第5話:影からの再会
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
ダンジョンの床に、黒いインクをぶちまけたような『影』が広がる。
私が展開した移動魔法、『影門』。
転移とは異なり、自分自身をあらゆる場所に移動させることができる魔法だ。
「ノクス。茶会室の準備はいいか?」
「万全です、旦那様。最高級の茶葉と、焼きたての菓子をセットしてあります」
「よし。……行ってくる」
私は黒いコートの裾をひるがえし、自身の影の中へと足を沈めた。
冷たい水に潜るような感覚。
重力が反転し、裏返る世界。
次の瞬間に、私は『出口』——アウレリアの部屋の隅にある、タンスの影から音もなく浮上していた。
深夜の独身寮。
月明かりだけが差しこむ静寂の中、ベッドには規則正しい寝息を立てるアウレリアの姿がある。
私は音を殺して歩み寄る。
(……無防備だな。激務で疲れているし無理もな——)
私がそう思い、一歩足を踏み出した、その瞬間だった。
「——動かないで」
切っ先が、私の喉元数センチで止まっていた。
アウレリアはベッドの上に膝立ちになっていた。
ペーパーナイフを逆手に持って、正確に私の頸動脈を狙う。
その瞳に眠気は一切ない。
冷徹な、殺し屋の目。
「……いい反応だ。腕は鈍っていないようだな、連絡官殿」
「貴方は誰? ……答えなさい。さもなくば、刺します」
彼女は私の軽口に取り合わず、切っ先を突きつけてくる。
その声は氷のように冷たい。
私が黒髪・黒コートという、かつての金髪の『白の異端審問官』とは真逆の姿をしているせいだろう。
「私だよ、アウレリア。久しぶりだな」
私は両手を上げて、敵意がないことを示した。
アウレリアの眉がピクリと動く。
「……その声音……。まさか、レオナルド様を騙るつもり?」
「本人だと言ったら?」
「笑えない冗談です。あの方は処刑されました。それに、貴方からは……『闇』の……祈力ではない、魔力を感じます。聖職者ではない、異端の気配を」
彼女の指に力がこもる。殺気。
素晴らしい。
感傷に流されず、事実だけを見て判断する。
やはり彼女は優秀だ。
「なら、証拠を提示しよう」
私は動じずに、かつて二人だけで共有した『極秘任務』のコードを口にした。
「三年前だ。『北方教区・不正会計リスト』の隠し場所……覚えてるか?」
「ッ……!」
「確か……『祈祷書48ページ目、インクの染み』だったな?」
カラン、と乾いた音が響いた。
彼女の手からペーパーナイフが滑り落ち、床に転がった。
「……嘘……」
殺気が霧散する。
彼女は呆然と目を見開き、震える手で口元を覆った。
「本当に……レオナルド様、なのですか……? 生きて、いらしたのですか……?」
「ああ。だが『レオナルド』は死んだ。今はただの『レオ』だ」
私は影から完全に歩み出て、月明かりの下に立った。
「迎えに来たぞ、アウレリア。こんなトリカゴみたいな部屋は、もうおしまいだ」
私は彼女に手を差し伸べた。
これまでの彼女なら、私の命令には絶対服従だった。
今回も手を取るはずだ。
そう思っていた。
「……っ」
しかし、彼女は私の手を取らなかった。
それどころか、怯えるように一歩、後ずさったのだ。
「……行けません」
「……そうか」
「レオナルド様……いえ、貴方様は今、魔法使いたちの神……の……。失われたダラクローンの眷属となられたのですね? 元来の……聖白教の敵対者……『異端』に」
彼女の表情が、公務中の鉄仮面に戻っていく。
「魔女に魂を操られている……悲しいことです」
瞳の奥で、再会の喜びと、職務への忠誠心が激しく火花を散らしているのが見えた。
「わたしは聖務連絡官です。聖白教の秩序を守り、民を導く立場にあります。……たとえ今の……オルドリア教区長、リュシエル様のやり方が間違っていたとしても、『教義』そのものは正しいはずです」
「アウレリア」
「秩序は慈悲。……わたし一人が逃げ出せば、本国とのパイプは途絶え、この国はもっと混乱します。……私は、裏切れません」
彼女は唇を噛み締め、毅然と私を拒絶した。
その体は小刻みに震えている。
本当は泣き出したいのを、必死に『信仰』と『責任感』で押さえつけているのだ。
(……そうか。そうだったな)
私は苦笑した。
彼女は真面目なのだ。
真面目すぎるからこそ、私は彼女を信頼し、重用したのだ。
幼い頃からそうだった。
そう、訓練生のころからも。
不当な扱いを受けてもなお、歯を食いしばって職務を全うしようとするアウレリア。
その高潔さこそが、今の彼女を縛る鎖になっている。
「……本当に、君は変わらないな」
私は差し出した手を下ろした。
机の上にある、あの『干からびた角砂糖』を指差す。
「その『秩序』とやらは、君にたった一粒の砂糖さえ許さないのか?」
「……これは、試練です。清貧を守ることで、魂は磨かれるのです」
「磨り減っているだけだ」
私は冷たく言い放つ。
「見てみろ、自分の顔を。今の君は、信仰に生きる聖女じゃない。ただ摩耗し、枯れていく花だ」
「っ……言わないで、ください……!」
彼女が耳を塞ぐように顔を伏せた。
図星をつかれた痛み。
だが、それでも彼女は動かない。その足は、まだ聖白教の側にある。
(力ずくで連れ去ることはできる。だが……)
それでは意味がない。
彼女は教区長リュシエルとは違う。
狂信的な信者のように見えて、その実、高潔な芯がある。
無理矢理連れていったところで、意味がない。
彼女自身が、その信仰という殻を破らなければ、真の解放(堕落)にはならない。
「……わかった。無理強いはしない」
私は一歩下がった。
彼女の強情さを尊重し、同時に、とびきり意地悪な『罠』を仕掛けることにした。
「だが、覚えておけ。私は諦めない」
「レオナルド様……?」
「明日、もう一度来る。……その時までに考えておけ。君が守ろうとしている『秩序』が、本当に君の人生を捧げる価値があるものなのか」
私は背後の影に足を沈める。
「おやすみ、アウレリア。……夢の中でくらい、甘いものの夢を見るといい」
「あ……!」
彼女が反射的に手を伸ばした。
その指先が私のコートにかする。
だが、私は振り返らず、そのまま闇の中へと消えた。
残されたのは、月明かりと、静寂。
そして、自分の信仰にひび割れを感じ始めた、一人の聖女だけだった。
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