Ⅱ-10 お前が望むなら、俺は意思を踏み潰してやりたい
念話とは相手の魔力に直接語りかける会話方法だ。相手が念話で飛ばされた魔力を見つけたら通話が開始される。もっともゼナがサイラスに届けたような、声だけを直接相手に送りつけるような方法ではない。交信するのは口ではなく、生物の身体に宿っている魔力だ。それゆえに相手の出で立ちを確認することは不可能である。
瞼を閉じ、自らの視界を敢えて暗闇に陥れた状態でネフィアは念話の返答を待っていた。
最後に見た勇者の姿は忘れもしない。腕と脚は解体され、放っておけば出血で死亡。そうでなくとも血の匂いに導かれたモンスターに食い殺されるのが普通だろう。
あの時に導き出した結論が正解だったかはネフィアにはわからない。
しかし、もしもだ。
嘗て共に旅をしたあの少年が、精霊様が仰る通りの災厄の化身となったのであれば、責任は最後まで彼を屠らなかった自分たちにある。共に彼を裏切ったクロエとサイラスは死んだ。残ってしまった自分が、最後の決着を付けなければならない。
「……届いているのなら、どうか答えてください」
宿の一室で膝をつき、祈りを捧げるようにして指を絡ませる。この部屋には護衛の兵がひとりしかいない。だが、彼にもこの念話の最中はなにも手出しをさせないと約束させた。
それゆえにネフィアは思う。本当に生きているのであれば、今こそが決着の時であると。
『やあ、ネフィア』
肩を叩かれたかのような感触が身体を襲う。相手の魔力が念話に応じた瞬間だった。繋がった相手の魔力がイメージとしてネフィアの閉ざされた視界の中で具現化されていく。その姿は、間違いなく嘗て勇者と呼ばれた少年のものであった。
「やはり、生きていたのですね」
『やはり? 馬鹿を言うなよ。クロエを殺った時に証拠は残してやったじゃないか。まあ、確かにそれだけだと確信はできないかもしれないけどね』
自嘲するように少年のイメージが醜く歪む。長い時間を共に過ごしたが、彼の醜悪な表情は始めて見た。
『それで、なんの用かな。わざわざ俺の残りカスのような魔力を辿ってまで念話を飛ばすのは骨が折れただろうに』
「確かに、あなたの魔力は以前ほどの存在感はありません。ですが、承知の上で問います。あなたがふたりを殺したのですか」
『ああ。勿論だとも』
迷う素振りを見せることなく、あっさりと肯定した。
『命令したのは俺だ』
「命令?」
『わかるだろう。俺がどんなに頑張っても戦えない状態なのはさ』
正面から言われ、ネフィアは口を閉じる。自分たちがやったこととはいえ、本人から指摘されると心が揺れてしまった。それを知ってか知らずか、当の本人は追及をせず、淡々と続きを話す。
『だから駒を用意したんだ。俺の代わりにお前たちを殺してくれる駒を』
「まさか。クロエやサイラスを倒せるような者がいるというのですか!?」
思わず声を荒げてしまう。魔王が倒れた今、彼らはこの世界を代表する戦士だ。それを倒せるような存在がいるなんて考えられない。それこそ魔王を倒したシンドー以外は。
『全盛期の俺なら確かに殺せたかもしれないね』
ネフィアの思考が漏れたのか、勇者はどこかおかしそうに口元を歪める。
『だけど、流石に手足をやられたら無理ってものさ』
「では、魔王を蘇らせたのですか!?」
『想像に任せるよ。いずれ会うことになるから楽しみにしているといい』
まさかたった一匹のドラゴニュートにふたりを抹殺されたとは夢にも思うまい。しかも魔王が存命の頃、彼女は無名だった。彼女が活躍していたコロシアムは聖女には無縁の場所だ。クロエと彼が抱える暗殺者集団が潰えた以上、情報がネフィアに届くのはずっと後になるだろう。
『それで? 望みの答えは得たかな』
嘗ての仲間を殺したことを認め、自らの生存も証明した。これで彼女の問いかけにはすべて答えたといっていい。
「確認です。あなたは私も殺すつもりでいますね?」
「な、なにを!」
慌てながら兵士が口を開くが、ネフィアの強い魔力がそれ以上の問答を許さない。身体から放たれる溶岩のような圧倒的な魔力を目撃し、彼は力なく腰を落としてしまった。
『もちろんだとも』
強い決意を感じとったのはシンドーも同様だった。聖女から満ち溢れる魔力を自分の感情と同意の物と捉えつつ、彼は言う。
『隠すつもりなんかないさ。そうでないと念話に応じないし』
「では、その後はどうするつもりですか?」
『どうするか、か』
シンドーの目的は仲間たちの裏切りの理由を知る事と、報復にある。前者はサイラスと会ってはっきりさせた。後者はこれから果たす。
では、その後どうするのか。正直にいうとリナを買った時は深く考えていなかったのだが、今となっては新しい疑問が浮かぶ。それを追及するのもいいかもしれない。勿論、リナが納得すればの話だが。
『できるかは知らないけど、やりたいことができた』
「それは?」
『精霊を問い詰める』
精霊。その単語が出た瞬間、ネフィアは背筋が凍えた。
『確かに俺は精霊の方針に疑問を持っていたよ。だけど、別にサンタイトを滅ぼしたいと思ってたわけじゃない』
シンドーはサンタイトの平穏を望んでいた。方針自体は仲間たちも同じだっただろう。ところが、精霊はそんな勇者のことをいずれ世界を滅ぼす者だと断じた。知らせを受けた聖女と王は、いずれも勇者を討ち取る決断をとった。だから知りたい。精霊よ、なぜ俺を切り捨てたのか、と。
『理由を想像することはできる。ただ、本当にそうなのかは精霊に聞いてみないとわからないからね』
以前までは精霊から直接呼びかけてきていた。魔王が倒れた今、精霊からの声は聞こえない。もう勇者に用はないとでも言わんばかりだ。こうして生きているのは知っているだろうに。
『ネフィアはなんか聞いてるのかな』
「……いいえ。私はなにも」
『そっか。じゃあ君には期待しないで殺しに行こう』
「構いません。ですが、ひとつだけ約束していただきたいことがあります」
『ん?』
聖女にも罪の意識はある。疑問はあった。精霊様が仰るのだから間違いはない筈だと己に言い聞かせ、幼い勇者を追い詰めてしまった。結果的に自分たちが彼を変えたのだ。だからすべての責任は自分たちが被るべきである。
「私の首を取るのは構いません。望むのであればここで舌を噛み切りましょう」
「ネフィア様、なにを仰いますか!」
「ですが、その代わり。これ以上罪を重ねないでいただきたいのです」
聖女は動かない。じっと座り込み、許しを請うように言う。
「あなたの怒りはもっともです。私があなたの立場だとしても、納得はできないでしょう」
だから確信がある。シンドーは自分を殺した後、命を奪う命令を出した国王を屠り、やがてはすべての母と呼ばれる精霊様にも刃が及ぶだろう。神に仕える身として。この国に人生を捧げる身としては絶対に避けなければならない。
「ですので、どうか怒りを鎮めてください。私にできることならなんでもします」
『なにを言ってるんだ、お前』
シンドーの魔力から低い声が響く。
『自分の立場を理解してるのか?』
「もちろんです。私は既にあなたから殺されるだけの身なのですから」
『わかってないな。まるでわかってない』
反省がどうとか、自分の犠牲だけでどうにかなるとか、そういった話ではないのだ。サイラスにしたってそうだが、どうも嘗ての仲間は自分の意思だけですべてを決定できると思っている節がある。その思い込みが、シンドーにとってはあまりに図太く、ふてぶてしい。
『お前は地位を手に入れたんだ。お前が舌を噛み切ろうとしようものなら、きっと部下が全力で止めに来る。そもそも、お前はこのやり取りをひとりだけの空間でできているのか』
「それは……!」
『不可能だろうな。これからもっと無理になる。クロエとサイラスが死んだんだから』
勇者祭りなど開催するくらいだ。恐らく、国王は今の人間による平和の象徴を崩したくないに違いない。どんな手を使ってでもネフィアを守る筈だ。
『だからな。お前を殺したい場合、どうしてもサンタイトの国と戦う覚悟をしなきゃならない』
あの国王の性格を考えると、大事な物は厳重な場所に置いておく。同時に自分の目に留まるような場所に。城か、牢屋か、教会か。どこにしたってこれからネフィアは運ばれてしまう。本人の意思など関係なしに。
『俺は覚悟してるよ。国だって滅びしてみせるとも』
いや、むしろ滅ぼさなければならないのかもしれない。
『お前たちの精霊様はそう予言したんだ。全力で潰しに行かないとな』
「やめてください! 国には罪のない者も大勢いるではないですか!」
『国の人間を守りたいのか、ネフィア』
嘗て勇者と呼ばれた者の魔力が揺らぐ。念話が途切れる予兆だった。
『俺の気持ちがわかるんなら想像はつくだろ。俺がお前の言うことなんか聞くわけがないって』
言いたいことだけ言って、シンドーとの念話が途切れる。崩れ落ちた聖女はその場にいた兵士にすぐに抱きかかえられた。




