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「噴出孔まではどれくらいで移動できますか?」
サイモンは全天スクリーンの惑星の全体図を見つめる。赤いエルタニン号の位置と青く噴出孔が表示されている。
「一時間弱、約四十五分で到着予定です」
ナタリアが落ち着いた声で答えた。
サイモンが提案した第二惑星を脱出する方法というのは、エルタニン号の防御シールドを展開し、惑星のガス噴出孔の噴出を利用して飛び上がるというものだった。計算上はスラスタを使用しつつ噴出を受けて惑星を脱出するだけの速度は得られるはずだった。
「四時間くらいは時間が稼げるわけね」
エルタニン号の船体映像を見ていたジュンが呟く。
「地表近くを飛んでいるんだから、打ち上がりそこなった”宇宙クラゲ”を採集したいわね」
噴出孔が近づく。間欠的に吹き出しが強くなったり弱くなったりしているが、タイミングを見計らって弱い時に噴出孔の上に移動し、強くなった勢いで上昇するという計画だった。
「あそこに幾つか落ちてる。思った通り、宇宙空間に出てから羽根は広げるようね」
羽根の広がっていない”宇宙クラゲ”は、キノコの笠のように見える。
「こんなときに標本採集か。君は調査局の局員じゃないのか?」
「局員ですが、生物学の学位も持っています。私がこの調査に派遣された理由でもあります」
ジュンはエバンスの言葉を気にも留めず、船体後方のカーゴから採集用の小型艇を出して、採集を行った。
「その、”宇宙クラゲ”は、それほど重要性のないものだというのが、科学連盟の見解だった。君はなぜそんなにこだわる。この星系なら、この惑星以外にもそれは落ちているだろう?」
エバンスが不可解な者を見るような目でジュンを見つめる。
「御用学者の意見など在って無いようなものです。この惑星以外にコロニーが存在しているかどうかも分からない。なぜ、この惑星が爆破の実験対象なんですか?」
「選んだのは私ではない。惑星の大きさ、質量が求めているものに近かったからだろう。それに、この惑星は放っておいてもいずれ崩壊するのだろう?」
「今日明日にそうなるわけではありません。少なくとも数千年というオーダーでの話です」
「ふん。どのみち同じことだ」
何が問題なのだ、と言わんばかりにジュンを見つめる。
「この星域ならば、周辺に植民惑星も無い。爆破が行われても、観測できる施設は五十光年以内には存在しないはずだ。周辺宙域に進出してきても数年は観測されないだろう。地球でそれがわかるのは二百年後だ。秘密裡に事を運ぶには問題の無い環境なのだよ」
エバンスの言ったようなことは、ユーラシア企業連合だけでなく、他の企業連合体や、連邦政府も無論承知していた。超光速航行が出来なかった頃は、太陽系内が世界の全てと言っても良かった。空間を跳躍できる、”ゲート”が開発されても、二つ一組で使用される”ゲート”自体は目的地まで光速を越えて運ぶことは出来なかった。十数光年に収まっていた人類の活動領域が、二十年前に初めて超光速で移動できる宇宙船が開発されてからは、飛躍的に活動領域は広がっていた。ただし、領域が広がるにつれて、活動の密度は反比例して薄くなっていった。太陽系以外の植民星系にも自治権が与えられた今、”地球連邦”を構成する諸地域を纏める法整備も遅れ、広がる活動領域を人類を統括する連邦政府といえども全てカバーするなどということは不可能だった。
人類が宇宙へ進出して三百年余。広大な宇宙空間に対して、人類は余りにも矮小な存在だった。
「これまでいくつもの植民惑星を開拓して、人類の活動領域を広げて来たのは我々企業連合体だ。地球連邦政府は太陽系以外にどれだけの投資をしてきたというのだね。地球の統治に汲々として太陽系を治めるのが関の山だろう。太陽系外星系のことまで口を出すのは諦めればよいのだ」
「見捨てられたあなたが得意げに言うのは何か違う気がしますけどね」
そう言うサイモンをエバンスが睨みつけると、サイモンは苦笑いしつつ顔を逸らした。
「もうすぐ噴出孔です」
ナタリアの声にジュンが顔を上げると、赤外線観測による噴出孔の映像が映っている。エルタニン号の全長の半分くらいはありそうな大きな噴出孔以外に、大小さまざまな孔から気体が流出している。うみへび座十番星の輻射熱以外に、液体の層に潮汐力も影響して強い噴出が起こっていた。
「これは弱まってからといっても大して変わらないね」
サイモンが頭を掻く。
「このまま突っ込んでも大丈夫なの?」
「おそらくは」
ジュンの言葉にナタリアの返事は自身なさげだった。理論上は大丈夫とはいえ、実際に試したことなど無いし、これから先も恐らく無いだろう。
エルタニン号は地表に頭を向けて、逆立ちしたような恰好で防御シールドを展開しつつ地表に対して平行に移動している。ブリッジは0.5Gほどの重力が働いているので、地表へ顔を向けているような感覚は無い。
「十分後に噴出量が下がるからそれに合わせて移動してください」
「了解」
ナタリアがコンソールを操作する。といっても、エンジンを手動操作しているわけでもなく、移動のタイミングを計っているだけで姿勢制御は全て自動で行われている。今回のような不測の事態でもなければ、宙航士は航路設定以外に操船など特にすることも無いはずだった。
近づくにつれて船体が微妙に揺れる。
「今だ!」
サイモンに言われるまでも無く、ナタリアは滑るような操船で噴出孔の真上にエルタニン号を乗せた。一瞬間があって、ギシギシと船体が軋む。全天スクリーン上の地表が急速に遠ざかって行く。
「姿勢反転、一、二、三、四番までのスラスタ全開」
ナタリアの声に船体の軋む音が不安を交える。
全天スクリーンの地表が、やがて丸みを帯び始めた。
「第二惑星の脱出速度に到達」
淡々とナタリアが告げる。
「第二惑星の重力圏を離脱しました」
「よし!」
サイモンが拳を握り、ジュンが拍手した。エバンスもほっとした様に席に身を沈めた。全天スクリーンに映る白く雲を纏った第二惑星が次第に遠ざかって行った。
エルタニン号の半球状の全天スクリーンに、青白い星の姿が大写しになっている。うみへび座十番星だ。その第二惑星は、その向こう側に隠れて見えなかった。
「メインエンジン順調に作動中。超光速機関異常無し。超光速航行は可能ですが、どうしますか?」
「暫くはこの軌道上で待機します。地球連邦政府へは、対消滅爆弾の実験停止の勧告を出すように依頼しましたが、ユーラシア企業連合はどう出ますか。まだ返事はありませんし」
超光速通信が使用可能になると、ジュンはすぐに連絡を行ったのだった。ちらりとエバンスを見ると、サブコンソールの椅子に座って目を閉じていた。対消滅爆弾の爆破予告時間まで三十分余りのはずだった。
「暫く時間がありますから、先ほど採集した”宇宙クラゲ”のサンプルで確認できたことを報告します」
ジュンは全天スクリーンに実験室の三体の”宇宙クラゲ”が映し出された。丸いキノコの笠のようなものがくっついて三角形に並んでいる。
「”宇宙クラゲ”は生物か、人口の構造物かということですが、少なくとも人類が創造したものではないことは確かです。先に”宇宙クラゲ”が階層構造になっていると言いましたが、第二惑星が近日点に近づいて惑星の地表温度が上昇したときに成長し、離れて凍り付いた状態では成長しないため、こうした階層構造になるようです。階層構造は収集した四体とも五層になっていて、第二惑星の周期が七十二年であることから、少なくとも成長するには三百六十年程はかかっていると推定できます。これは放射年代測定からも裏付けられました。採集した個体は、人類が宇宙へ進出するよりも以前から存在していることになります」
ジュンは一旦言葉を切った。ナタリアとサイモンがスクリーンを見つめている。
「また、”宇宙クラゲ”は固有の電気信号の周波数を持っていますが、このように、”宇宙クラゲ”を三体近接して並べると、次第に同期してきます。最終的には、一体のように同じ周波数になります。単体でも複数のニューロンに相当するような構造を持っていますが、それが並列で動作するニューラルネットワークを形成するわけです。第二惑星では、おそらく数万の”宇宙クラゲ”のコロニーがあったわけですが、それらがニューラルネットワークを構成しているとした場合、高度な処理能力を有していると考えられます」
スクリーンに第二惑星の表層の下の液体の底にあったコロニーのミュー粒子観測による映像が映る。
「でも、ニューロンのユニットのサイズがこの大きさだったら、ずいぶんとゆっくりとした思考になるんじゃないかな」
サイモンが横を向いてジュンに言った。
「そうですね。単純に比較はできませんが、人間の数千分の一以下かもしれません」
「それだと、彼らの一日は、人間の数十年に相当するのかもしれないね」
「ニュアンスとしては、そんなものかもしれません」
ゆっくりとした思考。逆に言えば、惑星が破壊されるまでの、人類にとっては遥か先の未来でも、”宇宙クラゲ”とっては、喫緊の緊急事態だったのではないだろうか。
「はっ、そんなものが知性といえるのかね」
何時の間に話を聞いていたのか、エバンスが馬鹿にしたような声を上げた。
「同じ処理を実行するのに時間がよりかかるということで、知性も劣ると一概に言えないと思いますが?」
「ふん。そうだとしても、そんなものと意思の疎通など不可能だろう」
「かなり難しいとは言えるでしょうね。だからと言って、破壊していいものでもないでしょう?」
「それは私が意図したことではないし、私は決定に関わってもいない」
そっぽを向くエバンスを見て、ジュンは何か空しさを感じた。それはその通りかもしれないが、ユーラシア企業連合の関係者を一人一人問い詰めていっても、皆同じことを言うのではないだろうか。
「超光速通信で緊急入電です。カトウ少尉宛てで」
ナタリアが振り向いてジュンを見つめた。
「転送してください」
ジュンは手元のコンソールでのそれを目にした。暫く無言でコンソールを見ていたジュンだったが、ゆっくりと顔を上げた。
「第二惑星の状態はどうなっていますか? 何か変化は?」
全天スクリーンに映されたうみへび座十番星の左上に、白い輝きが現れて、それが急速に明るさを増して行く。やがて、うみへび座十番星を凌ぐかと思われるほど明るくなった。
「爆破したのか……」
サイモンがぽつりと言った。
「フハハ、まあ、彼らならやるだろうさ」
笑ってみせたエバンスだったが、声に力は無かった。
消えた。数万年、あるいはもっと以前から営々と続いてきたであろうコロニーが。あの星で生まれたのか、何処か遠い故郷から、流浪の末に辿り着いたのかもしれない、奇妙な、生き物とも機械とも判然としないものたち。
覚悟はしていたものの、ジュンは茫然としてスクリーンを見つめていた。目を閉じて俯く。開いた目が、コンソールのジュン宛で入った調査局からの連絡に留まる。それは、他に調査局が特定していた対消滅爆弾の実験場のほぼ全てで爆破実験が行われたというものだった。爆弾の製法や爆発の規模など幾つかのバリエーションを試して多くのデータを得ようということなのだろうが、ほぼ同時に実験を行うというのは悪意を感じる。調査局の注意を分散させる意図でもあり、挑戦でもあるのだろう。
それを阻止出来なかった調査局は、これまで地球連邦軍と並んで地球連邦の権力を行使するものとしての権威が失墜することになるだろう。少なくとも、太陽系外の辺境の地に於いては、もはやその力も及ばないことが露見してしまった。
この爆発の光が地球へ到達するまで二百七年。うみへび座十番星を未来の誰かが地球で観測したとして、その人物は、奇妙な新星爆発のような星の光が、過去の人類の兵器実験によるものだと知ったら、どんな気持ちになるのだろうと、ジュンは思った。