序章Ⅰ 抹消された男
その話を聞いたのは、シンドーが魔王を倒してから1年ほど経った頃だった。
ぼんやりと光るランプに照らされた食卓の席に座り、左手でパンを貪る。堅めの生地を食いちぎる姿は獰猛な野獣のようにもみえた。
が、家主であるバースゴックはとくに気にする素振りを見せず、上機嫌に語りだす。
「なあ、シンドー。今日、面白い物を見てきたんだよ」
「なにを見て来たって?」
その時のシンドーはバースゴックの話にとりたて興味を抱いていなかった。彼の話は基本的に娯楽が関与している。闇商人として貴重な商品を流通させ、大量の資金のやりとりをしているうちに遊びに嵌ってしまうのだ。上流階級と商談を進める手前、そういう遊びに興じる機会が多いのだろう。
もちろん、彼が1年かけてたっぷり語ってくれた娯楽の話はすべて違法だ。この国のルールに反して行われている。
シンドーはそういう危険な遊びに興味はない。あるのは世界の『状態』だけだ。とはいえ、お世話になっている家主がご機嫌に語ってくれている以上、無下にするわけにはいかない。
「また女のハダカ?」
「お前、本当に男か? イイ女の話題ってのは盛り上がるもんだろ」
「こんな身体じゃ女も抱けないさ」
「そりゃあ悪かったな」
悪びれた様子も見せないまま、バースゴックはグラスに酒を注ぎこむ。
そのまま一気に飲み干すと、家主は改まって席に座るシンドーの身体を見た。右手はない。左足も膝から先がまるごとなくなっている。顔に至ってはこの1年間ずっと包帯を巻いていた。シンドーの顔には今でも消えない火傷がこびりついている。唯一、彼が生きている証があるのなら、満足に動く左手と包帯の隙間から見え隠れする瞳の動きくらいだ。
「何時みても酷いな。痛みはまだ治まらないのか?」
「手足はね。だけど、火傷はかなり堪えるよ。借り物とは言え、精霊から受けた傷だから」
「相変わらず、か」
「俺のことはどうでもいいさ。それより、面白いことがあったんだろ?」
「ああ、そうだ。コロシアムを知ってるだろ?」
コロシアム。
シンドーがこんな身体になる前から浸透していた違法の賭けごとだ。
「モンスター同士を戦わせて、誰が勝つかを賭ける遊びだね。噂に聞いたことがある」
「お前さんが魔王を倒したお陰で、各地から更に派手なモンスターが集めらるようになってな。たぶん、お前が知ってる以上に盛り上がってるだろうさ」
「まるで奴隷だ」
「そう、奴隷だ」
闇商人は否定しなかった。魔王が倒れ、人とモンスターの争いは決着がついた。が、次に始まったのは人間による狩りだ。
「今や使用人に見た目のいいエルフや獣人を使うのも上流階級の鉄則になっている。聞けば、街の建設にも力のあるモンスターが無給で送り出されてるって話だ」
「同じように、見世物であるコロシアムに出場するモンスターも種類が増えたってわけか」
「そうだ。だが、今日見てきたのは特に凄い」
そう言うとバースゴックは身を乗り出す。
「なあ、シンドー。ドラゴニュートって知ってるか?」
「……まさか、いるのか?」
「ああ、いたんだよ」
ドラゴニュート。
数ある魔物の中でも、特に能力が優れていると言われているドラゴン。それが人に近い形で生まれたのがドラゴニュートである。
しかし、実物の発見例は極めて少ない。
シンドーも3年間世界を周り、多くの魔物と戦ったが見たことが無かった。最後の魔王との戦いでもそうだ。精々文献に掲載されていた程度の知識しか持ち合わせていない。
「それもかなりの戦闘能力だ。ジャイアントオークとバイコーン、それにハイデュラハンの3体を一瞬で蹴散らしやがったんだよ!」
「その3体を!?」
いずれも魔王がいた城とその近辺に生息していた、高レベルの魔物たちだ。五体満足だったシンドーでも、ひとりで相手をするのは絶対に避ける組み合わせである。
「しかも、たったひとりでだ! お陰で全員がドラゴニュートに賭けて、儲けが少ないったらありゃしねぇ」
口では文句を言いつつも、バースゴックは堪らなく嬉しそうである。
そのドラゴニュートの戦いをよほど気に入ったのだろう。この闇商人は少し品がないが、欲望に忠実だ。
「あんなに圧倒的な力があれば、コロシアム以外でも働けるだろうな。もっとも、雇い主が制御できるかは疑問だが!」
「そのうち、コロシアムからもあっさり出ていくんじゃないかな」
「それだよ。オーナーも危険視していたぜ」
「交流があるのか?」
「今日商談を済ませてきた」
だが、実際問題。強すぎる魔物の存在はコロシアムにとって邪魔でしかない。
バースゴックが見たところ、ドラゴニュートに勝てる魔物はコロシアムにいないだろう。今でこそ大人しくしているが、いつ暴れ出すことになるか。
「世の中には自爆するモンスターがいるそうだが、あいつはそれを抱え込むよりも怖いだろうな。いかんせん、見た目がいいだけに勿体ない話だ」
「…………」
一通りの話しを聞き終えると、シンドーはパンをテーブルに置いた。
やや頭を傾け、沈黙。
「ん? どうした、シンドー」
「バースゴック。そのドラゴニュート、買えないか」
口に含んだ酒を噴き出した。
咳き込んだ後、闇商人は吼えるように言う。
「お、お前! いきなりなにを」
「コロシアム側は扱いに困ってるんだろう。だったら早急に新しい雇い主を探したいと思うんじゃないか?」
「いや、そりゃそうだが……珍しいな」
「なにが?」
「お前が欲しがることなんてこの1年、一度もなかっただろう。最初は恩を着せて、貸しを作ろうとは思ってたんだが」
「本人を前にして言うか」
「長い付き合いだ。それに、お互いにお互いの秘密を知っている」
バースゴックは溜息。
しばし考え込むと、やがて何かに気付いて顔を上げた。
「シンドー。お前、まさかと思うが」
「なんだ」
「ドラゴニュートを買うってのは、ただの使用人としてじゃないだろう」
「そこまでわかってるなら話が早いな」
「当たり前だ。さっきも言ったが、長い付き合いだ。お前の身になにがあったのかも知っている」
立ち上がり、シンドーの慣れの果てを見る。
あまりに無残な肉体だった。世界を救うためにすべてを捧げた男の末路にしては、あまりに残酷すぎる。
「いいか、シンドー。俺はお前に同情している。だからお前の治療もしたし、こうして暮らしと飯も提供している」
「それには感謝しているさ。お陰で俺はこうしてまだ生きていられる」
同時に、復讐のチャンスを伺うこともできる。
かつて勇者と呼ばれた男は、憎しみだけを抱えて生きてきたのだ。その為に世界の情報を知る必要があった。こんな身体では、ろくに外に出れないから。
「だから助けたついでに、もうひとつお願いを聞いておくれよ」
「お前、自分がなにを言おうとしてるのかわかってるのか?」
「一緒に魔王を倒した仲間を殺す。その為の駒が必要なんだ」
言った。今となっては各々が組織の重鎮となったこの世界で、勇者と呼ばれた男はあっさりと口にしてみせた。
「そのドラゴニュートはきっと俺の願いを叶えてくれる筈だ。金が足りないなら、俺の臓器でも出すといい」
「冗談でもそんなことを口にするな」
「これが冗談に見えるか?」
包帯の隙間から見えるシンドーの眼差しが、バースゴックを捉えた。
まったく曇りのない、強い光が輝く瞳だ。同時に、今にも爆発しそうな凄みさえ感じる。
「俺は本気だ。同情してくれているんだろう。だったら頼むよ、バースゴック」
闇商人は言葉を発することができなかった。
代わりにできたのは、息を飲むこと。
シンドーの眼光に飲まれた闇商人は、やがてゆっくりと首を縦に揺らした。




