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隣の席の相島君  作者: 伊藤 唯羅
本編
7/28

内緒よ

 夏期休業が終わった。

 本日は始業式だ。


「おはよー、黒田!」

「おはよう相島君。久し振りね」


 だなー! と元気な声が教室に響く。


 二人の登校時刻は早い。

 といっても相島君は以前は遅かったのだが、勉強会が始まって以来朝にも勉強する様になり、こうして早くに登校する事となった。


「数学、大分理解出来るようになってきたぜ」

「じゃあ私はもう用済みかしら?」

「そんなこと言ってないだろー。黒田先生にはまだまだ教えて貰いたい事が沢山ありますよ」


 おどけた調子で冗談を言い合って、そして早速問題集に取り掛かった。

 冗談を言い合える仲。

 少し前であれば、そこそこの会話はしていてもここまで馴れ合う様な会話は無かった。

 それ程までに二人の距離は縮まっている。

 お互いが相手を気の置けない存在だと感じるようになっていた。


 黙々と問題を解いていき、偶に彼が彼女に質問し、それをひたすら繰り返して暫く経った頃。

 それまで続いていた集中と緊張を切って、彼がおもむろに口を開いた。


「あのさ」

「何?」

「ぶっちゃけ俺って黒田に迷惑かけてたりしない?」


 お互い口を動かしながらもシャーペンを持つ手の動きを止める事はない。


「何でまた」

「いや、黒田だって自分の勉強あんじゃん。なのに毎日遅くまで残ったり図書館に居座ったり、俺の為に……」

「馬鹿?」


 とうとう彼は手を止めた。

 顔を上げれば彼女もいつの間にかペンを置き、彼の事を見据えていた。

 視線が絡み合う。


「迷惑だなんて言ってないし、思ってもいない。教えるのだって自分の理解度上げるのに役立ってるわよ。そもそも、本当に迷惑だったらこんな事とっくに辞めてるわ」

「まあ確かに黒田だったらはっきり言うか……。でも何だかんだ言って優しいし押しに弱かったりするから、だから」

「だ・か・ら! 私は心底どうでも良い相手だったら気を遣うどころか無視するっての。……相島君って結構“気にしい”よね。ていうか、私優しくなんてないし」

「あ、いや、そうだな。俺ってちょっと気にしすぎなのかも」


 桜が眉に皺を寄せ一気に捲し立てれば、相島君は困惑した顔で押し黙った。

 そしてすぐにほっとした顔をした。

 その様子を見て桜は呆れて溜息を吐いた。


「まさか、ずっとそんな事考えながら勉強してたの」

「はは……あ、でも! 黒田は優しいよ」

「ちょっと、それ掘り起こす?」


 優しい。優しくない。優しい! 優しくない!

 それから暫く抗争を繰り広げたものの、決着は着かなかった。

 終わる頃には息を切らし、只の意地の張り合いと化していた。

 漂う疲労感の中、二人は再びペンを取る。

 そして各々の勉強を再開して、彼がそういえばと宣った。


「黒田は進路どうすんだ?」

「私?」

「成績良いし理系だし。やっぱ医学部か? 東京の国公立大狙ってるとか」

「私は……」


「相島じゃーん! 何やってんの?」


 桜の声を遮って教室に入ってきたのはクラスの女子三人組だった。

 はよっす、と元気で明るい挨拶を彼にしている。

 黒板上の掛け時計を見ると針は八時十二分。誰が来てもおかしくない時間だ。


「で、何してんのー?」

「密室で女子と二人でなんてアヤシーイ」

「変な言い方すんな。勉強だよ、ベンキョウ!」

「相島が勉強ー!?」

「ナニナニ、寂しい夏休みを過ごしちゃったせいでアタマおかしくなっちゃった?」

「やっべー、槍とか振るんじゃねー?」


 キャハハハと女子達が笑う。


「うっせー! 兎に角勉強してんだから邪魔すんなよ」


 彼もまた、笑いながら返した。

 女子達から再び笑いが起こる。


「で、黒田。話の続き……」

「ねー、相島ァ! 勉強なんて良いから夏休みの事語ろうよぉ」

「あんたいないとウチらつまんないじゃん?」

「あっでも独り身の夏休みの思い出なんて聞いても相島のココロのキズが抉られちゃうだけかー」


 カワイソーと三人の声が重なる。

 相島君は「ずっと勉強してたよ」と一言だけ放った。


「へー?」

「嘘つくなー」

「嘘じゃねって。今に見てろよ、お前らに阿呆阿呆言われてる俺が、アッという間に抜かしてやるからな」


 相島君はふん、と茶目っ気を混じえながらも、瞳だけは真剣に、声高らかに宣言した。

 彼女達は気付いていない。彼が本気で言っているという事に。


「それ抜かせないフラグー」

「やれるもんならやってみやがれー」


 へへっとふざける彼女達に、桜は成程なと思った。

 彼は獣医になるという夢を話しても馬鹿にされるだけだと言っていた。本気にしてもらえない。教師や親、そして友人達にも。

 最近の勉強への真面目さから、先生方は彼が本気で獣医を目指している事に気付いただろう。

 だが、この級友達は。

 きっと、恐らく。理解しようとすらしていないのでは、と。


――別にいいじゃないか。私が知っているのだから。私だけが彼を…………。


 そこまで考えて桜の思考は停止した。


――意味が分からない。


 桜はふぅと深く息を吐き、未だ彼に絡んでいる彼女らを一瞥した。

 彼の方は笑って返しながらも、手と視線は問題においていた。

 桜は小さく笑みを浮かべて、彼の名を呼んだ。


「相島君」

「うん? どうした」

「さっきの話の続き。私は」


「内緒よ」



 一際大きな声で。





 ***





 朝のSHRが終わり、始業式が始まる。

 廊下に男女分かれて出席番号順に二列に並び、合図があるまではそれぞれ会話をして暇を潰す。

 相島君からそれなりに近い位置に並んでいた桜は、話し掛けてきた彼と本日帰ってくる模試の結果について話し合っていた。


「あー、自己採点で大体の点数は分かってるけど、やっぱり緊張するなー」

「出来たと思っても平均が高かったりとか、判定は大して良くなかったりするものね」

「それなんだよなー」


 彼の目指している大学は偏差値がかなり高い。

 もともと獣医学科自体が高い為に、更に難易度は上がってしまう。

 だが。


「相島君なら大丈夫よ」


 約一ヶ月、桜は彼の努力を見てきた。

 解いて解いて解いて、分からなくなったら即聞いて理解して、また解いて。

 この短期間で彼の学力は見違える程上がった。

 ――元々理解力はそこそこある相島君だ。何故今まで勉強して来なかったのか、不思議ではあるけれど。少なくとも、この一ヶ月は努力できたのだ。今の所心が折れている様子も無し。


「今のまま努力し続ければ、だけどね」

「ああ、頑張るぜ!」

「よし、準備は終わったみたいだな。クラス委員、頼んだぞー」


 相も変わらずにかりと笑顔振りまく彼は、担任の合図で前を向いた。桜も他の皆に習って整列した。

 すると、彼が思い出したかの様に桜の方へちらっと振り返って、


「それ、やっぱり似合ってるな」


 と、小さな声で囁いた。その後ににひっと笑う事も忘れない。

 彼が再び前方に視線と身体を戻した。

 桜は、今ここで言うかと心中で文句を付けたが、その表情はとても柔らかなものだった。

 ちりん。

 それは彼女の耳元で小さな音を放った。


 クラス委員が先頭となって歩き出す。

 桜達も後に続いた。

 廊下が動き出す。ぞろぞろと頭と足が揺れる。

 この時にお喋りを続けている者は誰一人としていない。

 だからそれは桜の鼓膜にはっきりと響いた。




「調子乗ってんじゃねぇよ」

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