3 病院の過去①
偶然なのですが、私はかつてこの病院で起こっていた醜い出来事について、いろいろ耳にしていて興味があるのです。あなたは、ご友人からこのお話の一部を聞いた、というところでしょうか? 私はもう少し詳しく知っていて、実は、私が毎夜重い気分に見舞われる悩みとも、関係があります。
血生臭い話になってしまうのですが、できれば、あなたにもお話を知ってもらいたいと感じています。そうすれば、ほんのちょっぴり、私の胸がすくような気がするのです。
拙い語りになってしまうでしょうが、どうか、長い話にお付き合いください。
戦争をしていたころ、この病院――正確には、この病院の前身となる病院――には、傷ついた兵士や争いに巻き込まれて傷を負った民間人が集まっていました。
患者たちの容体は様々です。銃弾で腹を撃ち抜かれた者や、爆弾の散らす破片で内臓を貫かれた者、爆発の閃光で視覚や聴覚に異常を来した者、不良な拳銃のせいで何本かの指が吹き飛んだ者、地雷を踏んで膝から下を失った者――しかしこれくらいなら、まだ傷は浅いと言える側でした。倒壊する建物に下半身を押し潰されたとか、車に轢かれて骨も内臓も滅茶苦茶になったとか。悪いことに、不充分な衛生環境のために、傷が膿んでしまったり、身体の一部を腐らせてしまったりするケースも多数あったようです。
もはや感覚のひとつやふたつ失くしていて普通という有様で、戦地の惨状が与えるひどいストレスのために、精神を病んでいる者がほとんどだったとも言われています。
要するに、一生消えない傷を負い、健康な心身が二度と戻らないような患者が集う病院だったのです。命を失ってこそいなくても、命の終わりは目と鼻の先――生き永らえたとて、人間らしい時間などもはや望むべくもなくなった人々で、病院は埋もれていました。
人というより、ヒトだった何か、ですかね。
臭いや虫など、さぞひどかったことでしょう。
医者は死体を踏み越えて診察に回っていて、床板の上を歩いたなら、ぴちゃり、ぴちゃり、と音がしていたそうですよ。
さて、重症の者、末期の者を無尽蔵に生み出すのが戦争というものです。ただでさえ、いまの常識で考えるような手厚いケアなど期待できないのに、最低限の治療さえ、とうに需要が供給を超えていました。
だんだんと、患者を死なせて絶対数を減らそうという考えが浮上します。
とはいえ、簡単に殺していいわけではありません。ああ、もちろん、人道的な理由などではありません――死に瀕した本人の意思がどうとか、遺族がどうとか、そもそも命の崇高さがどうとか、そんな御託を並べられるのは、傷ひとつない腹を食べ物でいっぱいに膨らませているときだけです。頭数を減らせば医療がマシにできるとは誰もが考えましたが、殺したら殺したで困るのです。
理由はふたつ。
ひとつは、遺体の処理に困るからです。近頃でいうゴミ問題ですね。
もうひとつは、死なせる方法に困るからです。
方法なんていくらでも考えられます。生かす術を知る有能な人物こそ医者になれるのであって、死なす術は殺人鬼でなくても数限りなく思いつくでしょう。一緒に考えてみましょう――多くの方法は通用しませんから。
最初に思いつくのは、放置。放っておけば、多くの人は勝手に死んでいったでしょう。でも、それだとなかなか死なない人も居座って、病床が足りなくなります。病床の空きを作るために死んでほしいので、待ちきれません。
じゃあ、長くないだろう人間を刺し殺してはどうか。殴るでもいい、道具を使ってサクッと殺してみます。これもできません、だって人を殺せる武器なり刃物なりがあるのなら、戦場で有効活用されるべきですから。病院で使ってダメにしてしまったら、もったいない。
海に投げ捨ててはどうか。幸いこの病院の近くには海岸があります。ただ、そのせいで魚が寄り付かなくなったら困ります。魚を食べて暮らしている医者が飢え死にしてしまったら、元も子もありません。
では、どうしましょうか?
その道のプロ、医師たちはよく考えていました。
薬で死なせればいいと思いついたのです。
人を死なせるためだけに作られた薬を使えば、ほかの便利な道具や食べ物を犠牲にする必要がありません。薬を作るとか、薬を買うとか、コストはほかの方法より高くなってしまうのですが……この際ですから目を瞑りましょう。日頃仲良くさせてもらっている製薬会社や薬局の人たちへの感謝だと思うことにします。
薬なら簡単ですよ。さっと飲ませるだけですから、患者も逃げたり暴れたりしないでしょう? それに、飲んでから死ぬまでどれくらいの時間がかかるかは科学が証明していますから、死人の数や死のタイミングをコントロールすることもできます。
ええ、服用によって死を招くものは「毒」と呼んだほうが適切かもしれません。ただ、苦痛を伴わずに逝けることを考えれば、むしろ救いとしての「薬」と呼ぶほうが、私はしっくりくると思っています。
とはいえ、万能ではありません。
問題として「どう飲ませるか」が残りました。
あなたならどうしますか? 健康になる薬だと嘘を吐いて、喜んで飲むように仕向けますか? もちろん、その手もあるでしょう。でも、病院はその方法を採用しませんでした。すぐにバレてしまう嘘など、まったく虚しいものです。
代わりに「これを飲めば眠るように、安らかに、穏やかに、幸福に旅立つことができる」と宣伝したのです。満身創痍の心身で生かされる絶望に打ちひしがれていた患者たちは、泣いて喜びました。諸手を挙げて、その薬を飲ませてほしいと請い願いました。
はい、そうです。もう死ぬことにしか人生の楽しみがなかったのです。
ところが、ちょっと間引きするだけのつもりだったのに、あまりにも多くの希望者が現れたので困りました。死のうとしたのは、ほぼ全員だったでしょうね。先ほども少し言いましたが、薬は安くないですし、数に限りがあります。当然、全員を死なせる数を一度に用意できるはずがありません。用意できたとしても、次から次に送られてくる患者たちを考えたら、病院の財政は存立の危機に立たされてしまいます。
一度宣伝して希望者を募ってしまったものですから、これを引っ込めるわけにはいきません。しかし、末期の者から順番に並んで待つように、と指示したところで、誰が従うでしょうか? こと生き死にと直結することに関しては、人間は順番を守れません。
あら、理解できない顔をしていますね? あなたも私も、例外ではありませんよ。食事や睡眠のような、生命につきまとう欲求には勝てません。抑え込めても一時的です。睡魔に負けて、やるべきことより先に眠ってしまった経験は多々あると思います。まあ、ラーメン屋さんの順番を待つくらいならできるでしょうが、恋人との生殖は順番を待てますか? 無理ですよね。
話が逸れてしまいました。とかく、平穏な死への渇望は生半可ではありません。食欲くらいの欲望なら易しいもので、望んだ死を容易に得られる方法があるなら、喉から手が出るほど欲しいのです。そんな患者たちを宥めておくには限界があります。
医師たちの次の策は、沈黙でした。死にたい人間を募ったという事実を拒否したのです。隠蔽なんて高度な技術は必要ありません。「言っていない」と一点張りするのです。病院の頂点に立つ者がそう言うのですから、嘘でも何でも本当なのです。
患者の間引きをやめたわけではありません。もちろん殺します。人の集め方を改めただけです。方法は簡単で、死なせる患者に目印を付けることにしました。
末期の患者の手首に、白い腕輪を付けたのです。
医師たちは薬の存在を否定していますから、医師たちが主張して曰く、腕輪は「重度の患者」という意味に過ぎません。しかし、死に急ぐ患者たちは医師たちの建前を信用しませんでした。
腕輪をしている者は「安楽死」できると信じたのです。
患者たちの信じた「安楽死」がどの程度正しい意味だったのかはわかりませんが、死ぬに死ねない人間を、医者が与えてくれる素晴らしい薬が死なせてくれる、という幼稚な理解が出発点になったのでしょう。白衣を纏った神が救いへと導く神器を携えて、突如降臨したと思ったに違いありません。そして、その神器による救いは、神から与えられた白い腕輪を付けた「選ばれし者」のみが得られる――院内にひとつの神話が完成しました。
豚よりも醜い姿で生かされていた患者たちは、その救いに縋ろうとします。どうすれば「選ばれし者」になれるのか、考えました。医師の説明や目で見てわかる容態の違いなどから、その基準に薄々気がつく者もいたのでしょうが、目を閉ざしました。誰しも、世界で最も哀れなのは自分自身だと思っているので、自分よりも先に死ぬべき、自分以上に可哀そうな人間など認めません。
いろいろ都合のいい説明を考えたでしょうね。身分とか、カネとか、院内での態度とか。でも結局、難しく考えることはやめました。シンプルに「腕輪をしている者から順に死ねる」とだけ信じることにしたのです。
もう想像はできていますよね。
腕輪の奪い合いが始まります。