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蜥蜴の魔法使い  作者: カシノ


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002

「なぜだ!?」


 何故も何も、当然の結論であった。

 殺し屋に追われる素性の分からぬ女を、好き好んで保護する馬鹿が何処にいる。そも、コランは他者との接触を避けるために、わざわざ人の寄りつかない森で隠遁生活を送っているのだ。欲しくもない弟子をとり、自ら危険に飛び込む必要は全くない。

 コランは至極当然な理由を懇切丁寧に教えたが、女は鼻息を荒くし顔を近づけるばかりで聞く耳を持たない。臭いものから離れる足取りで、コランは一、二歩と後ろに退がる。


「大体、君は魔法に興味なんかないだろう。雑なお世辞に騙されて怪しい人を匿うほど、僕はお人好しじゃない」

「な、何を言う! 私は本当に感動したんだ!」


 あからさまに動揺した女を見て、コランは深い溜め息を吐いた。とどめとばかりに女の足を指差し、頭一つ分高いところにある灰色の瞳を半目で見上げる。


「誤魔化せているつもりみたいだけど、立つのもやっとの状態だ。弟子になりたいなんて出まかせを言って、怪我の治療をさせるつもりだろう。それに僕は、君みたいに大声で笑う奴が嫌いなんだ。何処か見えないところで勝手にのたれ死んでくれ」


 女は図星を突かれたようで、奥歯を噛み締めて俯いた。いよいよ体力も限界を迎えたらしく、徐々に距離を空けるコランに追い縋ることさえ出来ていない。

 これ以上の会話は無駄だ。

 コランは踵を返し、万が一にも後を尾けられないよう背の高い草むらに身を紛れさせようとする。


「……奉仕してやる」

「は?」


 雨音に消されかけた言葉に、コランは思わず振り返る。上目で睨みつけてくる女の表情は羞恥とも怒気ともつかぬ激情に支配され、紫がかった赤に変色していた。


「お前に奉仕してやると言ったんだ! くそ、女みたいな顔をしているが、お前は男だろう。口振りで分かったぞ。だったら、この条件なら断らないだろう!」


 コランは理解に数秒を要した。言葉の一つ一つを頭の中でゆっくりと諳んじて、女は自分に体を捧げようとしていることをようやく理解する。そして、高潔な風格に見合わない下衆な発想と、それに食いつくとみくびられている自分に、酷くつまらない気持ちになった。

 コランは皺の寄った眉間を押さえながら、苛立ちの混じる歩速で女に詰め寄る。胸元まで迫ったコランの冷めた視線に女は僅かにたじろいだが、すぐに目元を引き締めて睨み返す。


「君、歳は?」

「に、二十四だ。文句あるか!」

「良いところの出みたいだけれど、結婚はしていないの?」

「なっ、お前には関係ないだろう!」


 関係はあるだろう。同じ屋根の下で暮らすのならば、相手人伴侶がいるかどうかは知っておくべき事柄だ。もっとも、コランは女と住居を共にすること、まして行為に及ぶつもりは毛頭ない。ほんの興味本位の質問でしかないので、答える気がないならとあっさり引き下がる。

 その淡白な反応に焦りを覚えたのか、女は苦虫を噛み潰したように口を曲げながら訥々と話し始めた。


「……縁談の話はあった。だが、軟弱だったり、野獣のような男ばかりで、私から断った」

「へえ」


 持ち掛けられた縁談を断れるのは相応の地位を持つ証だ。貴族の女性の結婚は早いと聞くし、二十四歳まで断り続けられるということは、女の格はコランが想像していたよりずっと高いのかもしれない。

 しかし、新たに得た情報は女の厄介さを引き上げるだけで、安全を提供する理由にはならない。コランは女の頭から爪先までじっとりと見回し、再びわざとらしい溜め息を吐いた。


「悪いけど子供に興味はないんだ」


 女の顳顬に太い青筋が浮いた。無事な左手でコランの胸倉を掴み、頭突きの勢いで引き寄せる。


「何だとこの餓鬼! 大体なんだ、さっきからその口の利き方は! 目上に対する態度があるだろう!」


 女の怒りはコランの肌をあぶるほどに熱く、折れているであろう右腕は斬りかからんとするほどに固く長剣の柄を握り締めている。

 今にも火を吹きそうな女とは対照的に、コランはひどく冷静だった。胸倉を掴まれ爪先立ちになりながらも、女を蔑むような半目は変わらない。


「僕は二十八だ。君こそ態度を改めるべきだよ」

「てきとうなことを言うな! お前のような成人がいるものか!」

「信じてもらわなくても構わないけどね。まあ、君がどういう人間かは分かった」


 う、と女の息が詰まる。助けてもらおうと頼む相手を感情的に罵倒する非常識な自分に、ようやく気がついたのだろう。女はいきり立った体を縮こませて気まずそうにコランを降ろしたが、落ちた心象を取り戻すのは不可能に近い。


「誰かに追われていようが、怪我をしていようが関係ない。感情的に暴力を振るう野蛮な女と一緒に暮らすなんて、あり得ないね」


 コランは大袈裟に胸元を払うと、鋒を突きつけるようにはっきりと告げた。いよいよとどめを刺された女に弁明の余地はなく、真一文字に口を結んで俯いている。

 やっと諦めた。

 今度こそ去ろうと足を浮かせたところで、袖の端を摘まれる。


「……お願いします。助けてください」

「……はあ」


 いい加減、呆れも苛立ちに変わる頃合いだ。コランは念入りに打ちのめしてやろうと、眉間の皺を一層深くする。


「あのねえ、素直にお願いすればいいってものじゃあ──」


 そこまで言って、コランの口は止まった。

 女は泣いていた。

 土砂降りの雨の中でも分かるほどに目を赤くして、雨粒よりも大きい雫が眦から頬を伝っている。

 コランの頭に、十年前に決別した妹の姿が過ぎった。

 情に絆されまいと固く目を瞑るが、記憶が描き出した懐かしい光景が目蓋に強く焼き付いている。


「泣いたって僕の答えは変わらないぞ!」


 罪悪感を追い出そうとコランは声を張り上げるが、女は袖の端を摘まんだまま、さめざめと泣くばかりだ。

 膠着状態が続く。

 コランは迷いを振り払おうと何度も口を開くが、女の濡れた瞳に見つめられるたび、気道を締め上げられたように息が詰まり、結局は噤んでしまう。そうこうしているうちに雨の音が激しくなり、ブーツの底が水に浸り始めた。背嚢にも水が滴り、中身もずぶ濡れになってしまっているに違いない。近くに土砂崩れの心配がある傾斜はないものの、すみやかに離れなければ面倒には巻き込まれる。


「くそっ」


 コランは外套の被りをはぎ取り、力任せに髪をかき回した。突然の奇行に女の表情がぎょっと強張るが、コランがうんざりした目を向けるとすぐに顔を逸らす。初対面の気丈さは微塵も感じられない、ただの追い詰められた女を前に、コランは長い息を吐き出す。


「……治るまでだ」


 苦い汁を絞り出すような呟きを、女は確かに聞き取った。

 項垂れていた首は筋が浮くほど力み、影に淀んだ瞳は煌々と輝き出す。けれど唇だけは真一文字に引き絞り、コラン自身の口でとどめを刺すことを強要している。コランはもう一度頭を掻きむしり、やけっぱちになりながら叫んだ。


「怪我が治るまでだ! 僕が治ったと判断したら、すぐに出て行ってもらうからな!」


 女の顔に色が戻った。右腕が折れていることも忘れ、今にも抱きつかんばかりに両腕を広げて、陰鬱な空にも負けない晴々とした笑みを浮かべる。


「よろしく頼むぞ、師匠!!」

「治るまでと言っただろうが!」


 向日葵みたいな奴だ、とコランの気持ちは沈んだ。




 ◇◆◇




 窓の外では、未だ激しい雨音が続いている。

 時折落ちる雷の閃光が家中を照らし、常人であれば一睡もできない騒がしさであったが、件の女はコランのベッドで死んだように眠っていた。


 妙な女を拾ってしまった。


 コランは今更になって自身の選択を後悔し、破けたソファの上で頭を抱える。

 そも、コランが魔物の森を棲家に選んだのは、人の目を嫌ってのことである。そうでもなければ、危険と隣り合わせの地に住み着こうなどとは思わない。森の中にはコランと同じく、身を隠さざるを得なかった人々が小さな集落を形成しているが、それらとの交流は必要最小限に留めており、コランは森の中腹、獣の領域に程近い小屋にひっそりと住み続けている。

 日がな家に篭って研究し、雨になったら食糧を調達、時折集落に顔を出して薬と日用雑貨を交換する。

 そんな生活を十四年、続けてきた。声の出し方を忘れるのはしょっちゅうで、王国での生活はほとんど思い出せない。目を見て話す習慣が身につかなかったため、集落の人々の顔も朧げだ。コランはすでに社会から隔絶された存在である。


 そんな自分が初対面の、明らかに面倒そうな女を拾ってしまった。


「僕は馬鹿なのか」


 コランは胡乱な目で独りごちる。直後、背後で衣擦れの音がして、尻が浮くほどびくついた。恐る恐る振り返って、女が寝返りをうっただけなのを確認し、安堵の息を吐く。


「……暢気な寝顔」


 コランは神経質な自分を誤魔化すように呟くが、女の寝顔は抜き身の刃の如き凛々しさを保っていた。むしろ表情をなくしたことで、無茶な要求をぶつけてきた時より冷酷な印象を受ける。


 妹とは真逆だな。


 碌に知り合いのいないコランの頭は、すぐに妹に辿り着く。

 妹はこの女と違って顔立ちは幼いが、表情がないせいで大人びて見られる少女だった。言葉数は少ないけれど大人に向かっていく度胸があり、どちらが年上か悩むことも多々あった。それでも眠っている時は年相応の子供らしさを見せ、傍に座れば無意識のうちに手を握ってくる。甘いものが好きで、研究所に引き取られてからはよく──


「うぷっ」


 そこまで考え、コランは強烈な吐き気を催した。口を抑えて廁に走り、便器に頭を突っ込むと同時に中身のない吐瀉物を吐き散らす。


「考えるな。考えるな。考えるな」


 薄い壁にぶつかる雨音が狭い廁の中に響く。コランは両腕で体を抱きしめ縮こまり、夜が明けるまでの間、ずっとそうしていた。

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