Ⅱ-6 戦士サイラス
何時からか、自分の名を呼ばれる際に『様』がつくようになった。3年前なら、自分が多用していた呼び方である。サイラスは戦士だ。今でこそ冒険者と呼ばれる戦士達を統率しているが、昔はサンタイト国王に仕えていたひとりの戦士に過ぎない。
勿論、当時から部下はいた。王宮に仕えていた頃の部下が。
そして、勇者一行として旅に出てからは、師匠として頼ってくれた男がいた。後に『勇者シンドー』と呼ばれる男だ。
「サイラスさまー!」
「サイラス様!」
「サイラス様だ!」
「見ろよ、サイラス様だぜ!」
勇者祭で街を訪問すると、こんな言葉が投げつけられる。戦士である時には想像もしなかった光景だ。ある者は笑い、ある者は感激の涙を流して自分たちを称えてくる。
そこには感謝と誠意があった。ありがとうを言わずとも伝わる、個人の強い意志を感じた。
やめてくれ。俺はそんな立派なもんじゃない。
「サイラス様が背負ってらっしゃるあの剣は、もしかして」
「ああ。きっとあれが精霊様から授かったという聖剣だ。あれで魔王を討ち取ったんだぜ」
違う。魔王を倒したのは俺じゃない。
何の疑問も持たずに俺を慕ってくれた少年が貰い、彼が勝ち取った物だ。自分がやったことは彼の道を開く事だけ。
「勇者様がいないのは残念ね……」
「仕方ないさ。魔王との戦いは、きっと俺たちが想像もつかない激闘だったに違いない」
あの場にいなかった者は、魔王と勇者の戦いを想像する。後から報告された情報を元に、頭の中で物語を構築する。勇者シンドーの旅路だ。物語の登場人物は決まって4人。
勇者シンドー。
聖女ネフィア。
盗賊クロエ。
そして、戦士サイラス。
彼らは素晴らしい絆で繋がれた最強のパーティーだ。だって最後には魔王だって討ち取ってくれたのだから。この平和は彼らのお陰である。だから、彼らは間違いなく素晴らしい人だ。
誰も疑わない。
民衆は笑って歓迎する。部下は頼ってくる。
だけど、俺はそんな立派な人間じゃない。
民衆が言うように、ここにいるべきなのはシンドーだ。誰よりも人間の為に――――いや、平和の為に戦ってきたのは他ならぬシンドーである。
俺は勇猛果敢な戦士じゃない。誰よりも強いと自負していたのは確かだ。だけど、そんな風に呼ばれる資格はない。
シンドーを切ったのはサイラスだ。
民衆が素晴らしいと思う仲間たちが、勇者の信頼を裏切って殺しにかかった。今のサンタイトでこんなことを信じる奴がいるだろうか。きっと理解しているのは当事者と命令を出した人間だけだろう。
決行の前夜、クロエから持ちかけられた。勇者の抹殺を、だ。
『正気か!? なんでシンドーを殺す必要がある!』
『国王様の命令だ。俺はそれを実行するのが仕事でね』
業務的な口調だった。長い時間を共に過ごし、生死を分かち合ったというのに、この男はどこまでも任務に忠実で、クールだ。
『なぜ国王様は……』
『ネフィア。お前ならわかるんじゃないか? 精霊様からお告げがきたと思うんだが……』
『……まさかクロエ。あなたも?』
『いや。聞いたのは国王様だ。俺はあくまで代理でしかない』
『精霊様がお前たちになにを言ったというんだ!』
サイラスが詰め寄ると、ネフィアは重々しい口調で告げる。
『シンドーがサンタイトを滅ぼす。精霊様は確かに仰ったわ』
『国王様も同じだ。シンドーがサンタイトを滅ぼす』
『そんな馬鹿な事があるか!』
クロエを締め上げ、今にも絞殺しかけない力で持ち上げた。クロエは平然とした表情でサイラスを見下ろしている。
『知ってるだろ。あのシンドーだぞ。誰よりも魔王討伐に尽力した奴だ!』
『そうだ。だが、それがどうした』
『なに?』
『俺たちの使命はあくまでサンタイトの平和を守ること。精霊の剣が俺たちにないなら、第二の魔王が生まれる前に動くべきなんじゃないか?』
『貴様……』
『冷静になれよ、サイラス。俺たちが仕えているのはサンタイトか? それとも、シンドーか?』
国か、個人か。
誇りか、友か。
彼らは選択を突き付けられた。
クロエは迷わない。ネフィアは声を聞いてからずっと迷っていたが、国王が動いたことで決意がついたようだった。
『国がどうなっても構わないなら、ここで俺が引導を渡す。俺はそうしなきゃならない』
サイラスに悩む時間は無かった。
クロエに迫られ、なにも返す言葉がない。
結局、それがサイラスの答えになった。
クロエは死んだ。だというのに、勇者祭は行われている。国王は自分たちの慰安が目的だと言っていたが、あまりに神経が図太すぎると思う。
「サイラス。まだ悩んでいるの?」
夜。宿屋の窓から夜風にあたっていると、背後からネフィアに声をかけられる。
「……クロエがやられたんだ。気持ちよくはないさ」
「そうね。私もそうよ」
クロエが倒れ、国王はある一手に出た。それは勇者祭を開催し、本当に勇者一行を狙った犯行なのかを見定めることである。もしもサイラスとネフィアに凶行が及ぶのなら、彼らを護衛する兵士達が一斉に取り押さえる。
当然、サイラスとネフィアも戦力として数えられていた。彼らは護衛対象であると同時に、最高戦力なのだ。クロエがやられたとしても、このふたりが同時にかかったらひとたまりもない筈である。国王はそう考えていた。
「ねえ。サイラスはどう思う?」
「なにが」
「クロエを殺したのが、本当にあの子なのかどうか」
兵士達が見ている手前、言わないでいたが。もしかすると彼が生きていて、復讐に走ったのかもしれない。サイラスも同様のことを考えていた。
しかし、そんなことがあり得るのか。確かに、致命傷はわざと外した。心臓を抉り取ろうとするクロエを説得し、手足にも留めている。だからといって、彼が浮けたダメージは致命傷でしかない。魔物の巣窟である暗黒大陸で、どうやって生き残ったのだ。
「もし、そうだったとしたら。ネフィア、お前はどうする?」
「どうって……」
「黙って受け入れられるのか?」
ネフィアは口籠る。形はどうあれ、シンドーが平和の妨げになると思って攻撃したのは事実だ。その点は攻められない。
しかし、シンドーがその怒りで予言どおりにサンタイトを滅ぼしにかかるというのなら。
「俺は、アイツが望むなら首を差し出してもいいと思ってる」
「サイラス! 間違ってもそういうことを言わないで。ここにはあなたを慕う人間が大勢いるのよ!」
「だが、俺はその資格はない」
俯き、サイラスは黙り込む。ネフィアも先程の返事をすることができず、どちらも沈黙してしまった。
しばし時間を置いたのち、サイラスは切り出す。
「……すまない。お前の言う通りかもな。今のサンタイトで、俺たちが急に死んでいくのは不味い」
「いいえ。私こそ、ごめんなさい」
シンドーに首をくれてやるべきだ。その考え自体は過ちではないとサイラスは思う。
しかし、今のサンタイトは不安定だ。元勇者一行が活躍することで魔物たちも制御し、平和を保っていられる。そこが崩れたらまた悪夢が始まるだけだ。人間と魔物による殺し合いが続く。形は歪かもしれないが、平和ならそれに越したことはないのかもしれない。
そんなことを考えている時だ。
『サイラス』
ふと、聞き覚えのある声がサイラスの耳に届く。
周囲を慌てて見渡すが、自分とネフィア以外に人影はない。護衛の兵士達がいるくらいだ。
『サイラス。俺は今、協力者の力でお前だけに語りかけている』
空耳かと思ったが、今の言葉で確信した。
『彼』はこちらを見ている。ネフィアに話そうと口を開く。
『ダメだ。今はサイラスに話しかけている。他の人間。ましてやネフィアに声をかけるというなら、俺にも考えがある』
サイラスは押し黙った。
それを返答と受け取ったのか、彼の声は次の言葉を言い放つ。
『いいか。今から3刻後、ハナッジの森にひとりで来い。アンタと話がしたい』
ハナッジの森はここから離れた場所にある、人の住んでいない森だ。魔王が存命だった頃は魔物の巣窟だったが、今となっては魔物も別の土地で隠れて生活している。
『断れば、この街に火をつける。別の街でもいいぞ。アンタ以外の誰かひとりでも来ても同様だ。俺には協力者がいる。できないと思わないでくれよ』
選択の余地などない。
お前にそんな資格などないのだと言わんばかりに強く言うと、彼は最後の言葉を告げた。
『じゃあ、森で待ってるよ。戦士サイラス。久しぶりの再会だ。楽しみだね』
声は途絶えた。サイラスは拳を握りしめ、唇を噛み締める。
「……ネフィア、今日はもう寝よう。明日も早い」
「そうね。見張りの兵士達にもそう伝えておくわ」
「頼む」
踵を返し、ネフィアが部屋を去る。サイラスは額から流れ出る汗を拭い取ると、決意に満ちた眼差しで窓を閉じた。




