開封テープ
仲は悪くないと思うが、祖□、父母、兄、自分と一家全員人見知りで平素連絡を取り合わない。
就職で実家を去って以来振りに父から連絡を受け、祖□逝去との事だったので線香を上げに帰省すると、兄が実家へ戻っていて妻を得て1子を儲けていた。
帰省ではなくUターン。数年前、結婚を機に妻を連れて戻り、現在子は半年過ぎだそう。
剛毛でもさもさの髪と眉と剃り跡の青々しい髭に縁取られた団子鼻と、陰湿そうな鋭い目に浮腫んだ風に下膨れの頬が絶望的に噛み合わず冴えなかった兄は、髪を刈り込み眉を整え跡形もなく髭を脱毛し、すわ無頼者の眼光が鼻と頬の愛嬌で中和された小綺麗な中年に様変わりしている。
誰の導きによる物か一目で分かるほど嫁の佇まいが洒落ている。
洗練された濃い女優眉にハイライトで華を添えつつ色味は抑えた質実な化粧。髪と瞳と所作の美しさが顔の造形や服装の如何を凌駕する、雰囲気が上等な女だ。
互いに余所余所しく口籠り挨拶めいた呻きを交わした兄から妻子の紹介を受ける間、“どうしてお前がこんな女”と顔が引き攣るのを誤魔化すため生来の仏頂面を愈々硬直させ続けるのに相当の労力を要した。
根暗な無口が揃い踏み、折しも葬式然たる我が家に、兄嫁と子の仄明るい彩りと来たら夜桜や洞窟のヒカリゴケのよう。
祖□の墓前に参って早々、ひと眠りしたら帰ろうと茶の間で弾ける子の不規則かつ全力の奇声を子守歌に客間で畳へごろ寝したところ夢を見た。
自分が就学前、兄が部活で腹を空かして帰り掛けにコンビニで買って来たお握りをちょうだいと駄々を捏ねて譲り受けた記憶の夢だ。
原資は兄の小遣いで父母から補填はない。その上こちらも我が儘いうんじゃないと父母から叱られはしたものの、譲った兄もお前は飯前に食べさせるんじゃないと叱られた。
けれど兄に譲られなければ此方は騒ぎ続けた果てに泣いただろう。すると結局さわぐんじゃない、お前は泣かせるんじゃないと何れにせよ兄は叱られる。
もっと早い時間に帰宅しおやつを貰っていた自分は腹が空いていたのではない。
コンビニお握りの包装フィルムのぴろりと突き出た細い帯の端を摘まんでさっと捲り、戦隊物の合体ロボの如く複雑な機構から海苔を解き放って巻きたかった。且つ成果物としてのお握りを占有したかった。
お握りを自分で手に入れられる権能を有した兄から当のお握りを得る事で、己も権能の一端を味わう代償行為でもあった気がする。
あの白く細い帯を開封テープとかティアテープとか呼ぶらしい。
取り留めのない夢の渦中で、不意に空気の揺れを覚え目が開いた。
思い掛けず暗い客間の半開きの襖から差す茶の間の照明の白光を背負って黒い影と化した兄嫁が、懐かしい見た目と肌触りの使い込まれたタオルケットを此方へ掛けている所だった。
そんな、ガキじゃないんだからと、驚きと羞恥、鬱陶しさと苛立ちが吹き出し、勢い跳ね起きた拍子に右手の中指の爪の脇へ引っ掛かった鋭い痛みが走る。
子は寝て父母と兄は部屋やら風呂やら散っているのか茶の間に人の気配は無く、図らずも起こして仕舞った風な兄嫁のあっとする気配と、自分が痛みに息を呑んで右手中指を握り締める音がけたたましく癪に障る。
すみません。起こして仕舞って。指いためました?見せて下さい。
心配り以上の感情の波が一切ない声と挙動で両手を掬い上げられて庇う左手を引き離され右の中指が露出する。
乏しい光源に色の暗んだ少量の鮮血が爪の右側の付け根を見る間にしみしみ濡らしていて、爪に沿って縦に裏返ったささくれが白々と仰け反り立っている。
此方が顔を顰めて右手を取り戻すより先に、兄嫁の指が端を摘まみ力んで一息に剥いた。
痛みに体が竦み上がり歯噛みして強張る間に、細い帯は手首から腕へ上り、肩から首筋を辿って、顎から額を経由して左側の経路へ下りて、直ぐ中指まで到達する。
兄嫁は指で端を摘まんだまま、斜め後ろへ振り被るように腕ごと半身を捻転させ、目と口のほんの際を光に覗かせまた向き直って影になる。
熱線が右と左の中指から中指までを繋ぎ、本能的な直感に狼狽と危機を来して素早く両手で受くも虚しく、開封された線通りに包装の前面が捲れ、重みで更に剥がれ落ちて、腹まで曝け出されて仕舞った。
無事な後頭部や背の辺りが、かっと熱く、汗を掻く感じがする。
捲れて仕舞った前面は、堪えられないほど寄る辺なく、濡れて、すうすうと冷える。
慌てて包み直さんと抱える此方の腕を制し、兄嫁が中身を覗き込み、静かな意外の声を漏らす。
ああ。
私じゃなくて、□□さんの方なんですね。
覗き込まれた真ん中には、冴えない兄が収まっている。
たとえ腹が空いていようが、無益に小遣いを失くそうが、どう転んでも叱られようが、ただ家族のくくりで先に生まれたと言うだけで兄たろうとする故にお握りを譲ってくれる、
冴えない**うとに相応しい唯一無二の自分だけの兄が、明け透けで幼稚な桃色の、柔らかなつるつるに押し詰められ、溶解し掛けのゼリー質な薄緑のとろみに塗れている。
仲が良いんですねと一転兄嫁が嬉し気に兄へ触れようとしてくるので、躱して雑に包み直し立ち上がって帰る旨を呻く。
恥ずかしさで目頭が炙られ、食い縛った顎と蟀谷が痛んで指と膝が震えている。
半開きの襖を開いて客間を出、茶の間を通過する途中で、からからと玄関の引き戸が鳴って廊下で兄と搗ち合った。
兄は此方を認めると、泊まっていっても良いし、帰るなら送るとぼそぼそ言う。いや大丈夫と擦り抜け様突き出されて受け取ったレジ袋にコンビニのお握りが入っている。
“ありがとう”と“また来い”をしどろもどろに交わし、追い付いた兄嫁から目を逸らし体だけ向けて辞去の礼と共に去る。
実家最寄りの駅で改めて見たお握りはシーチキンだった。
なにぶん碌に会話しないので兄はあの日から未だに駄々を捏ねて奪い取るほど此方の好物と思っている。
細い帯の端を摘まんでさっと捲り、駅で食べごみを捨てて帰る。
次に兄と会う時は、ずっと先、親の死に目で良い。
終.




