Ⅲ-7 呪いの枷
殺してやる。
絶対に許してやるもんか。
お前の全てを否定してやる。
そんな恨み言ばかりを心で叫び、時には実際に口に出して決意を固めた。確固たる意志を構築し、心を刃のように研ぎ澄まし、じっと機会を待った。
だからリナを購入できた時は運命だと直感が囁いたものだ。彼女は自分に素直で、精霊から与えられた剣すらも破壊する意思を秘めている。
この意思こそが自分と彼女が持つ最大の武器だと信じていた。事実、シンドーが乗り移ったかのように暗躍を続けるリナの意思は炎の剣に具現化される。サンタイト最高の戦士サイラスさえも屠った時、シンドーは確かに自分の復讐が完結するのを確信した。
ネフィアは仲間たちの中でもっとも非力である。
始末する順番はリナに任せていたが、その道中で最も厄介なのはサイラスであるとシンドーは考えていたのだ。故に、彼を倒すことができれば復讐は成就する。戦力的には自分の勝ちはほぼ確定したと言ってもいいだろう。
だから迷う要素など、なにひとつなかった筈。
嘗ての仲間への情など、とっくの昔に捨てた。クロエとサイラスが死んだとき、シンドーの心はまったく痛まなかった。
なのに、この有様はなんだ。
どうしてネフィアに限って、うまくいかない。
自分よりも精霊を選ぶような女だとわかっている筈なのに、どうしても身体が勝手に動いてしまう。
「はっ――――!」
シンドーとネフィアの口から血が噴き出した。
ネフィアは防御呪文を唱えることもなく、シンドーごと貫かれた。その瞳は、驚愕に染まっている。
「シンドー、なぜですか」
転移魔法で割って入り、そのままネフィアの胸の中へと倒れ込む。
ネフィアの問いかけに対し、シンドーは小さく首を横に振った。
「……俺が知りたいな、本当に」
心からの言葉だ。
尻餅をつき、ネフィアに抱かれたまま倒れる。無様な格好だ。ここに来る前の自分が見たら、きっと吐き気を催していたに違いない。
しかし、なんとまあ。無様だと自覚しているのに、安心できる。まるでずっとこの場所を求めて歩き続けたかのような錯覚さえ覚えてしまう。彼女に襲われてから、ずっと安心して眠れなかったというのに。
「ネフィアは殺したくて殺したくて仕方がない筈なんだ。でも、いざその場面を想像するととても怖くなった。おかしな話だろう、ずっとこの時が来るのを想像してたのに」
自分を構成する歯車が狂いだしたのを感じ、リナに自分を始末するようにも言いつけておいた。彼女には断られてしまったが、結果的には狂った歯車が転がっていく方向に辿り着いてしまったわけだ。
自らをシンドーの武器であると断言した少女は今、どんな顔をしているのだろう。
申し訳ないことをしてしまった。結局、彼女の信頼をすべて裏切ってしまったのだから。
リナの方に顔を向けようとするが、動かない。
身体が動かないのだ。顔を曲げるだけの力も、不思議と抜けてしまっていく。
ただ、ネフィアの顔を見ながらだと悪い気がしない。
結局のところ、この場所が自分の行きつきたかった場所なのだ。
「俺にとって、精霊だとか、人間の尊厳だとか、魔王が脅威だとか、そんなことはどうでもよかったんだ」
「では、本当にサンタイトなどどうでもよかったと?」
「ああ。俺が負けて人間が滅ぶのならそれでもいいと思ったし、精霊のいうことなんか全然気にもしていない」
「……シンドー。どうしてあなたは、勇者になったのですか」
「どうしてだろうね」
勇者になった記憶はない。
シンドーには勇者になる前の記憶が断片的にしか残っていなかった。だが、別段気にしたことはない。
懸念したことがあるのは精霊の言う通りにしなければならなかったことくらいだ。
「俺がどうして勇者になったのかはわかんないさ。精霊なんて胡散臭いけど、誰もがその存在を絶対的だと信じて疑わない」
だからこそ、敢えて言いたい。
「ネフィア、どうして俺じゃなくて精霊を信じたんだ」
シンドーはずっと我武者羅に走ってきた。ずっと姿を見せてこなかった精霊よりも仕事をこなしたし、仲間たちの信頼を得る程の大役もこなしたと自負している。
しかし、実際に魔王を倒しても彼らはいまだに精霊を信じていた。勇者を殺せと言われて、実行してしまう程に。
「俺は辛い。ずっと冒険してきた時間よりも、精霊の言葉を優先させられた。この現実を、どうして受け入れられる。受け入れられる筈がないだろう?」
人間として当たり前の思考であるとシンドーは訴える。
サイラスを罵ったように、彼女もまた偽善者なのだろうか。シンドーにはそうは思えない。長い冒険の時間と、ゼナに疑問を植え付けさせた彼女の信仰の力は強大だ。
だからこそ、自分を選んでほしかった。ネフィアは色眼鏡で見てくれないと信じたかった。
「答えてよ、ネフィア。俺には、お前の言葉が欲しいんだ。ウソ偽りない、本当の言葉をくれ。信仰とか関係ない、君の言葉を――――」
「シンドー」
聖女の手が勇者の頬を撫でる。
直後、シンドーの顔面に鮮血が降り注ぐ。ネフィアの顔面が潰されたのだ。振り下ろされた握り拳は正確に聖女の頭蓋骨を砕き、赤く濡れたそれを引っ込めると無理やりシンドーを抱き上げる。まるで聖女の腕から奪うかのように。
「マスター」
呆然とするシンドーに聖女を殺した女――――リナが目を見開きながら訴えた。
「いけません、マスター。これ以上の問答は不要です」
「リナ、なぜだ。どうして彼女を殺したんだ」
「なぜ? マスターが最初に私に仰ったではありませんか」
レギオンを刻め、と。
その言葉と契約に嘘偽りはない。あってはならない。
「そういう注文だった筈です。嘗ての勇者パーティーを殺害するのが私の役目ではありませんか」
「だとしても、彼女との最後の問答は俺の特権だ」
「お忘れですか、マスター。彼女は聖女ではありません、毒婦なのです」
宥めるようにしてシンドーに語りかけるリナ。
さながら子供を叱るような、小さくてしっかりとした意思を込めての言葉である。
だが、目は完全に見開いたままだ。
「彼女の毒を受けてゼナは我々に逆らいました。マスターのご慈悲がなければ、死んで当然の行為です」
「リナ……?」
「マスターも勇者として冒険している内に大量の毒を浴びてしまったのでしょう。その毒が思考を麻痺させ、あのような行動をとらせたに違いありません。奴は毒婦なのです。討たなければならない、憎むべき敵です」
きっぱりと言い放ち、リナはシンドーの胸を見やる。
「さあ、傷の手当てをいたしましょう。マスターにはまだ使命があります」
「使命? 俺にかい」
「はい、勿論です」
かつての仲間は全員殺した。
魔王もいない。これ以上の使命などあっただろうか。おぼろげな意識で問いかけると、リナは言う。
「精霊退治です。マスターを陥れた存在を断罪しなければなりません」
「ああ、そういえばそんな話もしたね」
精霊。謎が多すぎるし、どこに行けば会えるのかもわからない存在だ。
会えるなら是非とも会ってみたい。聞きたいことは山ほどある。
だがそれ以上に、シンドーの思考が警告を鳴らすのだ。精霊に疑問を抱いても、近づくべきではない、と。会ってしまえば自分の全てが崩れてしまうと、警告してくる。
「……」
「さあ、マスター。傷は深いですが問題はありません。私にすべてお任せください。マスターから私に命じてくだされば、すべて叶います」
まるで自分こそが願望実現の力を持っているのだと言わんばかりにリナは言い切った。
事実、彼女の力は本物だ。実力でサイラスを屠り、ネフィアも倒れた今となっては誰も彼女を止められないだろう。きっと、自分でさえも。
ネフィアの亡骸を尻目に、シンドーは俯く。
「それじゃあ、リナ。お前は俺の命令を聞いてくれるんだね。レギオンを刻み終えた、この瞬間からも」
「はいマスター」
リナは笑わない。
彼女はシンドーを見つめつつも、凍りついた表情で傷口を抑えていた。
シンドーは察した。自分の迂闊さが彼女を壊してしまった、と。
魔王さえも倒した精霊の剣。それを握ったサンタイト最高の戦士サイラス。彼を確固たる意志で貫いた炎の剣は、今はもう剣の形を保てていない。まるで蛇のように蠢きまわってはリナの腕を焦がす炎を見て、シンドーは思う。
彼女には呪いが必要だ。と。
このままでは彼女は炎に飲まれて黒焦げになってしまう。それだけはなんとしても阻止しなければ。だから新しい契約を結ぼう。堅くて、半端ではなく、ウソのないマリスレギオンを。
「では命じる、新しい注文だ」
「はいマスター、私になんなりと」
「俺に代わり、幸せになれ」
「え?」
リナと向き合い、力強い目線を彼女へ送る。
「君は俺を刺したな。だから今日からマリスレギオンは君の物だ」
マリスレギオンは宿主が殺せば殺した者へと継承される。
だから自分がこのまま死ねばリナが新たな竜王になるだろう。
「だが、力尽きる前に君は最大の契約を果たしてもらう。幸せになるんだ、リナ。君には俺のような枷は似合わない」
「なにを仰るのですか、マスター。私には枷などありません。あなたが解き放ってくれました。だから次の獲物を、マスター。そして命じてください、レギオンを刻め、と」
「獲物はもういない」
口から血を吐きだした。
咳き込むシンドーだが、彼は最後の力を振り絞って従者へと命じる。
「今日から君は自由だ。約束通り、俺にできるすべてを君に与えよう。具体的なものは与えられなくなってしまったけど、マリスレギオンさえあれば君はなんでもできる」
そして新しい呪いの言葉を。
ウソ偽りのない、信頼の言葉をリナに送る。
「レギオンを刻め。俺はもう、君には不要だ」
「あ、あああああああああああああああああああああああああああ!?」
ドラゴニュートの娘が絶叫する。
彼女は主を組み伏せると、急いで傷の手当てに走った。
「マスター! マスター! ああ、なんということを! 早く撤回してください!」
大慌てでリナが傷を抑え込む。
だが、血は噴き出すばかりだ。
「どうした、リナ。もっと嬉しそうにしろよ。幸福を約束されたんだぞ」
「私の幸福など決まっています。私にはあなたが必要なのです!」
なのに不要などと言われてしまっては。
しかもそこに『あの言葉』をかけられてしまっては、マスターを助けることが絶対に不可能になってしまう。今、この場で彼を助けることができるのは自分だけなのに。いや、そもそもサンタイトで彼を助けることができるのは自分だけなのだ。彼には自分が必要なのだ。
「……精霊は、もういい。ネフィア達と決着がつけれたら、後はもうどうでもよくなった」
「そんな! あなたには精霊を問い詰める資格があります」
「そうだとしても、いいんだ」
この頭に鳴り響く警告音がなんなのかはわからない。
でも、精霊なんかどうでもいいと心が叫んでいる。今はただ、シンドーを絶対的な存在だと信じて疑わない彼女に幸福になって欲しいとだけ思う。
彼女のこれからの生には、自分のような呪いの枷は不要なのだ。奴隷の証は、美しい彼女には似つかわしくない。
「リナ、君は信頼できる仲間を見つけるんだぞ」
「嫌です。私にはマスターさえいれば!」
「おい、誰かいるのか!」
部屋のドアが開け放たれる。
見回りに来た兵士達が突入してきたのだ。彼らは部屋の惨状を目の当たりにして、息を飲む。
「ネフィア様が!」
「おのれ、貴様がやったのか!」
「国王様を避難させろ。城にいる兵士達に通達するのだ! ネフィア様を殺した賊がここにいるとな!」
ああ、なんか五月蠅くなってきた。
今更やってきた兵士達を気だるげに見つめる。
「終わりだよ、リナ。俺の復讐も、君の奴隷人生も」
「マスター」
シンドーが瞼を閉じる。
痺れていく思考を放り投げる直前、彼は決断した。
そうだ。俺は復讐を終えたんだ。
納得できる形かと問われれば、ほんの少し違うけど。それでも俺はすべてを終えた。俺が望んだ復讐を達したのだ。
だから最後は笑ってやろう。魔王のように狡猾な笑みがいい。なんたってサンタイトの英雄を殺した、大逆賊なのだから。
「マスター?」
リナの言葉が耳に響く。まだ傷口を抑えてくれているようだ。
早くここを脱出するのだと言いたいが、もう口も動きうそうにない。
それなら、願うしかない。
マリスレギオンよ、新たな主の元へいくといい。
そして彼女に幸福を。最後まで俺の為に手を汚してくれた大恩ある竜の娘が、報われますように。
最後は半端な形で復讐を遂げた俺だけど、この気持ちだけはウソじゃない。半端な形でもない。
故に力強く命じよう。
レギオンを刻め、と。
シンドーの鼓動が止まった。
リナはしばし呆然としていたが、やがてかけられた声に耳が反応する。
「賊め、覚悟せよ!」
城の兵士の声だ。彼は剣を握り、英雄殺しの娘に切りかかる。
だがその剣はリナを刻むことは無かった。リナの右腕に渦巻いている炎の剣『だった物』が爆発し、兵士をあっという間に焼き尽くしてしまったからである。
炎の中に消えていく兵士達など見向きもせず、リナは目を見開いていた。瞳から大粒の涙がこぼれる。悲しみの色に染まる瞳に、新たなマリスレギオンが宿った。




