8、決断と告白
その後、グレースは新しい衣類に袖を通した。
それは簡素な白いワンピースだった。
「では、私も入ってまいります」
「……ええ」
アルフレッドは先ほどの慌てぶりが嘘のように、落ち着きはらった様子で風呂場に向かう。
その後ろ姿を見送り、グレースはまた長いため息をついた。
「はあ……。これでは心臓が持たないわ。アルフレッドにはとても申し訳ないことをしてしまったし……ああ、わたくし何をしているのかしら」
雇い主の令嬢にこんな妙な態度をとられつづけていたら、これからきっとひどく困惑させてしまうだろう。
ただでさえ忠実過ぎるくらい忠実な男なのだ。グレースは、そんなアルフレッドの負担にだけはなりたくないと思った。
「他の使用人たち同様、こうなる前に、逃げ出してくれていればよかったのに……」
それでも、グレースは彼がいなかったらもっと早くに絶望していたと確信する。
そうしていたらきっと、母親と同じように自殺もしていたかもしれない。
「アルフレッドがいたから……こうして、まだ生き延びようとしているのよね」
できるなら、彼だけでも幸せになってほしい。
自分はどうなっても構わない。
父にあれだけよく尽くしてくれたのだ。そんな真面目な男を、グレースはどうにかして助けたかった。
「はあ……。だとしたら、取るべき手段はもうひとつしかないわ……」
彼と恋人ごっこをする。
そうしなかった場合、その危険度は計り知れない。
「お父様。彼を救うためです。どうか、お許しください」
グレースは決意した。
自分にできることはこれしかない。
たとえ、アルフレッドが拒否したとしても、雇用主代理として命じなければならない。
生き延びるために。
そして、彼を救うために。
「お嬢様、お待たせいたしました。喉が渇いてらっしゃるでしょう。お水でも飲まれますか?」
風呂から上がってきたアルフレッドは、白いシャツとズボンを着用していた。
あの無精ひげもいつの間にかそり落とされている。
グレースは厨房にいこうとしていたアルフレッドを、呼び止めた。
「待って。アルフレッド。お水は後でいいわ。少し、そこに座って」
「? ……はい」
アルフレッドは、こころなしか緊張した様子でソファに座る。
おそらく、先ほど誤って風呂場に突入したことに言及されると思っているのだろう。
グレースは対面にいるアルフレッドをしっかりと見つめた。
「アルフレッド。わたくしね、決めたわ」
「……え」
「恋人ごっこを、しましょう」
「お、嬢様……!?」
アルフレッドの瞳が瞬時に大きく見開かれる。
グレースは構わず続けた。
「あなたには……本当に申し訳ないと思っているわ。こんな状況下で、それも好きでもない女性のことを抱かせなくてはならないから。でも……あなたをむざむざと死なせるわけにはいかないの。だって、そんなことをしたらお父様に、あの世で顔向けできないもの」
「お嬢様、待ってください。それは……」
「いいの。わたくしはこうなることも覚悟して、ここに来たんだから。あの買主か、あなたたかでいったら、まだ知ってるあなたのほうがいいわ。いえ、そんなことを言っても……申し訳ないことをするのには変わりがないわね。ごめんなさい、アルフレッド」
「お嬢様……お嬢様……」
そう言いながら、アルフレッドは首を大きく左右にふりだした。
そして、己の頭を強くかき抱く。
「違う! 謝るのは、私の方だ!」
「アルフ、レッド……?」
「私の方こそ、お嬢様に謝罪しなければならない。そんな決断をさせるなんて俺は、俺は……」
いつの間にか一人称が俺に変わっている。
今まで一度も見たことのない下男の姿を見て、グレースは身を震わせた。
「申し訳ありません、お嬢様。お嬢様の方こそ好きでもない男と……このようなことをしなくてはならないなんて。ああ、お嬢様はもっと、将来ご結婚されるはずのお相手となさるべきだったのに……! ああ、ああなぜ私なんだ!」
「ごめんなさい。こんな四十を迎えた女で……お嫌でしょうけど、あなたを生かすためなの。だから」
「お嬢様」
抱えていた頭を放し、アルフレッドが勢いよく顔を上げる。
その瞳からはとめどなく涙があふれていた。
「え?」
「嫌だなんて……そんな……そんなことありえません。絶対に。ですが、ですが……私のような者が、そんな……畏れ多い……お嬢様。本気ですか?」
「アルフレッド、どういう、こと……?」
男は立ち上がり、グレースの前まで来てひざまづいた。
そしてその右手をとり、その甲にそっと口づけを落とす。
「アルフレッド」
「お嬢様。ずっと、ずっとお慕いしておりました」
そうして、グレースはアルフレッドに熱い瞳で見つめられたのだった。