前日譚 Case.5 カレーうどん
こちらは前日譚の追加となります。
前日譚は先輩彼女と後輩彼氏の二人劇で、本編開始前の時間軸になっております。
「さあ。ついにこの日がやってきたよ」
先輩が両手を腰に当てて仁王立ちしている。
「いきなりなんです?」
俺は手にしていたお茶をテーブルに置くと、先輩に向き直る。
「お忘れですかな? 昨夜の食事はなんでしたっけ」
「きのこカレーでしたね。美味しかったですよ」
なんだかいつもと違う旨味があったような気もした。
「そう、昨日はカレーでした。と言うことは?」
「二日目のカレーうどんですか」
「ざっつらいと。その通りです。しかも今回は冷凍キノコの特製カレーです」
「旨味あっぷあっぷですね。わかります」
「まぁカレーはいつも通り美味しかったけど、実際どのぐらい味が上がったとかはよくわかんなかったね」
「そんなもんじゃないですか。一つの食材ちょっと加工したぐらいでそんなに劇的に味に変化はないでしょう」
でも確かに何かいつもと違うという感じはしたんだよな。
「つまり気分ってことだよね。プラシーボ。偽薬効果になっちゃったぞ」
「まぁオーディオマニアもこんな感じで何か細工したら音が良くなったって喜んでるんですし、本人が良けりゃそれでいいのでは」
思い込みの力って凄いらしいからね。
「実際味って絶対評価ができないからね。味覚測定器使うならともかく」
「美味しい不味いぐらいですよね。それもなんとなく」
「物凄く美味いことはわかる。食材の質も高いことはわかる。でもそれがどれぐらいなのかって言われても困る」
「漁港で食べたお高い回らないお寿司は美味かったですよね」
「二人で万札飛んでったからね。ちょっと我を失ってたねあれは」
あれは美味かった。相応にお高かったけど。
「ヘイ大将! って何度言いそうになったか。言わなかったけど」
「やめてよね。恥ずかしいから」
「先輩こそ言いそうなのによく言う。ああ、話してたらまた食べたくなってきた」
「今度の休みにでもまた行く?」
「いいですね……と言いたいとこですけどあそこ結構遠かったですよ。旅行のついでに行ったんですし」
「うーん。それもそうなんだよね。隣県だしね」
ちょっと行こうかって気軽に行ける距離ではないのが残念でならない。
「別にわが町のお店だって美味しいとこありますよ。きっと」
「それじゃあ今回のところはわが町の美味しいお店を探すことにしましょうか」
「それがいいです。で、なんでしたっけ」
「カレーうどん様だよ」
「ついに様まで付けられちゃった。んじゃあ今日の昼はカレーうどんということですね」
「具は何にする? キツネ? 肉?」
肉もいいけどここはキツネがいいかな。油揚げ好きだし。当然味付け揚げも美味しい。
「てか、キツネと肉並べられるとなんかキツネ肉食べてるみたいになるからやめてくださいよ」
「というかキツネ肉って食べられるの?」
「食べられないんじゃないです? ほら、よく聞くでしょう。エキノコックス。あれを飼ってるんですよあいつら」
野生のキツネには絶対に近づくなという恐怖の対象である。
「うげー。寄生虫かぁ。しかも肉食だから肉も臭いんだろうね」
「全く食用に向きませんね。恐らく食べられてないんじゃないかな」
「たぬきみたいなやつだね。煮ても焼いても食えないっていう」
タヌキも肉が臭いらしく、食用として人気がないらしい。
諺になるくらいだから、相当なんだろう。
「駆除以外でこいつら狩るぐらいならイノシシや鹿探すよねっていう」
「きつねとたぬきでどこのカップ麺だまったく。で、キミはその手の野生動物食べたことってあるの?」
いやあの名前はカップ麺独自のものじゃないから。うどんそば全般で使われてるから。
「何でも小さい頃に鹿をおすそ分けされたことがあるみたいなんですが、全く覚えてませんね」
正直食べたかどうかすら怪しい。
「鹿をおすそ分けされるってそれもどんな状況なんだ。キミの実家って確か普通に都市部の住宅街だよね?」
「です。周りにハンターが住んでたりもしませんよ」
「だったらそう言う知り合いでもいたのかな?」
何かしらの縁がなければまず口にしないものだからな。
その辺で買ってくるという可能性はまずない。
「なんでも昔家族でよく行った河原のキャンプ地で振る舞ってもらったらしいですよ」
子供の頃はよく河原のバンガローで一泊していたことを思い出す。
また行きたいな。まだ営業してるのかなあそこ。
「へー、いいねキャンプ。わたしもアウトドア結構好きなんだよ」
「いいですよね。最近はアウトドアグッズも充実してますからね。快適にできるでしょうね」
今は調理中に熱で発電するほどまでに道具は様変わりしている。
「昔ながらの道具も風情があっていいけどねー。ランタンとかさ。今ってLEDじゃん」
「アウトドアで使わない普段は災害備蓄品としても使おうと思ったら、火がない方がありがたいですからね。うちの実家にも各所に電池込めて仕込んでありますよ」
小ぶりなやつを十個まとめて注文して家中に仕込んでおいた。あれだけあればどれかには手が届くだろう。
「準備万端だね。でもそれって電池消耗して肝心な時に点かなかったとかならない?」
「電池と本体基盤の接触端子との間に紙を挟んであるから、通電はしてないんです。スイッチ押してもそのままじゃ点きません」
たまに日常で使おうとしてスイッチ押しても点かなくて、ん? って思うことはある。
ただ、日常でそういう経験をしておくことで、イザという時にも挟み紙のせいだと思い当たることが出来る。
「んん? それじゃいざ災害って時に真っ暗闇の中で蓋開けて紙を取り除かなきゃいけないの?」
「その辺もちゃんと考えてありますよ。挟み込む紙を細長くしてあるんです。で、それを本体の外まで少しはみ出させておくわけです」
「ああ、ということは、電池の蓋を少し開けるか緩めるかして紙の端を引っ張れば外れるってからくりだね」
「からくりって、江戸時代ですか。ま、そういうことです。これぐらいならとっさの時にも手探りで出来るでしょう」
最初は普通に小さな紙を挟んでいただけだったが、試しに真っ暗な中でやってみたら難しかった。
これなら手探りでもできるから、なんとかなるだろう。
「なるほどなー。電池を外して置いておいても結局は電池を込める手間が必要になるわけだし、真っ暗闇の中で電池の向きも揃えるって結構大変だよね」
「必要になるのが災害時ですからね。基本パニック寸前かパニック状態になってるでしょうから、あまり難しいことは期待しないほうが良いでしょう」
「今は皆スマホとか携帯持ってるから、最初の手元灯については割となんとかなるんだよね。画面光らすだけだし」
ただ、スマホは電話でもある。ほんとうに必要になる場面を考えて出来るなら残りの電池は大事に温存しておきたい。
「ですね。居間とかキッチンとか玄関とか人の集まるところや倉庫に最低各一つはLEDランタン仕込んであるので、それで見つけてもらえば後は光に関しては問題無いでしょう」
「うちの実家はそう言うのしてるのかなぁ。気にしたことなさそうだけど」
意外と何をしたらいいのかよくわからなくて、結局何の備えもしていないという家は多いらしい。
「今度先輩が帰省した時にでも聞いてみたらどうです。日本に地震の影響を受けない場所なんてないですからね。どこに住んでても備えるに越したことはないです」
「確かにねー。こないだもここは平気だろうってところがでっかく揺れたばっかだしね」
「北から南までまんべんなく揺れてますね。その上最近じゃ水害や土砂災害まで増えてますし」
「あれ怖いよね。山側を無理な開発したとことか最近土砂崩れしまくってるし」
生き埋めはマジ勘弁。
海側もダメ、山側もダメ。日本に住める場所ってそんなにないんですよ!
「狭い日本を住めるようにしようとしたら無理もないことなんでしょうけどね……。土地に余裕が有るのなんて試される大地ぐらいじゃないですか?」
「試される大地も一度行ってみたいなー。何なら住んでみたい」
「経済状態が許すなら、ですけどね」
あの大地は経済活動が厳しくて就職先の奪い合いだって聞いたけど、実際のところはどうなんだろう。
物質的には自給自足が成り立っちゃうから、いざという時にはなんとかなりそうだけど。
「それがねー……。遠隔地で出来る仕事に就けてればいいんだろうけどね」
外貨持ち込みでで大地に住もう。
「先輩が住みたいのって、多分都市部じゃないですよね? 郊外とかその辺が見渡せるようなとこ想像してません?」
「流石キミはよく分かってるね。その通りだよ。牧場持ってる一軒家みたいなイメージ?」
ベータみたいな名前の人が走り回ってそうな感じね。
「住むの大変そうだなぁ。暖房代とか除雪作業とか大変らしいですよ。屋根に積もった雪、道を埋める雪、ついでに玄関を埋める雪。先輩、ちゃんと除雪できますか?」
それ以前に雪に埋もれた家から脱出できますか?
「そこは君の奮闘を願うところでしょう。期待してるよっ!」
「え、俺を巻き込む気満々ですかそれ」
俺がびっくりすれば、先輩もびっくりする。
「え、キミはわたし一人で大自然と戦えと? というかその場合キミとの関係はどうなってるんだろうね?」
「恐らく、別れてるんでしょうね。理由はともかく」
「それはやだなぁ。リリースもしたくないし、他の女にとられるのなんて論外だし」
「それはお互い様でしょう。先輩を他の誰かに取られるぐらいなら、試される大地で試されるぐらいなんだってんですよ」
「ってことは付いてきてくれるってことだよね。ほら、問題は解決したよ」
「しちゃいましたねぇ。なに、除雪スコップとか買って来たほうがいい流れですかこれ」
ホームセンター、行く?
「今はまだいいよ。というか行くとも決まってないし、そもそもそういう職もまだ得てないよ」
「何とも先の長い話になりそうですね」
「いやいやいや。別に本気で実現させようとか思ってるわけじゃないからね?」
「わかってますよ。でも夜中にTVつけるとたまにそういう牧歌的な映像映るじゃないですか。ああいうの俺も好きですよ」
夜更かししてる時にBGV代わりにずーと流しておくのに最高なんだよね。
「ヨーロッパとかアメリカとかね。土地が広いところはいいよねぇ」
「でも日本だって高原に行けば牧場的な奴あるじゃないですか。ほら、牛乳生産してたり、アルパカ観光牧場作ってたり」
アルパカ可愛い。いつか行きたい。
「アルパカ育ててるところは一箇所しか知らないけど、確かに牧場は各地に散見されるね。ああいうとこは美味しいソフトクリーム食べられたりするんだよね」
野菜高原。紫の野菜高原をよろしくお願いします。
「ああ、濃厚なやつですよね。あっさりしてると尚いい」
濃厚なのにあっさり。なんか矛盾してそうだが両立する。後味がすっきりしているというか。
「なんだか急にソフトクリームが食べたくなってきたよ」
「俺もです。今から最も手っ取り早くソフトクリームが食べられるところというと……黄色いコンビニですかね」
お家のマークが目印です。
「それか同系列の大型ショッピングモールかな」
「今からショッピングモール行くと、なんだかんだで多分夜まで帰ってこられないですね」
主に先輩に引きずり回されて。
「コンビニでいいんじゃない? 今日はこの後カレーうどん様を食べるんだよ? 忘れてないよね」
「もちろんですとも。じゃあ、ちょっくらお散歩がてらコンビニまで行きますか」
今日は天気もいいし、雲もない。
そろそろ梅雨の時期だから、今のうちに快晴を楽しんでおかなくては。
「そっふと、そっふと。じゃーじーそっふとー」
「俺は季節限定のいちごソフトがいいなぁ」
後はあっついコーヒーね。