◇引き裂かれた時間2◆
自分の部屋に戻ると、フィロメーナはぐったりとソファに座りこんだ。
いったいどうすればいいのだろうか、とはいえ、選択肢はそう多くない。
魔王を討ち果たした英雄を召喚した者として生きるのか、あるいは、セヴェリアを手放して……契約を破棄にするにせよ、姉に譲るにせよ、平凡な人間として生きていくかだ。
もちろんフィロメーナだってセヴェリアに生きて再会したいと思わなかったわけではない、ただ、今の彼と自分はもう、決して並び立つことがないほどに違いすぎるのだ。
「どうやら、私が居ないあいだにきみの交友関係にも変化があったようだ」
セヴェリアは相変わらず感情の薄い、ほぼ無表情でそう言った。
壁によりかかった彼に、フィロメーナは問いかける。
「セヴェリアさんはどうしたいのですか?」
残酷な問いかもしれないことは分かっていた。
それでも、一応、彼の意見を聞いておきたい。
「私はきみの剣となり盾となると、言わなかったかな」
「ですが今は、もう大きな戦いもありませんよ? 魔王はあなたが討ち果たした、もう、脅威はどこにもないのです」
「そうだろうか?」
彼の言葉に、フィロメーナは首を傾げた。
まだ、何か脅威になるようなことがあるとでも言いたげだ。
「魔王とは、なんだったと思う? フィロ。それはなぜ現れたのか、きみに分かるか? ディメリナから聞いているかと思ったのだけれど、そうではないようだ」
「分かりません……」
フィロメーナは何も聞いていない。戻ってきた姉はセヴェリアの戦死を嘆き、そして、フィロメーナには一言も、何も、与えることなく父にだけ何かを伝えた。
「あれはね、召喚されたんだよ。ああ、悲劇的な事故だ。だが、召喚されたということは、私と同じように、また誰かが召喚する可能性もあるということだ」
驚いた。まさか、その存在もセヴェリアたちと同じようなものだったとは。
召喚師が招くのはおもに霊と呼ばれる者たちだ、死霊、一応セヴェリアはこれに当たるだろう。精霊、妖精など、物理の目に映らない者たちだ。
「でも……そんなこと、滅多に起こらないでしょう」
セヴェリアと相討ちになるくらいだ、フィロメーナが彼を召喚してしまったのは、きっと彼が渡してくれた指輪が触媒の役割を果たしてしまったのであろう。そして、フィロメーナとセヴェリアの逢いたいという想いが重なったのだろうが、魔王と呼ばれたそれも、そう滅多なことでは招かれないはず……だ。
「そうかな? 私の勘では、そう遠くない未来にあれはまたやって来るような気がするよ、妄執とも言えるし、愛憎とも呼べる。そのときにきみを守れるのは、私しか居ないと思うんだ」
「……私?」
なぜ、まるで自分が狙われているかのような言い方をするのだろうか。
そういえば以前にも、セヴェリアはそういう言い方をした。
「あれはきっと私以外の存在では手に余るだろう。だからきみは私を手元に置いておくべきだ、そうすれば、私はきみを守ってあげられる」
「なぜ、私が狙われているような言い方をするのですか?」
ただの一般人、凡俗、そしてただの劣等生である自分。
フィロメーナの質問にセヴェリアは微笑んだ。
「さあ? なぜかな。フィロ、きみの胸に手を当てて考えたほうがいいかもしれないよ」
どういう意味だろう。
自分はそこまで死せる者、あるいは最初から人間ではないものの敵意を買うようなまねをしてしまったのだろうか?
もともとどんくさくて、とろい自分ならありえない話ではない。
「すまない、少し意地悪だったかな。そんな顔をしないでくれ」
そう言って、セヴェリアはフィロメーナに近づくとその頭を撫でた。
「きみが悪いわけじゃない。そう、きみが悪いわけではないんだ」
「セヴェリアさん?」
優しい声音に違和感を覚えた、奇妙な感覚だったが、それが何かまで分からない。
「だけどねフィロ、もしもきみが最悪の未来を避けたいのであれば……私をきみのものにしていてほしい、私はきみと一緒に居たいのだし」
「姉さんでは駄目なのですか?」
フィロメーナの問いに、セヴェリアは笑みを消して青い瞳を細めた。
「そんなに私をディメリナに押しつけたい?」
「お、押しつけたいわけではないのですが、セヴェリアさんは姉さんがあるじであるほうが、もっと力を発揮できるのではと……」
そう言うと、セヴェリアの青い瞳に翳がさす。
「……私はディメリナのものにはなりたくない。彼女の命令に従う気もない」
「それはなぜです? 姉さんは戦友でしょう?」
自分とは違う、優秀な、とても優秀な召喚師だ。
多くの精霊を使役する、立派な召喚師だ。
姉ならば、セヴェリアを他の精霊たちでサポートすることができるだろう。
もし本当にまたこの世が脅威に襲われるのなら、そのときセヴェリアの隣に居るのは自分であるべきではない。
「彼女は私にとって好感を持てる人間ではない。フィロ、契約破棄は受けいれないよ、私はきみのものだ」
「でも――」
ぐっと肩を押されて、フィロメーナは言葉を詰まらせた。
セヴェリアはフィロメーナの翠の瞳を見つめて、氷のような笑みをうかべる。それは有無を言わせぬ迫力があった。
「フィロ? これ以上駄々をこねるなら、私にも考えがある」
「……さきほど、あなたは、あなたが私のものだと言いました。でも、立場が逆であるように感じます」
実際にはフィロメーナがセヴェリアのものなのだ。
今だって、自分は彼に従うほかにない。セヴェリアが嫌だと言うなら、無理に姉に譲ることもできない。
「時と場合に寄るよ、きみがあんまりつれないことばかり言うからだ」
少し拗ねたようなセヴェリアの声に、フィロメーナは諦めの混ざったため息を吐いた。
「分かりました。今しばらく契約を続けましょう」
「ああ、そう言ってくれるのを待っていた」
そしてセヴェリアは、フィロメーナの頤を支えてその唇に自らのそれを重ねた。
拒む隙もなく、フィロメーナはただ翠の瞳を見開いている。
こうしていると過去に戻ったかのようだ。
そう、とてもなつかしく思う、遠い日の……まだ彼が英雄ではなく、フィロメーナが未熟な召喚師であった頃の。
◇◇◇
――なんということか、まさか、あんな最期を迎えるとは。
それは暗闇の中に居て、誰かが喚ぶのを待っていた。
もちろん、喚ばれたところで従ってやる気など毛頭ない、召喚師はただの供物にすぎない。
――あの男が、あの場所に居たとは。
真っ暗闇には光の一筋さえ射し込まない。そこに光はなく、闇だけが広がっていて、その人物の輪郭さえ分からない。
――だが次はない、あの男は死んだ。
くすくすと嗤う声が真っ暗闇に響く。
――ああ、今度こそ、今度こそ、手にいれるんだ……彼女を……「フィロ」を。
彼女はあの場所に居る、居ることが分かったのだから、今度こそ。
――緒に死のう、フィロメーナ。それできみは私のものだ。
――「帰ろう」共に笑いあった日々に。




