4.新月の悪夢
オスカーは独りで納屋の中にいた。
しかし、その表情に以前のような悲しみはない。脚の遅い自分にもできることがあるかもしれないと考えると、生まれて初めて希望が湧いてくる。
「ボン・クラデスさんは、どんな練習を考えているんだろう」
心の中で期待と不安が混じり合うため、オスカーは落ち着きなく納屋の中を転がった。何だかワクワクする。本当なら眠るべきなのだろうが興奮しすぎて眠れない。
「……」
「……」
どれほど時間が経っただろう。あまりにも寝付けないため、オスカーはゆっくりと起き上がると、馬房の木戸から外を眺めた。
「そういえば、今日はお月さま……見えないんだった」
どこかがっかりした雰囲気のまま、オスカーは寝転がった。
「それにしても、何だか静かだな」
その直後に、オスカーの耳がピクリと動いた。
なんだろう。何かが気配を殺しながらゆっくりと近づいてくるような、例えるなら、あの狼の群れの息遣いと、どことなく似ている。
「ね、ねえ……」
オスカーは馬房から首を出すと、隣に眠っているワルガキトリオの1頭に話しかけた。
「ねえ、ねえ」
「どうした?」
その仔馬は目を半開きにしたままオスカーを見た。
「なにか、きこえない?」
「ん?」
その仔馬は面倒そうな顔をしながら耳をあちこちに動かしたが、先に表情を変えたのは母馬の方だった。
「確かに誰かいるわね」
彼女は難しい顔をした。
「この足音……やだ、泥棒かしら?」
その声を聞いた、隣の納屋にいた母馬も耳をあちこちに向けると、同じように険しい顔をした。
「そうね。それも相当な人数よ」
一番奥にいた母馬も、異変を察知すると嘶きを響かせた。
それは、静まり返った牧場中に響き、多くの生き物たちが眠りから覚めたことが気配としてオスカーに伝わってくる。
「くそ……やるぞ」
「おう!」
今の言葉を聞いたオスカーは、やはり侵入者は人だったのかと思っていた。人は狼とは違った意味で恐ろしい相手だ。特に怒らせると何をされるかわからない。
間もなく、牧場のあちこちから走る音が聞こえてきた。番犬が吼えながら侵入者と戦っている。
「この、犬っころ!」
「ぎゃあ!」
人が悲鳴を上げる音、番犬が悲鳴を上げる音が響くなか、オスカーは馬房の中でうずくまって震えていた。外にいる番犬の気配も少なくなっている。
「マベリックさん……だいじょうぶかな?」
そう思った直後に、爆発音が牧場に響いた。
「こ、この小娘!」
「くそ、エルフがいるという噂は本当だったのか!?」
今のはアンジェリカの一撃だとオスカーは直感した。他に小娘と呼ばれるような者は牧場にはいない。そう思っている最中にも、次々と悲鳴が牧場から響いてくる。どうやらアンジェリカは優勢のようだ。
「この、バケモノ女!」
「ちくしょー魔女が!」
「覚悟して!」
そうアンジェリカの声が響いた直後に、男の声がした。
「おい、エルフ女! こいつがどうなってもいいのか!?」
「くっ……」
その声で状況が一転したようだ。それ以降にアンジェリカが戦っている様子はなく、賊が「手間かけさせやがって」と言いながら近づいてくる。
「何はともあれ予定通りだ。ターゲット以外は残らずやっちまえ!」
「おう!」
「やめて!」
「うるせえ!」
アンジェリカの悲鳴が響くと、武装した男たちが納屋へと乗り込んできた。
「うわ、何するんだ!?」
「坊や、隠れて」
「ムダだ!」
「ぎゃあ!」
「オスカー、にげてー……ぎゃあ!」
男たちは納屋の前に立つと、馬の親子に向かってクロスボウや弓矢を放ったり、槍で突き刺したりと乱暴狼藉の限りを尽くした。
その1人がオスカーの前に立った。覆面で顔を覆い、目元だけが見える男である。
「おい、いたぞ……ターゲットだ」
後から返り血で染まった男たちも集まってきた。
「こいつだけは殺すな。大事な贄だからな」
「他の馬の死体だって材料なんだから、似たようなもんだろ」
「へへへ……こいつさえ生まれなければ、この牧場も平和だったのになぁ」
オスカーは同級生たちの馬房を力なく眺めていた。仲間たちが死んでしまったことが未だに理解できない。彼らはつい数十分前まで、そこで寝息を立てていたはず。これは何だろう、きっと悪い夢なんだ。
放心している間に、男たちは後ろ手に縛られたアンジェリカをオスカーの馬房へと放り込んだ。
慌てて近づくと、彼女は頬を腫らし、口元からは血を流していた。
「エルフの間じゃ炎使いは忌子なんだろう。嫌われ者同士……とても相性が良さそうじゃねえか」
「違いねえ。さぞ立派なキメラになってくれるだろうよ」
「早速、準備をはじめようぜ」
男たちはクツクツと笑いながら、納屋を出て行った。
「お姉さん、いま……」
こっそりと囁くと、アンジェリカは悔しそうな表情を返し、囁いた。
「無理よ、これ鎖だから」
彼女は脂汗を流しながら言った。
「奴らは黒の一派よ。二足歩行する生き物……ダークキメラを見た」
「ダークキメラ!?」
「私は、あんな奴らの仲間には……なりたくない」
そこまで言うと、アンジェリカの瞳がオスカーを映した。まるで鏡のように青毛のオスカーを映している。
「私を、殺して……!」
「そんなこと……」
「このままじゃ村の人たち、全員が口封じされちゃう……それも私の成れの果てに」
「……」
オスカーの体中から汗が流れ出た。
アンジェリカを殺す? 彼女は産まれた時からずっと世話をしてくれた少女だ。でも、彼女の言いたいこともわかる。このままだとアンジェリカはひどい目に遭わされる。彼女を守るために……
いや、守るってどういうことだ。自分が殺すことで彼女を守る。それは変じゃないか。
アンジェリカの目に焦りの色が浮かんだ。
「早く!」
オスカーは背中を押されるように立ち上がった。
殺したくない。でも自分しか彼女を守れない。何をすればいいんだ。このまま踏みつければいいのか。それは彼女を守ることになるのか。他に方法はないのか。このまま何もしないというのは。それはあり得ない。なら、どうすればいい。僕は単なる青毛の牡馬。彼女はエルフ。
「さあ……ッ!」
賊の足音を耳にしたオスカーは、極限の状態にまで追い詰められた。




