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第8話:悪臭の線(ルート)

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。



 深夜のグレイヴァルド王国、王都。


 その下街(ダウンタウン)。


 貧しい人々が暮らすこの区画には、独特の匂いがよどんでいる。


 汚水の臭い、湿った木材の臭い、そして——隠しきれない『生活』の臭い。


「……ちょっとくさいねぇ、あなた様」


 建物の屋根の上。


 私の腕にぴったりとへばりつきながら、アウレリアが不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 彼女は今、黒のドレスの上に、闇に溶けこむための黒いフードを羽織っている。


 アウレリアはまだ聖白教と縁を切ったわけではない。


 信仰は捨てたが、職務としては変わっていないのだ。


 顔を隠す必要はある。


 まぁほどいた金髪が顔の片側を隠しているし、その上この様子……フードもあればわからないだろう。


 普段からすると雰囲気が違う。


 少し自由すぎるぐらいだ。


 その下から伸びる手は、私のコートの袖を愛おしそうに撫で回している。


「臭いは我慢しろ。獲物が通る道だ」


「うん、わかってるよぉ。あなた様とのデートだもん、ゴミ溜めだって花畑みたいなものだよねぇ」


 彼女は私の肩に頭を預け、クスクスと笑う。


 相変わらずの耽溺ぶりだ。


 だが、その目は笑っていない。


 通りを見下ろす視線は、獲物を狙う猛禽類のそれだ。


「——来たよ。……あの『徴税官』が」


 彼女が細い指先で指し示した先。


 路地の向こうから、松明の明かりと共に、異様な集団が現れた。


 武装した聖教騎士数名に守られ、中心をのし歩くのは、丸々と太った男だ。


 王都の徴税官、ボルグ。


 聖白教の神官服が悲鳴を上げるほどに膨張した腹。


 脂ぎった顔。


 彼は鼻をひくつかせながら、獲物を探している。


「……ここだ! ここから『不浄な油』の臭いがするぞ!」


 ボルグが金切り声を上げ、ある一軒のボロ家の扉を蹴り開けた。


 中から、老婆の悲鳴が上がる。


「お、おやめください! それは病気の孫のために……!」


「黙れ! 聖白教典において、日没後の獣脂の使用は禁じられている! これは没収だ!」


 ボルグの指示で、騎士たちが家の中から小さな鍋を持ち出した。


 中に入っているのは、ほんの少しの脂が浮いた、薄いスープだろう。


 貧しい彼らにとって、それは数日分の栄養であり、命綱だ。


「お許しを……どうかお許しを……!」


「秩序を乱す異端者めが。神に感謝せよ、この場で処刑せぬだけ慈悲深いと思え!」


 ボルグは老婆を蹴り飛ばすと、奪った鍋を大事そうに抱えこみ、中身を覗きこんだ。


 その瞬間。


 私は『視界強化』の魔法越しに、見てしまった。


 奴が、鍋から立ち上る湯気を吸いこみ、下卑た舌なめずりをしたのを。


「……見たか、アウレリア」


「うん、見たよぉ。……気持ち悪い。あいつ、あのスープを『廃棄』なんてしないよ」


 アウレリアが私の耳元で、呪詛のようにささやく。


「自分の屋敷に持ち帰って、夜中に一人で啜るんだよ。……『汚らわしい証拠品を、私の聖なる胃袋で浄化してやる』とか言い訳しながらね」


「腐っているな」


 私は吐き捨てるように言った。


「まったくボルグ様は聖人だ」


 聖教騎士のひとりが親しげに言う。


 対するボルグもニヤついて返す。


「小隊長、貴様も聖人であろう」


「最もです。わーははは」


 言いながらまた別の家に顔面をこすりつける。


「ここもだ」


 そしてボルグはまた別の玄関を蹴り始めた。


「くくっ! ここからアブラの臭いがするぞぉ!」


「お待ちを! ワシはこれから仕事で」


「言い訳はいいわけなんだよぉ!」


 そう言って丼ごと奪い取る。


 どうやらヌードルのようだ。


「こいつぁ……まったくの異端だ! こいつ! 処刑されたいか!」


「おやめください! おやめください!」


 聖教騎士が凄んで、剣を抜こうとする。


 住民は涙を流しながら謝った。


「仕方ないなぁ! こいつはもらっていくぞ!」


 奴は信仰心から取り締まっているのではない。


 ただの『食欲』だ。


 他人の食事を奪い、それを貪ることに倒錯的な優越感を感じている、卑しい豚だ。


「助けてあげないのぉ? あなた様ぁ」


「まぁ、待てアウレリア。勘違いしてほしくないのは、我々は決して正義の味方ではないということだ。我々は堕落させるために存在しているのさ」


 ボルグの一行は、満足げに次の家へと向かっていく。


 その後ろ姿を見送りながら、私は静かに怒りを燃やした。


 単純な悪党ならまだいい。


 だが、神の名を騙り、弱者のささやかな幸福を踏みにじる偽善者は——私の『理想』には不要だ。


 そして彼……徴税官ボルグの背後に魔力のダーツを投げる。


 これによって彼の視界はいつでも同調可能になった。


 私は怒りを抑えながら、低く、つぶやいた。


「ノクス」


「はい、ここに」


 背後の闇から、ノクスが音もなく現れる。


「奴の巡回ルートの先……『第四区画の広場』に罠を張る」


「準備は完了しています。ダンジョンへの転移(ゲート)……コードネーム『屋台(YATAI)』を展開します」


 私は頷いた。


 奴の鼻面を引きずり回すには、やはりダンジョンしかない。


 暖簾(のれん)をくぐった瞬間、こちらの領域(テリトリー)に引きずりこむ。


「作戦開始だ。……アウレリア、君の出番だぞ」


「はぁ〜い」


 アウレリアがフードを脱ぎ捨て、艶然と微笑んだ。


「ねぇ、あなた様。あの豚が罠にかかったら……私も『ご褒美』もらえるよねぇ?」


「成果次第だ」


「んふふ、厳しいなぁ。でも、そこが好き」


 彼女は私の顔に軽く頬擦りすると、猫のような身軽さで屋根から飛び降りた。


 闇夜に金髪がひるがえる。


「さあ、おいで豚さん。……こっちに、とびきり『堕落』した餌があるよぉ」


 私は去っていくボルグに向かって指を鳴らす。


 すると魔力の回路(パス)がまっすぐ飛んでいき、彼の頬に当たった。


「見せてもらおう。彼の鼻息が荒ぶる様を」



          ◇



 数分後。


 ダンジョンから私は視界同調(シンクロ)を発動させた。


 見えるのは第四区画広場。


 徴税官ボルグは、上機嫌だった。


『(今夜の収穫は上々だ。)』


 彼の心が聞こえる。


 スープが三つ、干し肉が二つ。


 腹の中にはヌードル。


 もっと食いたいもっともっと。


 歌うようにそう思考した。


 聖教騎士たちも満足した様子。


 私はその姿を、ボルグの視界を通して見ていた。


 徴税官の足取りは軽い。


 帰宅後の秘密の夜食、いや浄化の儀式が楽しみで仕方がない。


 そんな様子だった。


「ふん、愚民どもめ。欲望を抑えきれぬとは、なんと浅ましい……ん?」


 ふと、彼の巨大な鼻がピクリと動いた。


 風に乗って、奇妙な匂いが漂ってきたのだ。


 それは、今まで嗅いだことのない匂いだった。


 強烈な獣臭。


 だが、不快ではない。


 脳の奥底にある、原始的な食欲中枢を直接鷲掴みにするような、暴力的で、抗いがたい『旨味』の匂い。


「な、なんだ……この匂いは……?」


 ボルグの足が止まった。


 部下の騎士たちには気づけない、彼の肥え太った嗅覚だけが捉える悪魔の芳香。


「お前たちは先に戻っていろ。私は……少し見回りをしていく」


「はっ! ですがお一人では……」


「くどい! これは高度な聖務だ!」


 ボルグは騎士たちを追い払うと、匂いの元へとふらふらと歩き出した。


 路地の陰になっている場所。


 彼の目に映るのは濃い霧。


 そしてその中に立つ……一軒の古びた……屋台。


 赤提灯が揺れている。


 そして、その暖簾の隙間から、黄金色の光と、あの暴力的な香りが漏れ出している。


「……背徳の、匂い……」


 ボルグはゴクリと喉を鳴らした。


 しかし、彼は少し目を見開いた。


「だが、なんだ? これは……」


 そうだろう。


 怪しい。


 あまりにも怪しい。


 けれど、彼の足は止まらない。


 彼は吸いこまれるように屋台に近づき……震える手で、暖簾に手をかけた。


「……検分、だ。あくまで、検分……」


 一歩足を踏み入れる。


 暗転。


 フッ、と空気が変わった。


 それを彼は感じたようだった。


 王都の冷たい風が消え、湿度のある、温かい空気に包まれる。


 そこはもう、路地裏ではなかった。



 私の支配する、ダンジョンの『胃袋』の中だった。


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