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恒星間探査船エルタニン号の半球状の全天スクリーンに、青白い星の姿が大きく映し出されている。その脇に、白いしみの様な点。
「あれが、目的の星?」
黒髪を少し傾げてジュン・カトウが呟く。白い点がクローズアップで表示される。彗星の様な尾を引いた、ぼんやりとした白い星が見えている。実際には、恒星の明るさに埋もれて見えないはずだが、光学補正された映像ではその姿がはっきりと捉えられていた。
「そうだ。まるで彗星のようだな」
ブリッジの後方、菱形に四つ並んだ座席の奥から、船長のアーノルド・エバンスの低い声が響いた。長身で痩せた初老の姿は他の隊員たちとは不釣り合いに見えた。
「あの惑星に接近しますか?」
一番前方の席、宙航士のナタリア・ディミトロワが顔をコンソールに向けたままエバンスに尋ねる。眉の上で切りそろえたブロンドの下の、やや釣り気味の青灰色の目はどこか冷めたような表情だった。
当初の予定では、この船の宙航士兼船長はナタリアで、エバンスは事情があって後から船長に着任となっていた。他二人は科学アカデミーの研究員だが、そのうちのカトウには操船アカウントが何故か付与されているのをナタリアは不審に思っていた。それ以上に、エバンスから研究員の二人とは別に、ナタリアにだけ別件で調査を命じてきたのも気に食わなかった。
「そうだな。接近後周回軌道をとってもらえるか」
「了解」
速度を上げて接近するエルタニン号の全天スクリーンに惑星の姿が可視光・紫外線その他の映像で補正されて表示された。
「惑星周辺に小さな浮遊物が多いな。惑星から分離したのか? それにしては、サイズがそろってるな」
惑星学者のサイモン・リードが全天スクリーンに浮遊物を高輝度で表示した。実際には接近しても肉眼で確認できるようなサイズではない。表示された浮遊物は、様々な軌道で惑星を周回していたが、それはまるで人工衛星の航跡のようでもあった。
「例の飛行物体では?」
ジュンが左手の席のサイモンの方を向くとそう言った。
「あれが全て? 十数個は周回しているようだけど?」
茶色い癖毛に右手を入れ、サイモンがジュンを見つめる。
「接近して観測すればわかるだろう。ナタリア、浮遊物とは距離をとって周回してくれ」
エバンスが低い声で命じた。
「了解」
分かっている、と言いたげな調子でナタリアは答えた。
地球連邦政府科学アカデミーの無人探査機が、うみへび座十番星近方で奇妙な飛行物体と遭遇したのは半年ほど前のことだった。探査機と最接近時に十キロメートルという距離ですれ違った”それ”は、平たい円錐形の中心部から、三枚の羽のようなものが伸びているという、人工物と思しき物体だった。すれ違いざまの短い観測ではあったが、可視光や赤外線による光学観測にレーダーによる電波観測、ミュー粒子観測などから内部構造や構成物質も計測された。
中心部分は直径一メートルほどの笠状をしていて、中央部の厚みは三十センチくらい、そこから幅三十センチ、長さ二メートル程の”羽”が三枚伸びているという構造だった。全体は有機化合物からなり、羽根状の部分は導電性があり、見た目通りに太陽電池パネルの様な役割を果たしていると推測された。中心部分には電子回路のような形状が確認され、有機半導体などで構成されていると考えられた。しかし、集積回路というには大きな構造で、ニューロンに似てはいるものの、その性能は高くは無いだろうと思われた。
この物体は、その軌道から、うみへび座十番星の方向から飛来したものと推定された。
問題は、この物体を作ったのは何者なのか、という事だったが、構造が単純であるものの、それが却って既存の電子部品や素材を使っていない分、制作は容易では無く、費用も掛かるだろうと思われた。
こういった物体を作って宇宙空間を飛行させることにどのような意味があるのか。地球連邦政府にはこうした”実験”に関する情報は無かった。記録上は、人類がうみへび座十番星への探査計画を実行したことも計画したことも無いはずだった。
地球連邦政府は、新型の宇宙船を宇宙開発企業、ソブコスモス社へ発注していたが、超光速機関を搭載した新型宇宙船のテスト飛行を兼ねて、うみへび座十番星への調査を行うことを計画した。
計画自体は超光速飛行のテスト飛行としてうみへび座十番星へ赴き、惑星系の諸調査を行うというものだったが、謎の飛行物体に関連する物が見つかろうが見つかるまいが、連邦政府科学アカデミーの宇宙探査では一般的な観測手順を行って戻ってくると言うものだった。何か発見があった場合でも追加の調査、期間の延長は行わず、それは後続にゆだねることとなっていた。
その計画は秘密裡に行うようなものでも無かったが、特に公表されるようなこともなかった。しかし、計画が実行段階へ進んだところで妙な横やりが入った。ソブコスモス社も所属している俗にユーラシア企業連合という多国籍複合企業体の科学財団、ユーラシア科学連盟から調査への参加を半ば強制的に認めるよう迫られたのだった。調査に関わる諸費用などは全てユーラシア科学連盟が負担する代わりに、調査員かつ調査隊のリーダーを派遣するというものだった。
連邦科学アカデミーとしてはこの調査にさほどの重要性もなく、ソブコスモス社の宙航士兼船長一名と、調査員二名という人員での形式的な調査の予定であったため、反対の声も少なく、この申し出は受け入れられることとなった。とはいえ、安易にそれを受け入れたわけでもなく、急な依頼の背景調査とその対応も抜かり無く行ってはいた。
太陽系内が人類の活躍の場であった時代は地球連邦政府を中心として各国、各企業体もそれなりに歩調をあわせて活動していた。しかし、空間を飛び越える”ゲート”が開発され、太陽系の外へと進出し、さらには超光速機関を搭載した宇宙船が飛び立つようになって連邦政府の目も次第に届か無くなっていった。
複合企業連合は、太陽系外では一つの星系の開発を全て行うなど、地球連邦政府もその存在を持て余しており、いずれ地球連邦という軛を離れて、力を振るうようになっていくのではないかと思われていた。
「接近するとそれほど彗星のようには見えないもんだな」
サイモンが見上げる全天スクリーンに第二惑星が大写しになっていた。彗星のコマというよりは、白い大気に覆われた惑星という趣だったが、その一部からジェットが吹き出している。
うみへび座十番星第二惑星は月の半分ほどの直径をもつ離心率の大きな楕円軌道を描く天体で、公転周期は七十二年。その軌道からは彗星のように後からうみへび座十番星に捕らえられた天体だろうというのがサイモンの仮説だった。観測結果からはその軌道からうみへび座十番星に次第に接近して行き、近い将来、崩壊してしまうだろうとAIにより予測されていた。
「あの飛行物体を一つ回収できないかな」
ジュンが全天スクリーンにウインドウ表示された三つの羽を持つ物体を見てぽつりと言った。
「あれが人口の天体だとしたら、所有者が居るんじゃないかな?」
サイモンが困ったような笑いを浮かべる。
「こちらの全ての送信チャンネルに応答がありません。レーダー観測上は、惑星表面上には人工物らしき物は存在しないようですが?」
ナタリアがコンソールを操作しつつ言った。
「ミュー粒子観測では、惑星の表層の下は液体で、その底に何か構造物らしきものが広がっているようだけど」
サイモンが慎重に言う。
「人類がこの惑星の探査を行った記録は無いし、人工の構造物かどうか分からないわよ。有機化合物と金属の複合体というだけでは」
「それでは君は、あれが生物だと?」
生物学者であるジュンの言葉に、サイモンが尋ねた。
「そうね。生物のコロニーという可能性も否定できないでしょ?」
短く切った黒髪を揺らしてサイモンに振り返ったジュンが悪戯っぽく笑った。華奢な見た目と相まって、まるで少女のように見える。
「サンプルを採集するくらいはかまわんだろう。どうやって採集する?」
エバンスの低い声が響いた。
「私がやります。ナタリアさんは操船に注力してください」
ジュンがナタリアににっこりと微笑んで見せた。