前日譚 Case.6 ゴミ出し
こちらは前日譚の追加となります。
前日譚は先輩彼女と後輩彼氏の二人劇で、本編開始前の時間軸になっております。
「はーいゴミ出すよ―。ぽいぽいしたいものはもうないかな?」
先輩がゴミ袋を片手に、部屋の中のゴミ箱やゴミ入れを回って回収している。
「あ、先輩待ってください。今からゴミが出るとこなので」
キッチンで作業していた俺は先輩に待ったをかけると、手早く終わらせるべく処理を続ける。
「秋刀魚? なんで?」
声をかけられてキッチンまでやってきた先輩が、俺の手元を見てはてなと首をひねる。
「なんでってことはないでしょう。朝食です」
「ああ、頭とワタ取るのね。わたしのもよろしく」
俺も先輩も頭とワタは取る派なのだ。
魚の生ごみはできるだけ残しておきたくないから、ゴミ出しの前日ぐらいを見計らって買ってくる。
「もうじき終わります。ちょっとだけ待ってください」
「はいはい。先に他のゴミ回収してくるね」
そう言うと、先輩は別の部屋のゴミを探しに旅立った。
「おし、取れた。後は塩を振って……と」
「できたー? そろそろ行きたいんだけど」
と思ったらもう戻ってきた。短い旅だこと。
「まとめてありますよ。よろしくです」
先輩に流しまで来てもらって、俺が袋の中に直接ゴミを投げ入れる。
最後にゴミの袋を縛ったら、出来上がり。
「ほいほい。んじゃいってきまーす」
ゴミ置き場はマンションの一階にある。
外国なんかじゃダストシュートなんて洒落たものがあるらしいけど、日本のマンションではみたことないね。
「立ち話はそこそこにしてくださいね。朝食が冷めるので」
「そうだね、誰にも会わなかったら叶うかもね」
「つまりありえないってことじゃないですか。しゃーない味噌汁から作っておくか」
なんでおばちゃん連中はああも朝っぱらの忙しい時間帯から世間話を始めてしまうのか。
やるなら九時以降にしてもらいたい。急いでる奴はもう居なくなってるだろう時間帯だ。
***
「ただいまー。どうだね、今日は早かったろう」
「誰にも会わなかったんですね。毎回こうだといいんですけど」
珍しく五分程度で戻ってきたと思ったら、このドヤ顔である。
「それは神のみぞ知るだねー」
「自主的に話打ち切ってきてくださいと言ってるんです」
「まぁ遅れそうになるほどになったら考えるよ」
「それってその時点でもう手遅れですからね。朝食どうすんだ」
俺だけで食っちゃうぞ。そうすると後で怒るくせに。
「そう言う時はあれだよ。あれ。必殺お弁当にしちゃえ作戦だよ」
「先輩は弁当に秋刀魚の塩焼き入れて持ってくんですか。弁当箱でけぇな」
どんな作戦だよ。中身ほんとにそれでいいのか。大丈夫なのか。
「流石に半分……いや三つに切り分けようか。そしたら多分入るよ」
「入るといえば入るでしょうけど。秋刀魚がドンっと入ってる弁当とかみたことないよ」
「わたしもないなー。焼き魚弁当はあるけど秋刀魚はないね」
「ああいうのって大体鯖とか鮭でしょう。秋刀魚だと内蔵の処理の問題とか食べる時に骨が邪魔だったりしますからね」
鯖と鮭なら断然鮭派です。焼き鮭美味い。
「全部とっちゃうと怒る人が出るんだよねー。まぁ風情全否定になっちゃうからなんだろうけど」
「まぁ俺はとっちゃいますけどね。ワタ苦手だし」
苦いのがね。苦手なんですよ。頭は単純に食べるのにも焼くのにも邪魔。
「わたしもー。あ、大根あったかな? おろし要るよね?」
「そうですね。あれば欲しいですね。さっき野菜室の底の方で見ましたよ」
まぁ、朝からそこまでするのもめんどいと思って、言われるまでは黙ってたわけです。
「あーあったあった。さくっとすりおろしー」
先輩は大根をしゃくしゃくと軽快にすりおろしている。適量でいいですからね。
「こっちは味噌汁完成っと。今日は冷凍えのき茸の味噌汁ですよー」
「そういや今度はえのき茸凍らせたんだっけね。冷凍しとくとキノコが悪くならなくていいねこれ」
「本来の目的とはちょっと違う副産物みたいなもんですけど、確かにキノコはわりかし悪くなりやすいですから、助かりますね」
野菜室を開けると、へにょんとしてるキノコがお出迎え。あると思います。
「油揚げも冷凍保存できるって聞いた時はもっと早く教えて欲しかったって思ったね」
「あー、油揚げって意識して使わないと、全部消費しきる前に悪くなっちゃうことが多いんですよね」
「そうそう。数日忘れて放置とかすると最後の方はカビが生えてたりね」
完全に油揚げがあるという前提の料理工程を辿ってるので、そうなると非常に困ることになる。
諦めるか買いに行くかでだいたいいつも諦めるほうが勝つ。寂しい。
「そこで六枚入りを二枚ずつにして冷凍しておくだけでほら! もうカビ知らずですよー」
「やったね! これで心置きなく油揚げライフを送れるよ!」
「油揚げライフってなんですか。先輩別にそこまで好きでもないでしょう」
「何言ってんの。キミが好きなんじゃないか」
「ああうん、そうですね。俺も先輩のことは好きですよ」
「あ、いや、そうじゃなくて。キミが油揚げ好物なんじゃないかって言いたかったんだけどね……」
「……そうですね。油揚げは大好きですよ。油揚げ」
油揚げのある生活。ラブ。だよ。
「ぷぷ。ねぇ、今どんな気持ち? ねぇどんな気持ち? 自爆するってどんな気持ち?」
「先輩が普段からこういう時にラブネタ差し込んでくるからでしょうが! 紛らわしいんですよ!!」
俺はまな板をドンっと叩きながら猛抗議を行う。俺が悪いんじゃない。
「おおっとキレ芸で誤魔化そうったってそうは行きませんぞ。逃してなんかやらないっ」
しかし、先輩には通用しなかった!
超いい笑顔でにやにやしている。
「やめてください。朝から俺を悶死させたいんですか。泣くぞ。朝から泣くぞ」
「おお? 泣けるもんなら泣いてみなさいよ。朝から目元腫らして行くがいいさ!」
「ぜってぇ周りから総ツッコミされる。もうヤダこの先輩」
くそっ! 周りを囲まれる光景が手に取るように見える。
「あ、秋刀魚焼けたみたいよー。お皿ちょうだい」
「自分で振っといて話聞いてないし! はいどうぞ」
そんな俺を尻目に先輩はのんきに魚焼きグリルを開けて中を覗き込んでいた。
焼けた秋刀魚の凄くいい匂いが途端にキッチンに広がる。
「あちち……。大根おろしはそっちにあるから持ってきてね」
「はいはい仰せのままに。醤油だって小皿だって持って行きますよ」
俺は大根おろしと醤油の卓上ボトルと小皿を二枚持って、先輩に続いてテーブルへ向かう。
「まぁ、別に嘘はついてないんだからいいじゃん」
「何がです?」
「キミがわたしを好きなこと」
「……秋刀魚冷めるんで早速いただきましょうか」
危うく取り落としそうになった皿を、慎重にテーブルの上に下ろす。
「なんでそこで照れてるんだよー。突き抜けちゃえよー。中途半端が一番恥ずかしいんだぜ」
先輩がうつむいた俺の頭をつんつんしてくる。ええいうっとうしい。
「先輩はもうちょっとそのあけすけなとこどうにかしましょうね。俺が恥ずかしいです」
「なにおう。わたしに恥ずかしいとこなどどこにもないっ!」
言い切る先輩は胸を張って堂々としている。いろんな意味で堂々としている。
何故二度言ったかは、わかるね?
「その自信満々なとこ、いっそ凄いですよね。どうしたらそうなれるのか教えてほしいぐらいだ」
「そうだねぇ。日々を後悔なく生きることかな? 案外難しいんだよこれ」
「そうですね。俺なんか毎日後悔しきりですよ。なんで俺こんな先輩に捕食されちゃたんだろ」
いつまでも馬鹿な話ばかりしていられない。
とりあえずご飯をよそって食事を始める。
「おおっとこれは結構な重症だったようだ。そんな気にするなよー。引きずると後に残るんだよ」
「先輩が掘り下げたんでしょうに。あ、醤油ください」
「はい。おろしはこのぐらいの粗さでよかった?」
「いいんじゃないですかね。多少食感が残ってたほうが美味しいですし」
残ってると言ってもさらふわかしゃきしゃきかの食感の違いでしか無い。
俺はさらふわよりはしゃきしゃきの方が好きだ。
「ああー、このおろし醤油で食べる秋刀魚ってなんでこんな美味しいんだろうね」
「一時期漁獲高が減って値段が高騰した時は最早これまでかと思いましたけどね」
最近はまた値が落ち着いてきたのでよくお世話になっている。
「あれもねー。船上冷凍技術がなまじ発達しちゃったせいで、いくらでも獲れば捕るだけ金になるって結果のいつもの資源減少かと思ったんだけどね」
「なんか違うらしいですね。そもそも回遊コースが例年とは大きく変わってるとか」
「あれかね。いわゆる地球温暖化の一環ってやつ?」
「かもしれないですね。海温が変わればエサの位置も変わりますしね」
なんでも南国の海にいる魚が日本海で獲れたりもしてるそうだ。
「よく漁船のドキュメンタリーとかで海中探査レーダー使ってるじゃん」
「ありますね。魚群探知機とか」
潜水艦じゃないからぴこーんぴこーんとは鳴ってなかったな。
「あれってもう少し広範囲に出来たりしないのかね。機材や出力の問題なのかな?」
「魚群探知機ってあれ元々下方向に向けて探査してますからね。超広範囲を探査するって発想がそもそも難しいのかも」
確か船底につける装置だったよなあれ。
「でもあれ一応前後左右方向に探査もしてるんだよね? 魚の群れがあっちの方向にいるから急行するってやってたし」
「一応それでもそれなりに広範囲には電波飛ばしてるんでしょうけどね。そもそもの海が広すぎるのがいけない」
「結局そこに帰ってきちゃうのかー。漁船単体で難しいなら漁船群の探査データをクラウド化して広範囲探査の代わりにするとか?」
今の時代なんでもクラウドだな!
それだけ便利ってことなんだろうけどさ。
「素人の先輩の口からクラウド云々出てくるようなら既にもう開発とかされてそう。ちょっとググってみますか」
「なにおう。別にわたしはおバカキャラじゃないぞ。一般人の自覚ならあるけど」
「まぁそういうことですよ。素人目にも有効そうって発想なら開発資金も得られそうだし……あー、やっぱありますねそういうの」
既に開発も一段落して、販売しているというサイトが見つかった。
「やっぱあるんだ。うーん。時代はこうやって移り変わっていくんだねぇ」
「何視点ですかそれ。漁師のカンって奴なら時代が変わっても残るとは思いますけどね」
「わっかんないよー? 最近は職人の技術継承が上手く行かないからって、だったら全部記録しちゃえばいいんじゃねってやってるって聞くよ」
船大工のドキュメンタリーでそんなのを見たことがある。
溶接技術の継承ってことで確かやってた。
「なにその超脳筋パワープレイ。そんなんでほんとに大丈夫なのか職人の技」
「さあ。有用性を見出してるからやってるんだろうけどね。どうなんだろうね」
「まぁ、俺らはそんな畑違いの分野を心配するより今は時間を気にした方がいい気もしますが」
俺は食べ終わった食器を重ねながら、壁の時計をちらりと見る。
いつも出かける時間の十五分前。
「えっ!? 今何時!? うわっ! なんでもっと早く言ってくれないのさ!」
言われて慌てて残りの味噌汁とご飯を流しこむ先輩。よく噛まないと消化に悪いですよ。
「先輩がおしゃべりに夢中でゆっくり食べてたのがいけないんじゃないかな……」
「そこをフォローするのがデキる彼氏ってやつでしょうに!」
なかば八つ当たり気味に食器を流しに片付けながら、先輩は大急ぎで出かける準備を始める。
「すみませんねー。俺、迂闊に自爆しちゃうようなダメ彼氏なんです」
「いつまでさっきのこと引きずってんの!?」
「そりゃあ先輩が忘れるまででしょう。早く忘れたほうがいいんじゃないですかね」
俺は流しに集まった食器を軽く洗うと、すべて水切りカゴに上げてタオルで手を拭いた。
「一周回ってなんか脅迫されてるんだけど!?」
「ほらほら。さっさとしないと俺が先に洗面所使っちゃいますよ」
朝のトイレと洗面所は早い者勝ちの激戦区なのだ。