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4 病院の過去②

 最初の犠牲は、身動きの取れない、本当に弱った人々です。病床で横になっているしかできないのですから、手首から大切なそれをくすねられても抵抗できません。腕輪を奪われた末期の患者たちは、薬による救済の死を迎えられずに、苦痛に悶えのた打ち回りながら死んでいきました。

 腕輪を奪う人間もまもなく死期を迎える患者でしたから、医師からは薬による死が判断され、腕輪を奪った目的を果たしました。これが裏付けとなって、腕輪を巡る争いはだんだんと激しさ、醜さを増していきます。「選ばれし者」への憎しみが連鎖していきます。

 これが病院という空間でなければ、幾分マシだったのかもしれません。そのうちに、カネで売買する仕組みが生まれていたのではないでしょうか。もしそうなったのなら、少なくとも実力行使には至らずに済んだと思います。しかし、繰り返すようですが、先の短い人々、まして死に向かう人々にとって、カネを使った交換は無意味でした。

 暴力にも及んだ争奪戦は、病院をさらに荒廃させていきます。腕輪は腕の肉を削ぎながら強引に奪われ、奪われた者が暴漢に縋って懇願しようものなら、頭蓋骨を砕かれました。ところがその暴漢も、より強い者に殺されるのです。結果として一握りの強者が神からの救いを許され、ひと足先に天へ召されます。

 その後新しい患者が担ぎ込まれ、追加の薬がもたらされると、次なる「選ばれし者」が現れ、同じ殺戮が繰り返される――いつしか床板を屍が覆い隠し、死臭というより怪しげな霧となった何かが充満しました。

 本来管理されているべき生命の秩序など、跡形もなく崩壊していたのです。

 死人が死人を生むが如き惨状を、憎しみが憎しみを生む地獄を、医師や職員たちも黙って見ているわけにもいかず、テコ入れを図りました。院内の殺し合いを止めることができないと、薬の節約にはなっても、ゴミ問題が解決しません。増え続ける死体の処理に窮することになります。

 でも、真っ当な手段を思いつく上層部ではありません。ナースステーションのような見張りがあるだけでも随分違ったのでしょうが、悪い意味で真剣だった医師らは、腕輪を奪うメリットを打ち消す方法を本気で考えたのです。


 そこで敷地内に設置されたのが「刑場」でした。


 患者たちから適当に選出した者で「夜警隊」を組織し、腕輪の強奪の密告をさせる代わりに、薬の投与の優先権を与えました。密告という善行を積めば、望んだ死を手に入れられるのです。その夜警隊の密告を受けた犯人は、刑場で石打刑に処されました。石を投じたのは患者たちです。石打刑なら楽ですよ、絞首刑や凌遅刑に比べて手間がかかりませんし、銃殺刑のように資源を無駄にしません。

 こうして、腕輪を奪えば、薬による幸せな死とはかけ離れた、石打刑による醜い死が降りかかるようになりました。しかも、力で「選ばれし者」になることで集めた他の患者たちの憎しみは、石打刑によって発散されます。刑の執行が見世物として院内に娯楽をもたらしたとき、腕輪のために殺し合いをするメリットは完全に失われました。


 それで平穏を取り戻したのかって?

 まさか、笑わせないでください。


 改革の結果、殺し合いの質が変わったにすぎません。

 その目的は、腕輪の奪い合いから、怨念のぶつけ合いへと変貌しました。「選ばれし者」や夜警隊など、特権を握る者への嫉妬が次なる殺戮の火種となったのです。妬んでも叶わない願いはもはや暴力でしか発散されず、それに脅かされる者たちも、嘘や権力の濫用で対抗します。謂れのない密告を繰り返し、刑場送りにしました。

 刑の仕組みを生んでから、死人はむしろ増えたのではないかと想像します。

 他方、医師たち病院の職員が憎悪を浴びることはありませんでした。特権を与える諸悪の根源だとは、誰も思い至らないのです。それどころか、三つの権威を背後に、強大な権力者となって君臨しました――生から解放する救済者として、数少ない娯楽の主催者として、罪を裁く正義の執行者として。

 その権力に屈した患者――つまり、実力での奪い合いに敗れた者や、石打刑を恐れて暴力に踏み切れなかった者――は、別の方法で白い腕輪を手にしようと行動しました。重症患者から順に腕輪を与える、という権力側の建前を信じて、自らを傷つける行動に走ったのです。院内の別の者に頼んで身体の一部を切り落とすとか、自らベッドの上段やベランダから転落するとか、どうにかして自らを「選ばれし者」へと高めようとしました。結果は、言うまでもないですね。

 でも、それ以上の改革はありませんでした。

 権力を握った上層部にとって、自分たちの行いのためにかえって苦痛が増幅したことなど、さしたる問題ではありませんから。


 患者たちは煮えたぎる怒りを前に、本当に呪うべき相手を見誤ったのです。


 初めはごく自然でささやかな、それでいて切実な願いでした。苦しみ、痛み、悲しみながら死ぬことを恐れる気持ちだけでした。しかし、その希望がごく一握りの人間にしか許されないとわかると、願いは醜い憎悪と暴力へと変貌したのです。挙句、身勝手な医師たちの権力が火に油を注ぎました。より根本には、戦争を起こした為政者の罪があることも疑いありません。

 見た目にも醜い死体は、醜い憎しみが連鎖するごとに積み重なっていきました。

 やがて戦争が終わると、警察の取り締まりを逃れたい病院の上層部は離散しました。取り残された患者たちは、「安楽死」を含めた一切の治療を受けられなくなり、汚い感情を抱いたまま果てていきました。警察や軍が調べに入ったころには、おびただしい数の死体が山を作り、ひとりの生存者をも見つけることはできなかったそうです。




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