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繻子のお茶帽子―― サンドイッチケーキ③

「穂波さまの奥さま――」千賀子は言葉を切り、ひと呼吸おいて、「産褥でお亡くなりになったそうですけど、頼子さまの呪詛のせい、だなんて噂も」

「じゅ、そ?」

「呪い、ですわ」

「そんな……」

 花扇子爵家の末娘。ときどき、突飛なことを言いだす人ではある。


「瑠璃子さんも占っておかれたら、なんて考えてしまいますのよ、あたくし。あ……縁起でもないですわね。う~ん、ですけど、やっぱり一度くらいは試されてもよろしいんじゃないかしら」

「占いを、ですか?」

「そう。結婚は人生の一大事ですもの」

 

 いつも気取りのない千賀子に彦乃は親しみを覚えているのだが、かすかな危うさのようなものを感じることもある。千賀子は次々に興味の対象を見つけては、ときに、周囲が驚くほどに熱中する。

 華族である級友の何人かが、悪意の聞きとれない口調ながら、「花扇子爵さまのご一家は、皆さま、新し物好きで」とか、「どなたもお道楽が過ぎるような……」などと噂するのを耳にしたことがある。何かに熱中するのは花扇家の家風のようなもの、ではあるらしい。

 

 このごろ花扇千賀子が夢中になっているのは占いだった。「西洋かるた」を使っての占いである。「たろう」とか「たろっと」というものらしい。子爵夫妻は洋行帰りだという。フランスかイタリーの土産かもしれない。それを学校にまで持ちこんで、休み時間のこととはいえ、学校でいちばん口うるさい(ハイパークリティカル)教師に見つかり、注意を受けていた(「ハイクリ女史に大目玉くらいましたの」)。そんなエピソードも、今では女学校時代のいい思い出になりつつあるのだが。


「ごめんなさい。お待たせしてしまって」

 瑠璃子が戻ってきた。一冊の本を手にしている。

「どこに置いたかしらと、散々捜しましたの。これも母が居間へ持ちこんでいましたのよ」


 本は彦乃の膝に置かれた。望月櫻醉の最新作『美味しい戀の春夏秋冬』 だった。刊行されたばかりの本である。


「まあ! あたくし、まだ手に入れてませんの」

 そう言って、千賀子が本の表紙を覗きこむ。


 淡い茜色の背景に細密な絵が描かれている。西洋式の大きなかまどのある厨房で、洋装のお嬢さまが泡だて器を手にして、思案顔でいる。どこか憂いを感じさせるも愛くるしい目をしたお嬢さまは、髪に雛菊を一輪挿している。


 千賀子が何かつぶやいた。

 瑠璃子が千賀子を見る。

「何ですの?」

 千賀子は眼鏡の縁に手をやり、表紙に見入って、

「……この絵……素敵ですわね」

 と言った。

 彦乃も表紙絵が気に入った。

「本当に、素敵」


「この本、版元に予約注文して、きのう届いたばかりですの」

 瑠璃子が言う。

「一気に真ん中あたりまで読んでしまいましたわ。お話のところどころに洋菓子が登場しますの。作り方の説明も載っているんですけど、すごく本格的なものですわ。たぶん、本格的なものだと。――ザッハトルテというチョコレートケーキ、ご存じでして?」


「いいえ」と彦乃は答えたが、千賀子は、

「名前だけは聞いたことがありますわ。父と母はウィーンでいただいたことがあるとか」

「あたくしも、名前だけは知っていましたけど、このケーキは見たこともなくて」

 と瑠璃子が言う。

「読み終えたら、うちの料理人にこしらえてもらうつもりですの。材料のチョコレートは、うんと高級なのをどこかで手に入れてもらわないと。ザッハトルテはサンドイッチケーキよりずっと美味しいと思いますわ」


 テーブルには、ガラスのスタンドに載せられ、ガラスのドームで覆われた大きなアレグザンドリーナ・サンドイッチケーキが、まだ四分の三も残っている。スポンジケーキにジャムを挟んだシンプルなケーキだが、彦乃にはじゅうぶんに贅沢なもので、その味を堪能していた。


「このケーキも美味しゅうございましてよ」

 千賀子が言う。

「あたくしたち、きっと長生きしますわ」

 瑠璃子が笑い、彦乃も微笑んだ。

 このケーキをこよなく愛したというイギリスの女王は、八十二歳の長寿にめぐまれたのだ。


 サンドイッチケーキの残りは、二つの小さな漆の蓋物に納められ、この日のお土産となった。『美味しい戀の春夏秋冬』の新本も一冊ずつ、添えられていた。

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