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昼休みの屋上はちらほら人が見受けられたが、混雑はしていなかった。空気はまだ冬のものであったが、真上に昇った太陽は暖かく照りつけている。
「思っていたよりも空いていて良かったですね」
と一緒にいる深雪が言う。桃香は深雪と一樹とひなたの4人でランチをする予定だ。
だが、昼休みが始まるやいなや一樹はファンに囲まれ、ひなたは行き先を告げずに大急ぎで駆け出して行った。
「桃香さん、ベンチが空いていますよ」
「本当だ、座りましょうか」
2人でベンチに腰掛ける。大きいベンチなので4人並んで座れそうだ。
「一樹さんとひなたさんもちゃんと来るでしょうか」
「古賀さんは分からないけれど、イツキは来ると思うよ」
ちゃっかり者だから、と続ける。
「桃香さんと一樹さんは出身中学が同じでしたっけ。二人はどんな関係なのですか?」
深雪はまっすぐ桃香を見つめる。その瞳は何かを期待しているような、どんな嘘も見逃さない獲物を狙うハンターのようであった。
「どんな関係と言われても……ビジネスパートナーであり、友達でもあるみたいな感じかな」
「ビジネスパートナー?」
「ええ、一樹と出会ったのは取材に行ったときなんです」
中学時代、新聞部に所属していた桃香は、部長から演劇部に期待の新人がいるから取材に行くように言われる。その期待の新人が一樹だった。一樹の口説き攻撃も『仕事』という意識がなかったら、恥ずかしさのあまり逃げ出していたかもしれない。実際、今でも時々一樹に「あの時は顔を真っ赤にしながらも必死に取材していて、可愛かった」とからかわれている。もし、『仕事』として一樹と会っていなかったら、仲良くなることはなかっただろう。
「そうなの、てっきり2人は恋人同士なのかなと思っちゃったわ」
「いやいや、女同士ですし」
確かに舞台衣装を着ている一樹は男に見えないこともないけれど。
「そういえば、深雪さんは文芸部に入るんでしたっけ」
「そうなの。文章を書くのが好きだから、文芸部がいいかなと思って」
うっとりとした表情で語る深雪。
「どんなジャンルの小説を書いているんですか?」
素直な疑問を口にする。おっとりとしたお嬢様らしい印象の深雪には童話や少女小説がぴったりだ。一樹をモデルにしたいというのも筋が通っている。
「百合小説かな」
「百合?」
百合って花の名前? 生け花やガーデニング関係の本だろうか。聞いたことのないジャンルである。どんな内容なのか詳しく聞こうとしたとき、屋上の扉が開いた。現れた人物がこちらへ駆け寄ってくる。
「ごめんごめん、遅くなった」
両手を合わせて一樹が謝る。髪が乱れていた。予想以上に抜け出すのに苦戦したのかもしれない。
「あれだけの数の人たちをどうやって出し抜いたんですか」
深雪の問いに一樹は演技モードで答える。
「それはね、僕に繋がった赤い糸が導いてくれたからだよ。おかげでここへ真っ直ぐ来ることが出来た。彼女たちの瞳では僕を迷わせることは出来なかったけれど、君の瞳を見つめた途端、帰り道を忘れてしまったよ」
「まぁ、それは大変だわ。早くお城に連絡しなくちゃ。王子が行方不明になって心配しているはずだわ」
深雪まで調子に乗っている。一樹の性格がなんとなく掴めたようだ。
それにしても、立膝をつく一樹とちょこんとスカートの端を持ち上げる深雪は、お似合いだった。衣装を着たら、本物の姫と王子だと錯覚してしまいそうだ。
そこへ、再び屋上の扉が開け放たれた。ひなただ。両手に大きな包みを抱え込んでいる。ひなたはふざけあっている一樹と深雪に一瞥もすることなく、フラフラとした足取りでベンチに辿りつくと、崩れるように座り込んだ。
「どうしたの?」
消沈した面持ちのひなたを心配して声をかける。一樹と深雪もただ事ではないと思ったのかひなたに駆け寄る。
「なかったのです……」
「何が?」
震える唇からやっと聞き取れるくらいの声で話す。
「クリームパンが、売り切れだった、のです……」
ひなたはこの世の終わりのような顔を桃香に向ける。相当クリームパンが食べたかったようだ。
「そういや、この学校の購買はかまどで焼いた焼き立てパンが美味しいって言ってる子がいたな」と一樹。
「はい、その通りです。わたしはそのクリームパンが食べたくてこの学校に入学したんです」
「ひなたさんは新入生代表をしていたということは学年首位なうえに、噂だともっと上位の高校も狙えたと聞きましたけれど、天才は考えることが違うんですね」
いやいや、クリームパン目当てで高校決めるなんて才能の無駄遣いでしょ、とツッコミを入れたくなったが、本気で落ち込んでいるひなたを見て、ぐっとこらえる。