観桜会のうさぎ―― 魔の者二人①
人力車から降りると、ミリセント・ブラックウェルは、勝手知ったるというようすでホールへ入っていった。畳んだパラソルを放り投げ、居間へと進みながら、顔にかかったヴェールを巻きあげて帽子を脱ぎにかかる。
「何か飲みたいわ。ただしコーヒーは結構よ。飲み物くらい自分で用意しろ、なんて野暮は言わないわよね、サイモン」
斎門は、ミリセントが彼の銀製の葉巻入れに手を伸ばすのを横目に見つつ、キッチンへ入った。
グラスを二つ用意し、スコッチを注ぐ。人間が使うガソジンなる道具で炭酸水をこしらえ、それでスコッチを割る。マドラーでちょちょい。こんなことをちまちまと手作業でする。エネルギー節約のためだった。ちりも積もれば、ばかにならない。ミリセントもまた、節約できるところは節約する、という考えでいるらしい。
ソーダ割りを居間へ運んだところで、斎門は急に忌々しい気分に襲われた。ミリセントごときを俺がもてなす必要がどこにある?
ちょっとした情報交換でもしましょうよ、などと囁かれて、夕食前の暇つぶしの相手にするのも悪くない、まあいいかと気を緩めたのが悔やまれる。早く追い返そう。
「ねえ、今日、麗しの天使の火花を見たわよ。火花じゃなくて花火かしら」
火のついた葉巻を手に、ミリセントがにやりと笑う。
「そんなもの俺は目にしていないが」
この相手とこの話をつづけるのは得策ではない。ミリセントを警戒して、斎門はそらとぼけた。脳裏には、感動の一瞬が鮮やかによみがえっていた。
「嘘おっしゃい。あなたの大事な大事な穂波と振袖姿の娘との間で、きれいな火花が飛んだじゃない。あの娘、うぶな感じで可愛いらしかったわね。ちょっとそそられたわ、あたしも」
麦色の艶やかな髪を指先で触れ、ミリセントは、ふふっと笑った。
ミリセント・ブラックウェル。パリ社交界一の貴婦人、ウィーンの高級娼婦。どんな役でもこなせそうな――じっさい、こなしている――美女だが、斎門の前では楽屋での姿をさらけだす。ここ大和帝国の首都東京での身分は、グレイトエンパイア海運「横浜~上海」定期航路便船長の貞淑な妻、である。
「それにしても、あんな奇跡的なめぐり逢いを目撃できるなんて! あたしもわくわくしてきたわ。サイモン、これからどうするつもり?」
斎門は愛用の肱掛椅子に身を沈め、平静を装った。
「何の話だ」
「興味のないふりしちゃって。つい昨日まで、あなたは安泰だった。この島国はどうにかこうにか異国の侵略を防いできた。でも、これからはどうなるかしら? 頭が痛いわね。あなたなら打つべき手は抜かりなく打つ。きっと、そうでしょうけれど」
ミリセントは楽しそうだ。いつのまにか、上品ぶったフランス語から英語になっている。しかも、本人は気づいていないようだが、ところどころロンドンの下町なまりが顔を出す。
「俺のビジネスに首を突っ込むな」
「あなたは穂波に仕事をさせるべく、準備を始める。なぜなら、あなたは――」
ミリセントはおかまいなしにしゃべりつづけ、葉巻を深く吸い、さぐるような目つきになった。
「ミカドのそばを離れたくない。離れられない。そうでしょ?」
まったく余計な一言だった。斎門は、かっとなった。
「要らぬ詮索はするな!」
ミリセントは笑い転げた。
「サイモン、あなたが好きよ。可愛いいんですもの」
斎門は火炎を放った。
瞬時に、ミリセントが天井に張りつく。
頭上から甲高い笑い声が降ってきた。
「そんなに興奮して怒るところを見ると、ミカドへの恋心は本物なのね」
「そろそろお帰り願おうか」