第4話:聖務連絡官アウレリア
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
ダンジョンのメインルーム……司令室といえる大型の部屋には、ソファといくつかの机。
王家の応接間のような雰囲気もある。
壁は土壁だが、脈打っているようにも見えた。
ノクスと私の目の前には、巨大な魔力水の入った壺。
私はその前に立ち、片手をかざして魔力を送っていた。
「映せよ天秤。其は何処の目なるか。其はあらゆる目である。壁に耳あり、天に目あり。起動せよ、水鏡」
かつて異端審問官時代に使っていた祈跡、『千里眼』。
教主と異端審問官にしか使うことが許されていない伝承の祈跡。
この水鏡はそれの応用だ。
魔力水を媒体に、幻影として、ある場所の視点を映す……。
まぁ要するに監視カメラだ。『何故カメラを?』それはまた追ってお話ししよう。
とにかく。
契約神ダラクローンの強大な魔力のおかげで、画質も音声も、千里眼とは比較にならないほど鮮明だ。
鏡に映っているのは、グレイヴァルド王国の教区——聖白教『オルドリア教区』政庁の執務室だ。
「……見つけた」
雑多なたくさんの教会の一角。
人の背丈ほどもある書類の山の陰に、その少女はいた。
アウレリア・ネーヴ。
小柄な体を、聖白教本国が支給する上等な公務用教衣に包んでいる。
白を基調にして青色が散りばめてあるシスターローブは彼女の特権を示していた。
特徴的なのは、彼女のその髪型だ。
美しい金髪を、これでもかというほどきつく編みこみ、太い三つ編みにして背中に垂らしている。
それは彼女の真面目さの象徴であり、同時に『自分を殺している』証でもあった。
(相変わらずだな。眉間にしわを寄せて、カリカリとペンを走らせている)
彼女の肩書は『聖務連絡官』。
神聖連合国の一国……グレイヴァルド王国を管轄する『オルドリア教区』と、その遥か北方にある聖白教の総本山『白塔』を繋ぐ、極めて重要なパイプ役だ。
本来であれば、一介の教区官ごときが軽々しく口を聞ける相手ではない。
本国の威光を背負うエリートだ。
だが——私が処刑された今、彼女の立場は激変していた。
「おい、連絡官!」
水鏡の向こうで、下品な怒鳴り声が響いた。
アウレリアがビクリと肩を震わせ、即座に椅子から立ち上がる。
「は、はい。何でしょうか、主席補佐官殿」
「なんだこの『本国への定例報告書』は! 教区の収支報告に赤字があるだと?」
かっぷくのいい中年男——教区長リュシエルの腰巾着である神官。
主席補佐官ドウェル・ピックマン。
ピックマンは羊皮紙の束をアウレリアの机に叩きつけた。
バサリ、と床に散らばる書類。
「申し訳ありません。ですが、それは事実に基づく数値です。本国の監査局へは、ありのままを報告する義務が……」
「馬鹿者が! 貴様の仕事は数字あわせか? 違うだろう!」
唾を飛ばしてわめき散らす男。
「教区長リュシエル様の名誉を守るよう、数字を『調整』するのが貴様の役目だ! 白塔の威光を傘に着て、我ら教区の人間に恥をかかせるつもりか!?」
「っ……ですが、それは改竄に当たります」
「口答えをするな!」
机の上の紙を飛ばして激昂する男。
「きゃっ!」
飛んだ紙が鋭く、アウレリアの頬に小さく切り傷をつけた。
「これだから『裏切り者』の元部下は信用ならんのだ! 白塔から聖務連絡官になってもこのザマか」
神官は醜悪な笑顔を浮かべた。
「あの異端者レオナルドと通じていた貴様が、今もこの席に座っていられるのは誰の慈悲だと思っている!」
私の名前が出た瞬間、アウレリアの表情が凍りついた。
彼女は唇を噛み締め、拳を握りしめ——そして、深く頭を下げた。
「……申し訳、ございません。わたしの不徳の致すところです。……修正いたします」
「フン! わかればいい。ついでに東区画の在庫チェックもやっておけ。今日中にな!」
男は捨て台詞を吐いて去っていく。
完全に八つ当たりだ。彼女は本国に対する義務……正確な報告と、直属の上司であるリュシエル教区からの圧力の板挟みになり、孤立無援の状態にある。
アウレリアは何も言わず、床に散らばった書類を黙々と拾い集めた。
その背中が、ひどく小さく見えた。
(……許しがたいな)
私は水鏡の前で目を細めた。
彼女の能力は、あんな男の保身のためにあるんじゃない。
◇
日が落ち、オルドリア教区の鐘が鳴る。
他の職員たちが帰宅する中、アウレリアだけが深夜まで残業を続け、ようやく解放されたのは日付が変わる頃だった。
魔力映像が切り替わる。
彼女が戻ったのは、政庁の敷地内にある独身寮の一室だ。
殺風景な部屋。
家具はベッドと机だけ。
装飾品の一つもない、まるで独房のような空間。
バタン、とドアが閉まる。
その瞬間、彼女の張り詰めていた糸が切れた。
「……はぁ……」
重い溜息と共に、ドアに背中を預けてズルズルと座りこんだアウレリア。
鉄仮面のような無表情が崩れ、年相応の、疲れ切った少女の顔があらわになる。
彼女は震える手で、きつく結い上げていた三つ編みを少しだけ緩めた。
そして、ふらつく足取りで机へ。
引き出しの奥から、小さな小箱を取り出す。
まるで宝物でも扱うかのように、慎重に蓋を開ける。
中に入っていたのは……宝石ではない。
たった一粒の、干からびた角砂糖だった。
(……まだ、それを大事に持っているのか)
私は胸が痛んだ。
聖白教の戒律、『甘味一日制限』。
信徒が摂取を許される砂糖は、休日の祈祷の際に配られる、小指の先ほどの角砂糖一個のみ。
それ以上の甘味は『享楽』として厳しく禁じられている。
本国から派遣されたエリートであるはずの彼女も、この戒律からは逃れられない。
いや、他国の手本となるべく、誰よりも厳格に守ることになっているのだ。
かつて彼女は、二人きりの時だけこう話した。
『甘いものがお好きなんだな』
と聞くと、
『はい……いつか、白塔の目を気にせず、お腹いっぱいケーキを食べるのが夢なんです。なんて』
と。
そしてはにかんで笑う。
夕陽と、照らされた彼女の金色の髪がよく映えていたことを覚えている。
アウレリアはその一粒の角砂糖を、指先で愛おしそうに摘み上げた。
食べてしまえば一瞬でなくなる。
明日の配給まで、甘味はない。
彼女は角砂糖を口には入れず、舌先でチョン、と一度だけ舐めた。
「…………」
それだけで、彼女はうっとりと目を細め、幸せそうに、そして悲しそうに微笑んだ。
わずかな糖分で脳を騙し、自分を慰めているのだ。
そして、名残惜しそうに箱に戻し、引き出しの奥へと隠した。
「……レオナルド様……」
彼女の口から、死んだはずの私の名が漏れた。
「わたし、もう……疲れてしまいました……」
言葉は続かなかった。彼女は机に突っ伏し、肩を震わせた。
(——十分だ)
私は水鏡の接続を切った。
これ以上、見る必要はない。
彼女は限界だ。
そして、彼女はまだ『渇望』している。
死んだ魚のような目をしていない。
ただ、抑圧に耐えているだけだ。なら、救える。
「ノクス」
「はい」
私はひかえていた眷属に声をかけた。
「準備だ。今から、最初の“お客様”を迎えに行く」
私は立ち上がり、黒いコートを翻す。
「ええ。救ってさしあげましょう」
「あんな干からびた砂糖じゃ、彼女の涙は止まらない。……本物の甘さを、教えてやる」




