前日譚 Case.7 赤飯
こちらは前日譚の追加となります。
前日譚は先輩彼女と後輩彼氏の二人劇で、本編開始前の時間軸になっております。
「キミはまたこんな夜中にゴソゴソと。一体なにをやってるんだね」
「あ、先輩。すみません。起こしちゃいましたね」
時刻は深夜。時計がてっぺんを回った少し後。
台所でがさごそという音を聞きつけて様子を見に来てみれば、予想通りキッチンの調理灯が申し訳なさげに細い光をまな板に落としている。
「トイレのついでだからそれはいいけど。なにそれ? 赤飯?」
「ええ。ちょっと小腹がすいちゃって。パウチのやつですけどそう悪くないんですよねこれ」
またこの男は。
一体どれだけ米を食べれば満足するのか。
もしかして彼の実家は白米を山盛りでよそってくるような、日本昔話風な食卓だったのだろうか。
「うんまぁ、言いたいことは色々あるけども。確かに便利だよねそれ」
「茹でてもいいし、レンチンだともっと簡単。災害備蓄品にもなるから常にストックも万全。最高の小腹対策ですよ」
「といっても、別にキミの小腹を満たすために置いてあるんじゃないんだけどね。それ」
いつもの彼のうんちくなんだか豆知識なんだかよくわからない掛け合いが始まる。
一度これが始まると結構長いんだけど、終わった後で眠気戻ってくるかなぁ?
「まぁそう言わないでくださいよ。これでもカップ麺は我慢したんですよ」
「うーん。カップ麺よりはマシなのかなぁ?」
確かに夜中のカップラーメンは罪悪感が半端ない。
あれは一体誰に向けて申し訳なくなるのだろうか。
明日の私だろうか。
カロリー消費、がんばれ明日の私。
「カップ麺はともかくカップ焼きそばはヤバイですよ。カロリー見たことありません?」
「そりゃもちろん見たことあるよ。カップ焼きそばってなんであんなにカロリー高いの。一個で500キロカロリー超えとか何なの? バカなの?」
「ああ、棚にあった大盛りでイカの入ってるやつですよね……。恐るべき高カロリー。ソースまみれだから当然ですけど、塩分も濃いですしね」
「ホントカップ焼きそばってなんであんなにカロリー高いんだろうね。前からずっと疑問だったんだよね」
前に一度ふと気になってラベルのカロリー表記を見てみたが、すぐに見たのを後悔したことを思い出す。
それ以降、食べる時はラベルはすぐに剥がして捨てるようにしている。
「俺が前に聞いたのは麺の量が単純にカップ麺より多いって話でしたけど。どうなんでしょうね」
「はい。ここに世界一売れてるカップラーメンがあります」
「出た。超定番。筒状で赤い商品名のあんちくしょうですね。日本国民で知らない人はいないでしょう」
そう。漢字二文字の世界一有名なインスタント食品メーカーの主力商品だ。
私は筒型のインスタントラーメンはこれしか食べない。
他社製品より数十円高いのはまぁ、広告料なんだろうなと思って諦めている。
「こいつの麺と具材のカロリーはどれくらいかな、と。うん、だいたい300キロカロリーぐらいだね」
「んじゃあこちらも。棚にあったイカの入ってる大盛り焼きそばです」
「わたし、そのチープなイカが好きなんだよね。麺はちょっと量が多いけど結構好き」
「えー、で、こいつの麺と具材のカロリーがだいたい700キロカロリーぐらいですね」
今なにか、聞き捨てならない数字が彼の口から告げられた気がする。
わたしが長いこと数字としては認識しても決して認めなかった、あの数字が。
「倍以上!? え、ちょっと待って? 待とうか。倍って言った? 今言ったよね」
「倍とは言ってませんが数字は倍以上でしたね。俺も衝撃的な結果にちょっとびっくり。てか先輩さっき自分でカップ焼きそばは高カロリーって言ってましたけど。知ってたんじゃないんですか?」
「知ってはいた。確かに見たことはある。ただ、それが実感として結びついていなかっただけだよ」
「それが今、結びついて驚愕していると」
「その通りだよ。え、なに、なんなの? このカップ焼きそば一個でカップ麺二個食べられるの? いや実際には食べないけども。え? 二倍?」
「数字上はそうなります。カップ麺の方は残った汁は捨てれば塩分摂取量も大分減らせますし、俺なら普通に二個食べられますね」
「がーん、だよ。今までちょっと麺多いなぁでも捨てるのももったいないしなぁって思って食べてた私は一体何なの?」
口では軽く言っているが、内心のわたしはそれ以上に驚愕している。
確か700キロカロリーってカツ丼と同じぐらいじゃなかったっけ?
それを……わたしはもったいないというだけで数百キロカロリーも余計に摂取を……。
「食べ物を無駄にしない、良い教育を受けてますね」
「それは確かにそうだけども! 捨てるのに抵抗あるのも確かだけども! でも! でもさぁ!」
「わかります。先輩達女性がどれだけカロリーと戦ってるかは俺も横で見ているだけですが、多少は分かります」
「だよね! わかってくれるよね!」
「でも、そこまで大騒ぎするなら、表記見て700キロカロリーってわかってるのになんで全部食べちゃうんだろうってことなんですよね」
「うっ……。それは……」
彼はたまに私の核心を容赦なく撃ちぬく。
多分彼の辞書には慈悲などという生ぬるい言葉は存在しないのだろう。
わかってる。私の意志が弱いだけなのはわかってるんだ。
でも、改めて指摘されると折れそうになる。こころが。
「先輩。そこまで気にしなくても、先輩は今のままで十分可愛いですし、俺は好きですよ」
「ううう……。キミが甘やかしてくれるのは凄く嬉しい。でもね、それに甘えてずるずる行っちゃうと、それこそ取り返しがつかなくなるとこまで流されちゃうと思うんだ。だから、この件に関してはあんまり甘やかさないでほしいな」
「先輩……。わかりました。じゃあこうしましょう。こういうのを食べる時は俺と一緒に食べましょう。残った分は俺が片付けます。それならいいでしょう?」
「だからぁ……もう。わたしは素敵な彼氏様を持てて幸せですね?」
ものすごい勢いで頭に登った血が、一気に下がっていくのを感じる。
彼はたまにやり過ぎる。
一周回ってかえって冷静になってしまったではないか。
ここまでしておいて夢を見させ続けてもくれないなんて、彼はなんて酷い男なのだろう。
「あれ? ここは感激して抱きついてくる流れでは?」
「キミはたまにあざとすぎるんだよ! ちょっぴりドキッとしちゃったわたしがバカみたいじゃないか!」
「うーむ。まるっきり効いていないわけではないのであれば、まぁいいかな。結構キメ顔で言ったんですけどね」
「わたしは騙されないからね! まったくキミはいつからそんな恥ずかしいことを臆面もなく言えるようになっちゃったのかな!」
「いやぁ、先輩の教育の賜物ですよ。喜んでもらえたなら良かった良かった」
うそばっかり。
私はそんな教育彼に施した覚えはない。
彼が勝手に覚えてやり返してくるだけなのだ。
決してわたしのせいではない。
「いつまでもそんなデタラメなことばっか言ってると明日の味噌汁に茄子入れるよ!!」
「うひ、からかいすぎた。すみませんもうしませんから茄子は許して下さい茄子だけは」
「いーや、気が変わったね。わたし久しぶりに茄子の味噌汁が飲みたくなったよ。たまにはいつもと違ったっていいよね?」
「いや……それはそうですけど。いつもは俺の好みに合わせてもらってますからね。そもそも俺なにか言えるようなことでもないですし」
「だよね! じゃあ、明朝が楽しみなうちにわたしは寝直すね」
途端にしょんぼりしてしまう彼に多少溜飲が下がったわたしは、この辺で話を切り上げて寝に戻ることにする。
「あ、じゃあ俺もそろそろ……」
「ん? なんでついてくるのかな? キミのベッドはあっちにあるよ?」
わたしは顔だけで振り返ると、背後のソファを指差す。
「……はい。今日は大人しくソファで寝ときます」
「ふんっ。よく考えたら茄子は今在庫切らしてたよ。仕方ないから明日はお豆腐とお揚げの味噌汁にでもしよっかな」
……味噌汁一つでよくそこまでしぼめるものだ。
明日の朝食が不味くなっても仕方ないので、そろそろ許してあげることにする。
「先輩……」
「勘違いしないでよね。豆腐もお揚げもそろそろ使いきっておかなくちゃいけないから使ってるだけなんだからね」
「……リアルツンデレ、だと」
「なにか言った?」
余計な一言をぼそりとつぶやく彼を、じろりと睨む。
「いえ、なにも」
「……おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
まったく。この男はまったく。