四話~道行く君へせめてひとつを~
超大型リュック+3
お日様のぼってまた沈んで、走って転んで泥まみれ。
そんな日々がちょっとだけ続いたころ、おじいちゃんがわたしを部屋に呼んだ。家では誰かが入ってるのをみたことない奥のお部屋だった、扉をあけるとぴりっと鉄のにおいがして、使い方もわからないいろんな道具がおいてあるお部屋だ。
たしか昔、おじいちゃんの家から出ていったおじいちゃんの子のお部屋だって聞いた、おじいちゃんの子ならセドラちゃんのお父さんだ、鉄を叩くお仕事をしていたってことみたいだけど、わたしは鉄のにおいは血に似ててきらいだ。あんなにイヤなにおいのものに囲まれて喜んでたんだからヘンなヒトにちがいない。
狼の子はおなじ狼だけどやっぱり狩りが下手な子とかがいたし、ヒトも鉄を叩くのが好きだったり畑をたがやすのが好きだったりいろいろ違った生まれ方をするんだ。もしかすると狼にほおずりしてころげまわるのが好きなヒトがいるかも、会ったらどうしよう、撫でてもくれるならゆるしてあげよう。
「レラさんや」
「あ、はい、はぁい」
はじめてみるものばかりに尻尾をぶんぶん回しながら夢中になって身体もぐるぐる回ってたものだから、おじいちゃんにまた呼ばれちゃった、はいは一回。お目々がちょっとまわって二本の足がふらっとしたところをおじいちゃんに支えられてぺたんと座ると、ちょうどおじいちゃんが目の前に置いてたおおきめのかばんと目線があった。
おっきいかばん、いっぱい道具がくっついてて、いっぱい何かが入ってる。
はっ、まさかおじいちゃんどこか遠くにでも行くのかな、でもそうしたらわたしが出ていったらセドラちゃんひとりになっちゃう。はっ…セドラちゃんを任せていけと申すでござるか、おじいちゃんはわたしにこの村で骨を埋めろと言うのであるか、わぅわぅ。
「レラさんのために」
「はいっ」
「旅の荷物をつくっておきました」
にゃんだって。
わたしはその瞬間、飛び出して急ブレーキ、かばんにしがみついておすわり。
たぶん生きてきた今までで一番速かったと思います。
「もらっていい!もらっていい!?」
「すてい、すてい」
「わぅわぅ」
ヒトのルールひとつ、だめといわれたことはしてはいけない。おじいちゃんが手をかざしてだめだめだめって言うものだから、わたしはぺたんとおすわりしておじいちゃんの目をきらっきらに見る。
夕ご飯のときとかこうしてるから、みんなはわたしのことを犬っぽいって言う。ちがいますわたし狼、シルバーファング、野を駆け山登るおおかみおおかみ。
わたしのお目々に耐えかねたのか、おじいちゃんがわたしの頭をひと撫でしてから手をおろした。
「これはレラさんにあげるよ、でもね」
「でもね、でもね?」
「いくつか教えたいことと、約束してほしいことがあります」
「なんでも、なんでも言って!!」
かばんを抱きしめ尻尾をぐるんぐるん、さあもう誰にもわたさないぞ。言え、言うのじゃおじいちゃん、どんな願いもどんなお勉強もすべてこなしてみせよう!そんなふうにおめめをまんまるにして、おじいちゃんの言葉をわたしは待った。
おじいちゃんはそれから、ヒトの世界で生きるために必要なことを教えてくれるんだって話してくれた。お勉強タイムってことかな。
ただヒトの世界で生きるためのルールとか、方法とか、ひつようなものとか、そういうのを全部教えるとすっごーーーく長くなっちゃうからきっとわたしは覚えられないんだって、だからおじいちゃんはわたしがヒトの世界で生きるために必要なことを、8個にみじかくまとめて教えてくれるんだっても言った。
それもはんぶんくらいにならないかな、わぅわぅ。
「人の世界で生きていくならいっぱいルールがあります。
でもたぶんねぇ、レラさんだとぜんぶがーって教えちゃうと覚えきれないだろうから……」
「あたまのよわいおおかみでごめんなさい、わぅわぅ」
「いいんだよいいんだよ、だからこの8つだけでも覚えてね」
「はっはっ」
おじいちゃんはやさしい、それに比べてわたしは…努力しなきゃ。
ねんごろがっておなかを見せちゃう。
一歩引いて、もいちど考え顧みて。
わかんなかったら媚びるのだ!
「じゃあひとつめ」
「はいはいはい」
「はいは一回」
「ふぁい」
おこられちゃった。
「まずそうだね…知らない人についてっちゃいけないよ」
「わたし最初おじいちゃんについてったよ?」
「まあこれは方便みたいなものだからねえ」
「わぅわぅ」
「何ができるか知らない相手に、どことも知らないところで襲われたらレラさんはどうする?」
困る、すごいこまる。
「そういうこと」
そういうことなんだ。
「じゃあふたつめ…危ないと思ったらすぐに動く、これが基本だねぇ」
「あぶない?」
「レラさんは狼だからかな、すごい直感に優れてるみたいだからきっとそのうちわかるとおもう。まずい!って思ったらすぐに逃げ出すとか、そういうことかな」
「あぶない、あぶない」
「じゃあみっつめ」
うんうんと考え出したわたしをちょっとだけ待って、おじいちゃんはそのまま話を続けた。
「わからなかったら人に聞く」
「なるほど!それでそれで!」
「それだけ」
「だけ」
それ毎日してるしこころがけてるよ!
もっとなにかないのかなおじいちゃん!
「都に行ったらきっとわかるよ、ちゃんと覚えておいてね」
「わかるんですか、わからせられちゃうんですか」
「いざっていう時に、人が頼れるのは人だけだからね、聞くだけタダ、ついてっちゃダメ」
どこかに行きたくて、こっちだよーって言われてもだめなのかな、わぅわぅ。
うぐぐ、はやくもあたまがこんがらがってきた。
「いっぱい説明を挟むこともできるんだけどそれだと流れちゃいそうだから…
短く短く切っていくのはごめんね」
「わぅ…」
「じゃあよっつめ、ここからは動き方より心がけの話になるかな」
心がけだね、わたしも毎日指のあいだまでお風呂であらうって心がけてる!
「よっつ、間違いは、間違いだって認める」
「お皿を割っちゃったら、割っちゃいましたってあやまる?」
「レラさんはかしこいねえ」
「うへへぇ」
ほめられた、ちょっと点数がぐぐぐって伸びた気がする。セドラちゃんも言ってたけど、わるいことをしたらちゃんと謝るって言われてるからちゃんと謝る、わるいことをそのままにしておくと、もっとわるいことが起こるんだって。
それはイヤ。
「悪いことをして、隠したりごまかすのが一番ダメ。
ちゃんと謝るんだよ、これは世界どこへ行っても同じだから」
「はいっ!」
「じゃあいつつめをちゃんと聞いてね、正しさだけが正しいとは限らない」
「???」
正しいことは正しいんだよね?正しさが正しくなくって…それはつまりお肉と思って食べたらお肉じゃなくってタロイモだったみたいなそれで…うぎぎ!あたまがもっとこんがらがってきた!おじいちゃんの言うことむつかしい!
ちょっとずつわたしの頭から煙が噴いてきたのがみえたのか、おじいちゃんがふふっと笑った。
「きっとレラさんが人の世界で行きていく中で、嘘をつかれることもあるとおもうんだ」
「知ってる、知ってる!嘘はついちゃダメ!ほんとのこと話す!」
「そうだね、レラさんはそれでいいとおもう。
けどもしレラさんが嘘をつかれて、それでいてそれで助けられた時には、
その嘘を許してあげてほしい」
「なんでー?ダメなことはダメなんじゃあないの?」
「人を幸せにする優しい嘘があるっていうこと」
嘘でヒトが幸せになる…うーん、ぷしゅー。
「人はときにね、本当のことを知ってしまうせいで深く悲しんだり、
あるいは怒っちゃうことがある。そうならないために嘘をつくこともある」
「わぅわぅ」
「レラさんを守るための嘘だったら、君は怒るかい?」
「うーん、うーん」
わたしを守ってくれるっていうことはいいヒトで、そんなヒトがいいヒトじゃないわけなくて、そんなヒトがつくウソだったら…えーっとえーっと…考えれば考えるほど頭がやっぱりこんがらがる、けどおじいちゃんが言うには正しいんだ。
そう思ってのみこんだ、もう喉がいっぱい。
「じゃあむっつめ。
……君の行先には、きっと困難が待ち受けている」
「うんうん」
「…それだけ、それでね…」
おじいちゃんが短く切り出して、それから何かを言おうとする。
まだふたつあるから、そこに続くのかな。
だからぺたん座りでなにかななにかなって待ってたんだけど、そしたらうしろの立て付けの悪くなった扉がぎゃぎゃぎゃって音をたてて開いたから、わたしもぎゃぎゃんってびっくりしてかばんの後ろに隠れちゃった。
セドラちゃんがおじいちゃんを呼びに来たみたいだった。
「おじいちゃん、村の狩人達が今すぐ人を集めたいって!」
「おやまあ…レラさんごめんね」
「だいじょうぶだいじょぶ!またおしえて!」
「そうだね、帰ってきたら教えてあげるからね。
道具の使い方とか、あと人の世界の基本的な…ルールとか」
そうだもん、時間はいっぱいあるからまた帰ってきたら教えてもらえばいいもん。
おじいちゃんは村でもなんだかえらーいヒトみたいだから、よばれたなら行かなきゃいけないよね。
正直に耳がぺたんこしてたけど、わたし狼ご主人待ちます。
ふたりを見送って、ちょっとさみしくなった鉄のにおいのお部屋。
ふとかばんを軽く噛んだ。
…まずかった、お部屋が落ち着かないのとかばんが気になるのと、おたがいをうろうろしながら結局、わたしはかばんをなごりおしく見送って扉を出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――村の付近の森にも、生態系というものはあるし生存競争は熾烈だ。
なかでも最近は食糧の確保が難しくなり、森の王者、シルバーファングですらも群れのすべてを養うことは難しくなっていった。そうなると行われるのが、間引きと言う名の群れからの追い出しである。
群れから追い出された一匹狼は大抵の場合そのまま野垂れ死ぬか、殺されるかしてやがてその身を土に、身体中のマナを大気中に還す。これは時間の問題であり、そもモンスターの性質が”生息域以外での生存を難しくしている”ということになっている。
モンスターという存在は、地脈から湧き出るマナをその身に吸い込み生きている。モンスターあるところにマナがあり、逆になければ枯れ果て死にゆくのみ。モンスターが生息域を容易に変えられない理由でもあり、ヒトと生存圏を分かつ最大の原因となっている。
そうなると群れをはぐれ、生息域を追われたモンスターが行うことはどうなるか?
それは捕食にほかならない、ヒトや通常の”動物”はモンスターに対し個体差あれど自らマナを生成する性質をもっている。ゆえにそこから奪い取るため、飢えたモンスターはヒトをわざわざ襲うようになるのだ、ヒトの存在はモンスターからすれば非常食であり、ヒトとモンスターが相容れない理由にもなっている。
今日また、森から追い出されたシルバーファングがその口を血に濡らしていた。
村から都へと延びる街道、その道中でひと群れの狼達が遠吠えをあげている。
勝利の咆哮で、その足下には血に濡れ腹を裂かれた人間ががむしゃらに彼らにつつかれていた。剣を手に革鎧を着ていたところを見ると、戦士としての訓練を多少嗜んだ人間だろうか。
巨大化しすぎた群れから追い出された彼らはふたたび彼らだけで群れを作り、そして生息域を移そうと画策していた。
だがその道中までの問題がある、当然群れを追い出される原因になった食糧である。彼らは次の生息域までを食いつなぐため、道中を通りかかった荷馬車を襲い食していた。
群れから食糧を提供されなかった彼らは歓喜し、生きていることに歓び吠える。だがそれは満腹になるまで止まるまい、荷馬車の護衛を殺し、馬の足を骨だけにしてもなお、荷馬車の天井で震える”ヒト”へと目を向け続けていた。
「なんで、なんでこんなに…!聞いてたよりも数が多すぎるんだよ…っ!」
森の近隣の村へと行商を行っていた行商人だ、彼は群れの襲撃、数の暴力によって護衛が殺されるのを目にすると、荷馬車の天井へと命からがらよじのぼりたいまつに火をつけて狼の接近を阻んでいた。
シルバーファング達も、なにも火だるまになりたいわけではないし飢えきっているわけではない、ちょっと休憩のついでに食後のデザートが欲しい程度だった。だから適度に脅かしつつ、そのヒトの気力が削がれ火が消えるのを待ち続ける。
余興だった、久方ぶりの腹の満ちたりを更に満たすための、ちょっとした余興なのだ。
ヒトの味を理解した狼たちは、籠の中のネズミを追い立てる遊びに興じている。
「ああ、天使様勇者様国王様…なんでもいいからお助けぇ…!」
情けなくも心の底からの声が天に届いたかは、誰も知らない。