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第10話:深夜の背脂

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


「——いらっしゃい」


 ボルグが暖簾をくぐった先。


 そこは、外からは想像もつかないほど奥行きのある、奇妙な空間だった。


 壁は煤けた木材ではない。


 よくわからない土か何か……脈打っているようにも見える。


 だが、中央には湯気を上げる寸胴鍋と、白木のカウンターが鎮座している。


 カウンターの中には、白衣に前掛け姿の男——変装した私が立っていた。


 鍋からは、豚骨を二日間煮こんだ……特有の……鼻が曲がるほど濃厚な獣臭が漂っている。


「き、貴様……ここはどこだ? 外の広場とは空気が……」


 徴税官ボルグは、ハンカチで鼻を押さえながら周囲を警戒した。


「いい匂いでしょう。うちはしっかりここで炊いてるんですよ。チェーン店とは違います」


「チェーン店?????」


 私の言葉は彼にとって理解できないものだった。


 そう。


 理解できない状況、理解できない言葉……それをたたみかけるように彼に味合わせた。


 しかし、彼にも理解できるものが……目の前に存在した。


 私の手元にある『丼』。


 彼の視線は自然とそこに固定される。


 乳化した琥珀色のスープ。


 その表面を覆い尽くす、雪のような白い粒々……背脂。


「ここは『深夜の懺悔室』さ」


 私は適当な嘘を並べ、丼をカウンターにドンと置いた。


「聖白教の教えじゃ、この白い粒は『悪魔のフケ』なんて呼ばれてるらしいが……食えば……飛ぶぞ」


「な、なんと冒涜的な……!」


 ボルグが後ずさる。


「これはな、サンクコストだよ。すでに入りこんでしまったこの場所。時間、己の信念、そして欲望。戻れないなら、進めばいい……そうじゃないか?」


「サンクコスト……!」


 そして、隣の席でアウレリアが丼を受け取り……黒いドレスの深い胸元を強調しながら……とどめを刺した。


「ん〜っ♡ はふ、はふ……っ! あぁ、アブラが……喉に張り付く感じがたまらないよぉ……」


 彼女は艶めかしい手つきでレンゲを操り、脂ぎったスープを飲み干した。


 その唇はテカテカと光り、吐息には強烈なニンニクの香りが混じる。


 聖女のような美貌と、背徳的な食事風景。


 そのギャップが、ボルグの理性を粉砕した。


「これは恐ろしい『証拠品』である!」


 ボルグは震える声で叫んだ。


 私の『結界』の中に入ったことで、外への退路はすでに断たれていることにも気づかず、彼は椅子を引き、ドカッと腰を下ろした。


「この私が、毒見……いや、検分を行わねばならん! 直ちにその『悪魔の料理』を提出せよ!」


「へい、お待ち」


 私はニヤリと笑い、茹で上がった麺を湯切りした。


 チャッ、チャッ、チャッ!


 リズミカルな音が、石壁に反響する。


 丼に麺を投入し、仕上げに煮豚チャーシューを三枚、そして——


「小の方ー」と私。


「は?」とボルグ。


「ニンニクは?」


「好きです」


「チッ」


 私は小さく舌打ちすると、麺の上にトッピングを重ねた。


「アブラマシマシでいいか」


 私は網に入れた背脂の塊を、丼の上で激しく振った。


 ボトボトボトッ!


 白い脂の雪が、スープが見えなくなるほど降り積もる。


 狂気のカロリー爆弾の完成だ。


「さあ、食ってみろ。……代金はあとでいい」


 丼がボルグの前に置かれた。


 圧倒的な質量。


 暴力的な香り。


「う、うむ……では、公務として……」


 ボルグは震える手で箸を割り、恐る恐る麺を持ち上げた。


 太く縮れた麺には、スープと脂がねっとりと絡みついている。


 彼はそれを口に運び……


 ズルッ、ズルズルズルッ!!


 勢いよく吸いこんだ。


「…………ッ!?」


 ボルグの動きが止まった。


 目が見開かれ、むき出しになる白目。


 脳内麻薬エンドルフィンの奔流。


 聖白教の『薄味の精進料理』と『少し魔改造した料理』しか知らない彼の舌……そこに魔力調味料と豚の脂、そしてニンニクの旨味が、ハンマーで殴るような衝撃を与えたのだ。


「な、なん……だこれは……!?」


 彼はうわごとのように、つぶやいた。


「汚らわしい……はずなのに……舌が、しびれるほどに……!」


 次の瞬間、彼の右手が勝手に動いた。


 ハシが止まらない。


 ズルズル、ガツガツ、ムシャムシャ!


 音を立てて食べることは戒律違反? 知ったことか!


 そんな声が聞こえてきそうだ。


「うまい! うまいぞおおおッ!!」


 ボルグは丼に顔を突っこまんばかりの勢いで食らいついた。


 口の周りは脂まみれ。


 シャツにスープが跳ねるのも構わない。


 分厚いチャーシューにかぶりつく。


 ホロリと崩れる肉の繊維から、甘辛いタレがジュワッとあふれ出す。


「これが獣肉……! これがアブラ……! ああ、神よ! 貴方はなぜ、こんな美味いものを禁じたのですかあああッ!!」


 信仰の崩壊。


 いや、彼の中の『本性』の覚醒だ。


 豚の本性……。


 ひとつ言っておきたいのは豚というのは決してマイナスのレッテルではない。


 そう。


 豚というのは素晴らしい生物だ。


 清潔思考で、食べ物はなんでも綺麗に平らげる。


 そして、『死後』も人間に欠かせない食料となる。


 そんな豚、ブタ、ぶたという生き物は実際は神聖なものなのである。


 それをマイナスのレッテルにしているのは聖白教なのだ。


 隣で見ていたアウレリアが、私にウインクを送る。


『いい食べっぷりだねぇ、あなた様』


 私は肩をすくめた。

 

 ものの数分で、丼は空になった。


 だが、ボルグはまだ足りないのか、丼の底に残ったアブラとスープを、犬のように舐め回している。


「……お客さん」


 私は冷ややかに声をかけた。


「お気に召したかい?」


「はぁ、はぁ……! 最高だ……! もっとだ、もっと持ってこい! 金ならある! 税金……いや、活動経費! 民から巻き上げた隠し金庫から! いくらでも払う!」


 彼は財布を取り出し、金貨をカウンターに叩きつけた。


 完全に中毒の目だ。


 ここがダンジョンの内部であることなど、もうどうでもよくなっている。


「いいだろう。だが、金はいらない」


 私は金貨を指先で弾き飛ばし、低い声で囁いた。


 ダンジョンの主としての、『本性』を晒しながら。


「代わりに——『口誓』をいただこうか」


「こ、こうせい……?」


「ああ。あんたが今、一番欲しいものを口に出して言うんだ」


 私は二杯目の丼——さらに脂を増量した「超こってり」を、彼の手の届かない位置に掲げた。


「そしてあんたの本心を言うんだ。『私は、もっと堕落したい』と」


 ボルグは丼を見つめ、ゴクリと喉を鳴らした。


 今の彼に、聖白教のプライドなど欠片も残っていない。


 あるのは、ただ純粋な『食欲』だけ。


「い、言う! 言うとも!」


 彼は立ち上がり、ヨダレを垂らしながら叫んだ。


「私は……もっと食いたい! もっとアブラを! もっとブタを! もっと堕落させてくれえええッ!!」


「堕落のダンジョンへ、ようこそ」


 ——契約成立ディール


 ドォォォォン……!!


 低い地鳴り。


 屋台の『背景』が剥がれ落ちた。


 狭い店内だと思われていた空間が広がり、本来の姿——冷徹なダンジョンの土壁があらわになる。


「な、なんだ!? 壁が……!?」


「契約は結ばれた」


 私は料理人服を脱ぎ、黒のロングコート姿に戻った。


 目の前の堕落したブタを見下ろす。


「とことん堕落してくれ。……ここからは、しぼり取らせてもらうぞ」


 ボルグが呆然とする中、アウレリアが艶然と微笑んだ。


「あーあ。戻れなくなっちゃったねぇ。……ざまぁみろ♡」


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