前日譚 Case.3 味噌汁
こちらは前日譚の追加となります。
前日譚は先輩彼女と後輩彼氏の二人劇で、本編開始前の時間軸になっております。
「明日の朝の味噌汁の具、何にする?」
夕食を終え、一休みしてさて何をしようというタイミングで先輩が明日の朝のことを聞いてきた。
つまり、明朝までこの部屋にいることは確定ってわけですね。わかります。
「豆腐とお揚げでお願いします」
俺はほぼ即答で答える。
味噌汁って言ったら俺の中ではこれしかないのだ。聞かれるならこう答える。
「キミ、好きだよねそれ」
「味噌汁の中で一番好きかも」
「一番っていうか、キミが好んで飲む味噌汁っていくつもないじゃない」
言いながら先輩は冷蔵庫の中を確認する。
確か豆腐はまだあったはずだ。リサーチ済みである。
「なんか味噌汁に関しては固定観念があるんですよね。それを外れると途端に変な具になっちゃう」
「なすはともかくじゃがいもまで言われた時はどうしようかと思ったよ」
世の中には玉ねぎとじゃがいもの味噌汁というものも市民権を得ているらしい。
我が国からは追放済みだがな!
「じゃがいもとお揚げの味噌汁は最終防衛ラインですよ。それ以上は無理です」
「じゃあ二番目に好きなのはどんなのなのさ」
「大根とお揚げの味噌汁ですね」
「お揚げ好きだなー」
「基本お揚げ好きですから。厚揚げも好き」
前世はキツネかもしれない。だって美味しいんだもの。
「厚揚げを焼いて生姜醤油で食べるの美味しいよね」
「あれ立派なおかずの一品ですよね。あれだけでご飯食べられるし」
あさつきも忘れずにお願いします。ここ重要ですよ!
「後はなんだっけ、わかめとお麩はオッケーだっけ」
「それ両方同時に入れられたらちょっと悩みますけど、そうですね」
乾物だからって汁を整えてから具を入れるとめっちゃ水位が下がって、それを補うと今度は味がめっちゃ濃くなりそう。
「キノコはぶなしめじとなめこは良かったはずだよね」
「ですです。あ、えのき茸もお願いします」
「はいはい。えのき茸とわかめの味噌汁ね」
えのき茸のあの存在感のなさってなんなんだろうね?
もやしっ子なのがいかんのか? キノコなのにヒョロいせいか?
「そういや先輩知ってます? えのき茸とかぶなしめじって冷凍するといいらしいですよ」
「ああ、聞いたことあるよ。旨味が増すんだっけ?」
「繊維質もよく取れるとか聞いたような気もしますね。キノコの消費地ではキューブ状にして使ってるみたいです」
この間なるほどってやる番組で見た。
「キノコのキューブ? どういうこと?」
「簡単に言うとしめじの水煮を製氷皿で凍らせてるんですよ。で、使う時に汁にぽちゃぽちゃと突っ込む」
「へー。それはなにがいいの?」
「美容と栄養価アップでしたね。なんとかっていうキノコの成分を摂取しやすくしてるみたいです」
ナットウキナーゼぐらいわかりやすい名前だったら覚えられたよ多分。うん。
「ふーん。なんか良さそうならやってみる? ちょっと作り方調べてみてよ」
「えーと、えのきを三等分にしてミキサーにかけて一時間煮詰めて製氷皿で冷凍するみたいです」
「めんどくさっ!」
「確かに。ミキサーと一時間煮るってのがハードルですかね」
作業工程で黒い字がもさっと固まってる時点でもうわかる。めんどくさいやつだこれ。
「凍らす方はなにか特別な作法とかあるの?」
「えーと、特にないみたいです。石づき落としてほぐして冷凍しておくぐらいで」
「まぁそれならやってもいいかな。ぶなしめじなら確かあったはず」
「先輩先輩。ぶなしめじの旨味を引き出す温度管理とかありますけど」
更に別の方法が次のページで紹介されていた。
「それはいいけど、まためんどくさいこと言うんじゃないだろうね?」
「六十度ぐらいの水温で煮ること、らしいです」
「料理中に温度計でも持ってろってのか!」
流石にそれはちょっと。
右手に菜箸持って、左手に蓋持ったらもう温度計持てないじゃないですか。
「ですよねー。まぁ冷凍するだけでも効果はあるみたいですね」
「それでいいよ。別にそこまで切羽詰まってるわけじゃないから」
先輩は適当に石づきを切り取って、固まっていた房を分解する。
パラパラになったぶなしめじの完成である。
思ったよりかさが増して、入れたポリ袋がこんもりしている。
「こんなもんかな。で、ポリ袋に入れたら冷凍庫に放り込むと。はい完了」
冷凍室に空きスペースを作ってきのこ袋を放り込むと、バタンとドアを閉めて作業完了である。
「先輩、それ明日きのこカレーにしません? なんか旨味について調べてたらカレー食べたくなってきました」
「どこに相関関係があったのキノコとカレー」
「いや単にレシピできのこカレーを見かけただけです」
「単なる好みかい!」
カレーって文字見たら無条件で食べたくなるよね? 俺はなる。
「先輩だってカレー好きじゃないですか。二日目のカレーうどんとか最高っていつも言ってるのに」
「その通り。鍋も綺麗になるし美味しいしで最強の料理だよ二日目のカレーうどん」
こびりついたカレーも汁や蒸気で取れるから一石二鳥なんだよね。わかる。
「今回のカレーは冷凍キノコのおかげで旨味が増してるはずですから、そっちも釣られて美味しくなってるんじゃないです? 気になりません?」
「う……そう言われると気になってそわそわしてきたよ。キノコカレー、いっちゃう?」
「いっちゃいましょう。いやぁ、カレー久々だ。明日はご飯沢山炊かないといけませんね!」
単純な先輩に乾杯。カレーで乾杯。
「またキミは嬉しそうに……」
「そりゃあね。カレーの時はご飯たくさん食べても怒られませんし」
今日はカレーの日。白米記念日。
「いくら怒らないからって限度ってものがあるからね! 具体的にはキミの分は一合だよ」
「一合ってご飯茶碗二杯分じゃないですか。それじゃいつもと変わってない!」
「その瞬間判断能力をもうちょっと他のことにも活かしてほしいなぁとわたしは思うよ」
「一合じゃカレーおかわりできないじゃないですか。やはりここは基本の二合ですよ。先輩の分も入れて三合でいいですね」
若い男性が茶碗一杯や二杯のご飯でお腹一杯になるわけがないだろ! いい加減にしろ!
「はいはいもうわかったからそれでいいよ。じゃあ炊飯器のセットはお願いね」
「任されました。心をこめてお米を研ぎましょうとも」
拝み洗いしちゃう。研ぎの工程は大事。
「あ、お米は普通の方にしてね」
「ちっ。隙あらばお米屋のお米を狙っているというのに」
「値段が倍違うんだからそうそう使わせないよ! キミに任せると一ヶ月持たないんだから」
ちなみに十キログラム五千円である。高い。
「まぁいいです。白米を白米のみで噛みしめる時こそ高いお米が真価を発揮できる時ですからね。カレーはその時ではない」
カレー味のご飯になっちゃうからね。
「わかってもらえたなら良かったよ。じゃ、お風呂行ってくるから後よろしく」
「はい行ってらっしゃい。ゆっくり温まってもち肌になってきてくださいね」
もっちもっちやで。
「なったとしても食べさせないよ!」
「そりゃ残念」
「まったく」
先輩はため息を一つつくと、浴室に続く廊下に消えていった。
「さてさて、行ったな。さっきはああ言ったけど、やっぱお米が美味いにこしたことはないわけで。いくらカレーの味が強いからといってお米で手を抜いてしまってはやはりそれは片手落ちというものですよ。美味しいカレーに美味しいご飯が合わさればすなわちそれは最強ということではないですか。やっべこれ最高じゃね」
「まぁ、理屈で言えばそうだね」
俺はお米屋のお米が入ってる米びつの蓋を開けると、計量カップで上から一合ずつすくっていく。
「そう、その理屈こそが世の中を動かし人の行動指針となってきたのです。いわばみちしるべ。大体先輩はけち臭いのです。計量カップ三杯程度米びつから減ったところでどうせ気づきやしません。ここはやはりお高いお米屋のお米を研ぐべきなのです」
「うーん。やっぱ気づかないものかな?」
いち、に、さん、と。よしこれで三合。
「そりゃあガッと減ってりゃ流石に先輩でも気づくでしょうけど。たまに先輩がお出かけしてる時にもこっそり炊いて食べててもバレたことないですし。大丈夫ヘーキヘーキって奴ですよ」
「へー、バレたことないんだ」
ちなみに自動計量米びつだからと言って三合ボタンを押すと、ドジャアアアアという景気のいい音がして即バレするのである。
「ですです。先輩あれで結構抜けてるとこありますからね。まぁそこも可愛くて俺は好きなんですけどね」
「それはどうもありがとう。こんな抜けてるわたしですけど今後とも宜しく」
隠密行動には静粛性こそが重要。素人はその辺がよくわかってないのです。
「いえいえこちらこそ……先輩、どこから聞いてました?」
「わたしがけち臭いってとこ辺りからかな。もうちょっと前かも」
遂に俺は認めたくない現実を認めた。
もうあの時間は終わったんだ。
「それって全部じゃないですかやだー……。これはね、違うんですよ」
「何がどう違うのかじっくり話を聞こうじゃないか。大丈夫お風呂が沸くまでまだ時間はたっぷりあるよ」
あっ。
そういえば今日はまだ湯沸かしボタン押してなかったですね。
まだ水風呂でしたね。そりゃ引き返してくるよね。
「先輩許して! 出来心なの! だからお米屋のお米しまわないでえええええ」
「禁止! キミはお米屋のお高いお米触るの禁止です! わたしだって最近妙に減ってるなとは思ってたんだからね!」
ああ、折角計量したお米様がザルごと米びつ行きになってしまった。
じゃーとひっくり返されて終了である。また会う日まで。
「バレてる……だと……」
「誰が在庫管理してると思ってるの。はぁ。キミの白米好きにも困ったもんだよ」
「いつもいつもすみません」
「絶対本心から言ってないよねそれ」
「そんなことないですよ。お米のためならなんだってできますよ俺」
お米を我慢すること以外はね!
「最早何を言っても無駄なことは既に理解しています。諦めたともいう。そこで、キミにはせめて食事の最初にサラダを食べてもらいます」
「サラダですか。はぁ、別に構いませんけど」
「食事の最初にサラダを食べておくと、食後血糖値の上昇抑制になるんだよ。消化も良くなるしね」
「へー。わかりました。美味しいお米が食べられるならそれぐらいお安いご用ですよ」
葉っぱ食べりゃいいんでしょ葉っぱ。
ドレッシングさえありゃ余裕っすよ。
「キミその辺は実に御しやすくていいよね……。明日はレタスも追加で買っておかないとね」
「よろしくお願いします。では俺は今度こそお米様を研いできますね」
「普通のお米をね」
「わかってますよ」
ちっ!