Ⅲ-1 精霊レポート
「天使君、今日のサンタイトの調子はどうかな」
女の声が聞こえる。姿は見えないが、彼女が表に出ることを嫌う事はよく知っていたので、天使と呼ばれた男はため息交じりに準備していた報告書を読み上げる。
「モンスターの勢力図ですが、先週から更に5パーセントほど縮小しています。この調子でいけば、当初の予定通りの人間国家が誕生するでしょう」
「もっと早くすることはできないのかな」
「難しいでしょうね。魔王ほどでないにせよ、モンスターの中には強力な種が存在します。すべての人間が彼らを駆逐できるわけではない以上、強力な個体がこのまま頑張ってくれることを祈りましょう」
「まあ、仕方がないかな。魔王を倒したシンドーは既にいないわけだからね」
言われ、天使は思う。予定を早めたいのならシンドーにちょっかいを出すべきではなかったのではないか、と。確かに彼は魔王を倒す為の駒だ。用が済んだとはいえ、消しかけるのは早計だったと思う。
「ああ、いや。まだ生存していたんだっけ。今は何か動きがあるのかい?」
「ありますよ。ついさっき、精霊像が彼の念話をキャッチしました」
「へぇ。なんて言ってた?」
「クロエとサイラスを殺害したことを認め、こちらを問い詰めるつもりだそうです」
「なるほど。まあ、大体想像通りの行動だね。寧ろ遅かったくらいだ」
楽しむような小さな笑い声が響く。
天使はそれを聞くと、反射的に疑問を投げつけた。
「ネフィアたちにシンドーを殺すように仕向けたのはあなただ。なぜ笑っていられるのです」
「酷い言い草だね。誰も殺せとまでは言ってないさ」
彼女が――――サンタイトで精霊と崇められている意思が紡いだ言霊は、もっとアバウトなものだ。
シンドーが第二の魔王となりンタイトを滅ぼすぞ、と。
「事実、預言は現実になった。シンドーはサンタイトでもっとも警戒しなければならない勢力となってしまっている。クロエとサイラスがやられたなら、人間の国はすべての勢力をもってかからないと滅ぼされてしまうだろう」
「ネフィアが解答を求めています。なんと答えますか」
「答えないさ」
精霊はおかしそうに。それでいて冷徹に言い放つ。
「こうなったのはしっかりと最後まで役目を果たさない駒の責任にある。天使君は使えない駒の尻拭いまでできるのかな」
「……では、彼女の信仰心には応えないでおきましょう」
天使は僅かに顔を伏せる。同時に険しい顔で思った。
彼女は悪魔か、と。
自分の好きな環境、あるいは好奇心を満たす為にサンタイトにいるシンドーを弄んでいる。こんな女が精霊と呼ばれているのだからあの世界も末期だ。あの世界の住民が彼女のこんな姿を見たらどう思うだろう。
「不満そうだな。サンタイトの人間に対する同情、かな」
「まさか。あの世界はあなたが作った。だからあなたが好きなように作り変えればいい」
不満があるとすればシンドーの扱い方だ。彼は自分たちの為によく働いてくれたし、危険な役割も務めてくれた。このまま放っておけば、シンドーに待っているのは悲惨な最期だろう。永遠に精霊のもとへと辿り着けず、真実を掴むことができない。
「せめてシンドーに事情を話せばどうです。彼はあなたのことを忘れている」
「それはできないな」
「なぜです」
「私のことを知れば、彼はきっと自力で夢から目が覚めてしまう。それじゃあレポートを書く意味がない」
精霊にとってシンドーはあくまで研究対象だった。他のサンタイトの生物とは違い、彼には特別な役割が与えられている。
「魔王退治は終わりました。人間の国家繁栄も順調に進んでいます。これ以上、シンドーになにを求めるのですか」
「もちろん、勇者の死だ」
先程は濁しにかかった筈が、あっさりと言ってのけた。
この発言は天使にとっても衝撃的な物だった。シンドーは精霊のお気に入りだった筈だ。だからこそ特別な役割が与えられたのではなかったのか。
「意外かい?」
「初耳ですね。さっきのやり取りはなんだったんですか」
「はっきり言うと私も世間体が悪いだろう。あの世界でも精霊として扱われているんだ。たぶん、こうすれば誘導できるなって言葉を選ぶとも」
「今更です。私たちの誰もがあなたを人でなしだと認識していますしね」
「手厳しいな。私としては君こそ人でなしだと思うんだが」
「それより、聞かせてください。シンドーの死を望む理由を」
「難しいことじゃないさ。確かに、私はシンドーを好んでいるよ。だから素敵な剣も与えたし、特別な役割も与えた」
極論を言ってしまうと、シンドーにやってもらう役割はなんでもよかった。勇者の付き人でもよかったし、サイラスのような王宮兵士でもいい。信仰心がある教会の人間でもいいし、ただの村人でもまったく問題ないのだ。
なぜならば、彼女が求める解答はシンドーの死そのものにある。
「人間側の勢力拡大は単なるバランス調整。魔王の討伐もその一環。だけども、シンドーの結末だけはどうしても私には予測がつかない」
「だから死を与える、と」
「こちらから直接手を下すようなことはしないさ。そんなことはできないし、もしもやってしまったら彼は悲しみのあまり成仏できないだろう」
きっとシンドーは当然のように魔王退治を受け入れていたに違いない。精霊の存在を当たり前のように受け止めていただろう。
彼は考えたことがあるだろうか。なぜ魔王と呼ばれる存在がいたのかを。そもそも、なぜ自分が勇者になれたのかを。
彼は覚えているだろうか。役割を与えられた瞬間、喜びのあまり踊りだしたことを。
「勘違いしないでほしいんだがね、天使君。私はシンドーが好きなんだ。とても優秀な子だし、君と違って可愛げもある」
「愛想が無くてすみません」
「素直なのは美徳だね。だが、シンドーはそこに加えて私の役に立ちたいという意思があった。だから最後まで私の為に生きて、私の為に死んでもらうのが彼の為だろう」
例えここでのことが記憶になくても、彼がシンドーであることに違いはない。憎しみに心を支配されていたとしても、精霊の為に働くことを誓ったのは彼なのだ。
だから最後まで働いて死んでもらう。
「シンドーも人を見る目がないですね」
精霊の意思を汲み取った天使の呟きは、どこか乾いたものだった。
「こんな精霊に憧れなどしなければ、今頃もっと楽に生きていけたのに」
「哀れんであげな。彼の現状を知るのは私と君だけだ。私が彼の最期を心待ちにしているわけだから、君が哀しんであげないとね」
「私から口に出すとすれば、哀れみではなく同情ですかね」
彼の苦しみを知り、悲しんでやれる生物は1匹しかいない。今となっては気休めかもしれないが、その1匹だけはなにがあってもシンドーの味方であることだろう。彼に救いがあるとすれば、この1匹を手中に収めた事くらいだ。
「それに、もう私から呟く資格もありません。共犯者のようなものですからね。シンドーがあなたを恨むのなら、私も恨まれることでしょう」
「もしかして、復讐されるのが怖いかい?」
「まさか。サンタイトからこちらへの介入は不可能です。ゴミバコを使えば話は別かも知れませんが、あれはまだサンタイトで確認されていませんしね」
天使は感情が見えない顔で言い終えると、報告書に視線を戻す。そういえばまだ報告が途中だった。嘗ての後輩に同情するのはそろそろ置いておいて、今の仕事を片付けてしまおう。
「こちらからシンドーに関する疑問はありません。報告に戻っても宜しいでしょうか」
「いいとも」
言いつつも天使は思った。自分も彼女も人でなしなだけあって、簡単に心を切り替えられるな、と。
報告をしつつも天使は僅かに視線を横にずらす。その席には、特別な役割を与えられてしまった後輩のデスクがあった。埃が積もった机の上には、いまだに彼の名前が置かれたままになっている。
進藤・要。
勇者という役割を与えられて驚喜した無邪気な後輩。悪魔な精霊に魅入られた、見る目のない馬鹿な後輩。恨むのなら、どこまでも馬鹿だった自分の決断力を恨んでくれ。
どうせお前の怒りは、ここまで届かないのだから。




