6、アルフレッドとの食事
「お嬢様、お待たせいたしました。料理ができあがりましたが、もう起きて召し上がれそうですか?」
「ええ。少し良くなったわ。ありがとう」
調理を終えたらしいアルフレッドに声をかけられて、グレースはソファから身を起こした。
めまいはだいぶ治まっている。吐き気もない。
どうやら問題ないまでに回復したようだった。
「こちらと、あちらのダイニングテーブルと、どちらで召し上がられますか?」
「じゃあ、あちらのテーブルで」
「かしこまりました」
アルフレッドはテーブルの前の椅子を引き、グレースを座らせる。そしてすぐ厨房に引っ込んで、皿に盛り付けた料理を持ってきた。
具だくさんのスープとパンが目の前に並べられると、グレースは思わずのどを鳴らす。
「ああ、美味しそうだわ……。さっそくいただきましょう。って、あら? アルフレッド」
「どうしましたか。お嬢様」
「わたくしの分しかないわ。あなたの分は?」
「……」
グレースが見上げると、アルフレッドは言われた意味がわからないという唖然とした顔をしていた。
「アルフレッド?」
「ああ、いえ……自分は使用人ですので。後でいただきます」
「何を言っているの? もう、あの家はないわ。主とか使用人だとか全部、なくなってしまったのよ」
そう。すでに失われた後だった。
こんなところまで来て、律儀に使用人の立場を守っているだなんて。馬鹿正直すぎる。
グレースは立ち上がると、アルフレッドの顔を真正面から見据えた。
「アルフレッド。もう使用人として過度にわきまえるのをやめなさい。お嬢様と呼ぶのも、もう禁止よ。いい?」
「そんな……」
「わたくしも今まであなたに甘えすぎていたわ。……そうね、もう公爵家はお取り潰しになったんだから、わたくしも自分からなんでもしなくてはね」
「お、お嬢様!?」
グレースはすたすたと厨房に向かう。
そしてコンロにかかった大鍋を見つけると、勘を頼りに中身を皿によそった。
そして、それをダイニングテーブルへと運ぶ。
「はい。あなたの分!」
「お嬢様……」
「だから、お嬢様はなしって言ったでしょ? さ、いただきましょう」
グレースが座ると、アルフレッドもしぶしぶその対面に腰かける。
しかし、妙に居心地悪そうにするのだった。
「ふふっ。なんだか妙ね。こうして一緒に食べるのって、はじめてじゃないかしら」
「そうですね……。なんだか不思議な感じがいたします。旦那様とも、こうしたことはありませんでした」
「そう。それは、お父様にひとつ自慢ができたわね」
「……お嬢様」
「だから、お嬢様はなしって言ったでしょう?」
「そうは言われましても、いきなり違う呼びかけ方はできません」
「うーん。じゃあどうしたらいいかしらね。ああ、そうだ。名前で呼ぶのはどう? だってわたくしはあなたをすでに名前で呼んでいるし」
「な、名前!? そ、そんな……お嬢様が私へ呼びかけるならまだしも、私がお嬢様へなど……めっそうもございません」
「もうっ、融通がきかないわね。まあいいわ。追々……」
と、そこまで言ったところで、グレースは追々なんて時がはたして自分たちにくるのかと疑問に思った。
そう。期限は明日の朝までだ。
その先まで生き延びることができれば、もしかしたら彼が呼び方を変える日も訪れるかもしれないが――。
「お嬢様?」
「いえ、なんでもないわ。追々、わたくしの名前も呼べるようになるといいわね、アルフレッド。期待しているわよ」
「……」
アルフレッドに軽くため息をつかれる。
その様子に苦笑しつつ、グレースは食事を開始することにした。アルフレッドもしぶしぶ食べ始める。
一瞬だけ、かつての屋敷での団欒を思い出した。
テーブルいっぱいのごちそう。
笑顔の家族たち。
そして使用人一同。
あの頃、アルフレッドはいつも父の側にいた。
甲斐甲斐しく世話をやき、配膳の順番や盛り付け方など、常にいろいろなことに気を配っていた。
その手際の良さをグレースはすごいと思うことはあっても、普段直接話したりしないので、どんな人なのだろうとは謎に思っていたのだが。
そのアルフレッドが、今では自分の目の前で食事をしている。
長い指が匙をそっと持ちあげ、丁寧にスープを口の中に運んでいる。
グレースはその美しい所作に思わず見とれてしまった。
そして、その長い指に触れられることを、想像してしまった。アルフレッドの口の中、その歯や、舌までも。
「お嬢様。私の顔に何かついていますか?」
「えっ! あ……いえ!」
じっと見られているのを不審に思ったのか、アルフレッドが小首をかしげてくる。
グレースは途端に顔がかっと熱くなった。
なんだ、これは。
「な、なんでもないわ! すごく綺麗に食べるのねって思ってただけよ」
「綺麗……そうでしょうか?」
「ええ。知らなかったわ、あなたがそんなに美しく食べることができる人だったなんて。思わず見とれちゃっ……」
途端にアルフレッドが口元を片手で覆う。
そして、パッと視線をそらした。
「ん? どうしたの? アルフレッド」
「いえ、あの……お嬢様」
「ん? なあに」
「私、その……褒められるということにあまり、慣れておりませんので……」
「え?」
わずかに耳が赤く染まっている。
それを見たグレースは、つられて自分も頬に熱が集まっていくのが分かった。
「あ、えっ? あの、なにか、ごめんなさい。わたくし……」
「いえ、いいのです。その……大変お見苦しい所をお見せしました」
「いえ……」
グレースはそう言ったっきり、何も言えなくなってしまった。
なんなのだろう。今のアルフレッドの反応は。
自分と同じくらいか、それ以上の見た目の男の人なのに、少しだけ「可愛い」と思ってしまった。
おかしい。おかしい。
この部屋に入ってから、何かが妙だ。
まるで自分が自分でなくなってしまったみたいだ。アルフレッドとはこんな関わり方をする間柄じゃなかったはずなのに。
妙に調子が狂ってしまったグレースは、それからまたアルフレッドの顔をしばらく見れなくなってしまったのだった。