がその時生き残っていたという記録は、残されていない。」
そりゃあ、自分たちが怖がって近づけなかった場所に、子供がひとり生き残っていたなんて恥ずかしいだろうけど…腹立つな。
思わずムスッとした私の頭上に、ラグの苦笑が落ちた。
「…正直記録に残っていないのは、ありがたくもあるんだ。」
…なんで?
「俺は、その助けが来るまでは、魔物を喰って飢えを凌いでいたんだ。…ミアは、魔物を食べてはいけない理由を聞いたことがあるか?」
私は無言で頷く。
…『魔物を食べたら魔物になる。』子供でも絵本で教わるような、みんなが聞いたことのある話だ。
「でもそれは、お話しや伝説の類ではないの?」
「ああ、本当になったという話は聞いたことがない。ただそれは、実際に魔物を食べたやつが今までいなかったからだ。俺は貴重な例らしい。」
ははっ、と乾いた声でラグが笑う。
「…それで、研究等の人たちに、色々されたの?」
「そういうことだ。まるで実験動物だったな。嫌がって暴れれば、やっぱり魔物だ、とか言いやがるし、なにか方法を思いつくたびに呼び出されるんだ。『魔物じゃないのならそれを証明しろ』だとさ。」
だめだ…怒りで手が震えてきた。
「もうさすがに、呼ばれてないでしょう?証明はできたの?」
「…いいや、騎士団の幹部になった頃から、流石に簡単には呼び出せなくなっただけだ。『魔物であるという証拠は見つかっていないが、魔物でないという証拠もない』…それが奴らの結論だそうだ。」
「…塔ごと爆発させてやる…。」
「やめろ。せっかく俺がこれまでギリギリ耐えていたのに」
「なんで?なんでそんなに我慢したの?」
塔ごと爆破なんて、簡単だったでしょう?
「………俺自身が、一番、魔物ではない証拠が欲しかったんだ」
私はその時、初めて、ラグの素の声を聞いた気がした。
そのことに、なぜかひどく動揺した。
なんと答えたら良いのか、頭がぐるぐるする。
混乱のまま、まくし立てた。
「――ッ、そんなことで不安にならないでよ!
ラグが魔物でないって証明してほしいのなら、私が絶対してみせるよ!
魔物だって言うなら、人間に戻して見せる!戻らなくたって、ずっとそばにいる!だって、…ラグが魔物を食べて生き延びなければ、私は今頃森で野垂れ死んでいたもん!ラグが、私を助けてくれたのは、ラグが同じように苦しんだからでしょ!?」
何故か私の方が泣きそうになる。すると、馬から落ちないように添えてくれていたラグの腕に、突然強く抱き寄せられた。
「―――、ははっ、そうだな。ミアは、魔物化していたルナゲイルも食べたそうにしてたもんな。」
「そ、そうだよ、私だってあの時、もし食べれるものが魔物しかなかったら、絶対食べたもん。」
明るく言い切ってみせる。
「…やめておけ、死ぬほどまずいぞ。食ったらしばらく胸のむかつきが収まらないんだ。」
「そうなんだ………」
不意に沈黙が落ちた。なんとなしに前方へ視線をやると、森の木々の隙間から村の明かりが見えてきていた。
それにラグも気づいたのだろう。一言注意をする。
「ああそうだ、カイルにはこの話はするな。あいつは行商に出ていて無事だったが、家族を失っている。…騎士団を動かそうと頑張ってくれたのはカイルだ。」
そういえば、カイルも同じ村の出身だっと言っていた。
「…他では話さいよ。誰にも言わない。」
「そうか…。」
「研究塔にも関わらない。」
「それは良いんだ。さっき言ったみたいに、この話は極秘扱いだったし、だいぶもう昔の話だ。研究塔で関わっていたのは、今や皆ジジイだ。若い連中は知らないことだから、気にせず好きなことをやれ。」
そういったラグの声は、暖かく優しい、いつものラグの声だった。




