第2話:入口と運用
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
「——どうだ、ノクス。外からは見えるか?」
私は崩れかけた石壁の隙間から、眼下を走る街道
を指差した。
王都へと続く主要街道だ。
昼下がりの今は、行商人の荷馬車や、巡礼者の列がひっきりなしに行き交っている。
「視認できません、旦那様。街道上のどのポイントからも、この廃礼拝堂の入口は死角になっています。わたくしだったら入りません。怖いし」
私の隣で、白銀の髪を揺らしたノクス・ネラが淡々と答えた。
彼女は片眼鏡のような形状をした魔導具を覗きこみながら、正確な測量を行っているようだ。
「音は?」
「問題ありません。風向きにもよりますが、こちらの話し声が街道に届く確率は0.00002%以下。逆に、街道の喧騒はこちらには届きません」
「完璧だな」
私は満足げに頷き、背後の廃墟を見上げた。
王都の城壁からわずか数キロ。
森の中にひっそりと佇む、半壊した古代の礼拝堂。
ツタが絡まり、屋根は落ち、一見すればただのガレキの山だ。
誰もここが、地下に広大なダンジョンを隠し持っているとは思うまい。
「しかし、驚きました」
ノクスが、珍しく感情の揺らぎを含んだ声を出した。
「この『入り口』を選定されたのは、旦那様ご自身だと伺いましたが」
「ああ、そうらしい」
「あまりに完璧な立地です。グレイヴァルドの王都に近く、かつ人目に触れない。まるで、最初から『隠れ家』として使うことを想定していたかのようです」
彼女の純粋な称賛に、私は苦笑いを浮かべた。
黒いコートのポケットに手を突っこみ、遠くを見る。
「皮肉な話さ」
「皮肉、ですか?」
「ああ。ここを『立入禁止区域』に指定したのは、他ならぬ私自身だからな」
私はかつての記憶——つい数時間前まで生きていた「レオナルド」としての記憶を呼び起こす。
「三年前だ。私はこの廃墟を調査し、『危険な古代魔法の残滓が確認された』という報告書をでっち上げた。そして、半径五百メートル以内の立ち入りを禁じる看板を立てさせたんだ」
「……でっち上げ、ですか?」
「実際には、ただのボロ屋だったよ。仕事にはな、無駄な成果がなくてはならない。聖白教には何もなくても成果が必要であるし、何でもないものも異端者なのだ」
「なるほど……」
「聖白教の権威を使えば、幽霊屋敷を作るくらいわけはない。結果的にこうして、誰も近づかない安全地帯が出来上がったというわけだ」
ノクスが、感心したように——あるいは呆れたように瞬きをした。
「……なるほど。ご自身で用意された『聖域』に、ご自身で逃げこまれたわけですね。マッチポンプ、というやつですか」
「人聞きが悪いな。『先見の明』と言ってくれ」
私は軽口を叩きつつ、足元のガレキを退けた。
隠されていた地下への階段が口を開ける。
「よし、外周の安全は確認できた。中へ戻ろう。……ここからが本番だ」
「はい、旦那様」
私たちは暗い階段を下り、再びダンジョンのメインホールへと戻った。
◇
ダンジョン内部は、地上の廃墟とは打って変わって清潔だ。
古代魔法文明の遺産である「自浄機能」が働いているらしく、石ダタミには塵一つ落ちていない。
空気も適度に乾燥しており、快適そのものだ。
私は広間の中心に立ち、ノクスに向き直った。
「さて、ノクス。これより、最も重要な運用テストを行う」
「はい。指示を」
「『原位置復帰』の検証だ」
ノクスがわずかに首をかしげた。
「ダンジョンの基本機能の一つですね。対象者を転移前の場所に戻す、という」
「そうだ。だが、ただ戻すだけじゃない。……その精度が、我々の命運を握っている」
私は床に引かれた白いラインを指差した。
「そのラインの内側に立て。そこを『転移ポイント』とする」
ノクスは無言で従い、指定された位置に直立した。
「これから、君を対象に『短距離転移』を行う。ダンジョンの別区画へ飛ばし、十秒後に戻す。……いいか?」
「準備完了です。いつでも」
彼女の返答と同時に、私は右手をかざした。
契約神ダラクローンの魔力が、体内からスムーズに溢れ出す。
「——転移」
魔法陣が展開して光があふれる。
フッ、と音がして、ノクスの姿がかき消えた。
完全に消失。
気配すら残っていない。
「よし……」
私は懐中時計を取り出し、秒針をにらんだ。
チッ、チッ、チッ。
静寂の中で、時間だけが過ぎる。
「3、2、1——再び」
指を鳴らす。
その瞬間。
「——戻りました」
音もなく、風すら起こさず。
ノクスが『元の位置』に立っていた。
立ち位置のズレどころか、服のシワ、髪の揺れ方まで、転移前と寸分違わない。まるで、最初からそこにいて、一歩も動いていなかったかのようだ。
「報告を頼む」
「はい。転移時の不快感、ゼロ。めまいや吐き気などの副作用もありません。まるで瞬きをした一瞬の間に、景色だけが切り替わったような感覚です」
ノクスは自分の体をペタペタと触りながら、淡々と報告を続ける。
「座標の誤差もゼロです。ミリ単位のズレもありません。ちょっとお腹がすいたぐらいです。完璧ですね」
「……恐ろしいな」
私は思わず呟いた。
想像以上の性能だ。これこそが、このダンジョン最大の『武器』になる。
「恐ろしい、ですか? ただの便利機能かと思いますが」
「想像してみろ、ノクス。例えば……君が王城の晩餐会に出席しているとする」
「はい。最高です。お腹がすきました」
「君はトイレに立つふりをして、個室に入る。その瞬間、私が君をこのダンジョンに転移させる」
「……ふむ」
「君はここで一時間、存分に食事を楽しみ、酒を飲み、昼寝をする。そして一時間後、私は君を『トイレの個室』に戻す」
「はい」
「——君が個室から出てきた時、周囲の人間は君をどう思う?」
ノクスは少し考えこみ、そして答えた。
「『少し長いお手洗いだったな』と。それだけです」
「そうだ。それだけだ」
私はニヤリと笑った。
「君がその一時間、どこで何をしていたか。誰も証明できない。君の体には、移動の疲れも、外の泥もついていない。ただ『そこにいた』という事実だけが残る」
これが、聖白教の監視網を無力化する唯一の方法だ。
物理的な移動痕跡を残さない。
完全犯罪製造機。
それが、この『原位置復帰』の正体だ。
「……なるほど。旦那様のおっしゃる『最強のチート』という言葉の意味が理解できました。これならば、どんな要人であっても、ヒミツリに招き入れることが可能です」
「ああ。聖白教の連中は『記録』を血マナコになって探す。だが、そもそも移動の記録が存在しないなら、奴らは何も掴めない」
「それに、あえて泥や汚れを残させることもできますよ」
「なるほど。逆に痕跡を残してバレさせることもできるわけだ」
「楽しみですね」
「ああ、本当に」
私は高揚感を抑えながら、次の指示を出した。
「よし。ハード面のテストはクリアだ。次はソフト面……ルールの再確認をしておこう」
これは、私自身の覚悟を決めるための儀式でもあった。
私は指を三本立てて見せる。
「第一に。ここでの行為は、すべて対象者の『自由意志』に基づく。強制連行はしない。拉致もしない。あくまで『招待』だ」
「はい。同意なき堕落は、真の解放とは呼べませんので。わたくしも苦手なブロッコリーを無理やり食べさせられて、木々に雷招来の札をはったことがあります」
「とんだ勘違い被害者だな……」
「ともかく、堕落には欲望を引き出す必要があるということです」
「ふむ。だからこそ、必ず『口誓』を必要とする」
「『私は、〇〇をしたい』と、口に出して言わせるわけです」
「ああ。言葉にすることで、自覚させるんだ。『自分は本当はこれがしたかったんだ』とな」
私は二本目の指を折る。
「第二に。その口誓は、対象者にとって『一度きり』だ」
「一度の口誓で聖白教への信心を破棄させる強力な誓です」
「そうだ。甘やかす場所じゃない。ここは『救済』の場だが、同時に『選択』の場でもある。古い価値観……つまり、戒律を捨てる覚悟がない奴に、用はない」
そして、最後の指。
「第三に。立会人は必ず、眷属である『ノクス・ネラ』が必要」
私が指名すると、ノクスはスカートの裾をつまんで優雅に礼をした。
「謹んで。旦那様と対象者の安全は、わたくしが保障いたします」
「頼んだぞ。……そして、最も重要な能力。『記録は残らない』」
「はい。ここでの出来事は、誰の日記にも、神の帳簿にも残りません。残せません。ダンジョン外ではですが。残るのは、満たされた記憶と、舌の上の余韻だけ」
ノクスの言葉選びに、私は思わず笑みをこぼした。
無感情に見えて、なかなかどうして、詩的なことを言う。
「——よし。舞台は整った」
私はダンジョンの広間を見渡した。
冷たい石壁。静寂。
今はまだ、何もない空っぽの空間だ。
だが、ここから始まるのだ。世界をひっくり返す、甘美な反逆が。
「ノクス」
「はい、旦那様。最初のターゲット、アウレリア様を連れてまいりますか?」
彼女の問いに、私は首を横に振った。
「いや、まだだ。……お客様に『商品』を勧める前に、まずは店主が味見をしないとな」
「味見、ですか?」
「ああ。私自身が、この『救い』を体験しなくてはならない。……何しろ、私こそが、あの“くだらない戒律”を、誰よりも長く、馬鹿正直に守り続けてきた男なのだからな」
私は自分の腹をさすった。
そういえば、処刑前の数日間、ろくなものを食べていなかった。
聖白教の教義では、処刑前の囚人には『浄化』と称して、水と干したパンしか与えられないからだ。
「ノクス、私は徹底的に堕落するよ……まずは食事だ」
「かしこまりました。メニューのご希望は?」
「そうだな……」
私はにやりと笑い、聖白教の教典において『忌むべき貪食』と記された一文を思い浮かべた。
——日没後に、油と獣肉を煮こんだものを食してはならない。
それは魂を濁らせる悪魔の所業なり。
「最高に『こってり』したやつを頼む。……脂が浮いていて、味が濃くて、消化に悪そうなやつをな」
ノクスは一瞬きょとんとしたが、すぐに理解したように頷いた。
「……承知いたしました。旦那様の『最初の堕落』、とくとご用意させていただきます」
彼女が厨房の方へと消えていく。
私はソファに深く腰を下ろし、ネクタイを緩めた。
さあ、始めようか。
誰にも邪魔されない、私だけの、最高の堕落を。




