4、「恋人ごっこをしろ!」
「ああ、本当にこれで良かったのかしら……」
「……」
がたごとと揺れる車内。
手かせ足かせをはめられたままのグレースは、そう弱音をこぼしていた。
さきほどはあのように決断したものの、移動するうちに嫌な想像ばかりが膨らんできてしまったのだ。
もし、売られた先の主人が、筋金入りの鬼畜や変態だったら……。
ひどい辱めをずっと受けるかもしれない。
アルフレッドにもふたたび命の危険がやってきてしまうかもしれない。
だとしたらあのまま処刑されていた方がずっと楽だったと、後悔する日がくるかもしれない。
そう思うと深いため息しか出てこなかった。
「アルフレッド、ごめんなさい。さっきは、あのまま殺されるよりはいいと思ってしまったの。もし、着いた先でひどいことをされたら……わたくしを恨んでね」
「お嬢様」
涙目になっていると、いつのまにかアルフレッドがこちらを見つめている。
普段はずっと壁ばかり見ている男だ。
その彼が、久しぶりに真摯な眼差しをこちらに向けていた。
グレースより数歳若いはずだが、今は髭面のために同い年か、少し年上に見える。
アルフレッドは、顔の表情筋を最大限動かして、ぎこちない微笑みを浮かべた。
「ご安心ください。これから先、私は、どんなことがあってもそのことを受け入れます。お嬢様がお決めになったことです。何もご心配なさらないでください」
「アルフレッド……」
「それに、できる限り私がお嬢様をお守りしますので」
この男が、特に体を鍛えているだとか、武術を習っているという話は聞いたことがない。
だからその言葉にどれだけの真実味があるかはわからなかった。
けれども、グレースはそう言ってくれたことが嬉しかった。その気持ちだけでもと受け取る。
「ありがとう、アルフレッド。わたくしも……できるだけあなたを守ると誓うわ」
そして、丸二日かけて馬車はある場所に到着した。
本当ならとっくに処刑されている頃合いだった。ひとまず逃げ延びられたことを、グレースはアルフレッドとともに喜んだ。
奴隷商人に連れられて、二人はその大きなお屋敷の中を歩かされる。
「ずいぶん大きなお屋敷ね。我が家の何十倍もありそう……」
天井はゆうに十メートルはあった。
長い回廊のそばに広い中庭が設けられていて、そのはるかかなたには高い壁が林立している。
空は見たこともないような濃い青で、空気ががらりと変わっているのがわかった。
やがて、大きなダンスホールかと思われるような部屋に着く。
そこには一面、細かな模様の大きなじゅうたんが敷かれていた。
そしてその奥に、一人の巨漢が座っている。
その人物は、自分たちをみて満面の笑みを浮かべていた。
頭に白い布を巻き、長いすその異国の服を着ている。
「ここは……いったい……」
奴隷商人は呆気に取られているグレースたちの鎖をひっぱり、速み足でその巨漢に近づいた。
「どうもどうも、遅くなりまして。イラジュール様、申し訳ございません」
「よいよい。どれ、二人とも元気そうではないか。ひとまずそこに座るがいい」
「ありがとうございます」
グレースたちは巨漢の数メートル前で跪かされ、荒くなった息を無理やり整えさせられた。
ちらりとあたりを見回すと、大きな柱の陰に、異国の黒服を身にまとった人物が何人もいるのが見える。
アルフレッドがわずかに緊張したのをグレースは見逃さなかった。
暑くもないのに嫌な汗が背中を伝っていく。
「さて、一応名を確認しておこうか。女、そして男、それぞれ応えよ」
「おい、さっさと名乗りな」
奴隷商人に小突かれて、グレースは顔をあげる。
「わ、わたくしは、グレース・フィアットと申します。公爵である父、モントワール・フィアットの――」
「ああ、よいよい。詳しいいきさつは聞いておる。次、男。名を申せ」
「私は……アルフレッド・サマーと申します」
「ふむ」
巨漢と、アルフレッドの視線が交錯する。
一瞬ぴりりとした空気になったが、巨漢は一転破顔して、手元の酒器をかたむけた。
「ふははっ、面白い! やはり、これは良い買い物をした。商人もう下がってよいぞ。残りの金は約束通りだ。後で受け取れ」
「ありがとうございます。では、私はこれで――」
商人は立ち上がる寸前、横にいたグレースにそっと耳打ちをしてきた。
曰く、「このお方は砂の国に住む、イラジュールという豪商だ」と。
商人が去っていくと、巨漢イラジュールはグレースとアルフレッドに向かって言った。
「さて。無事に商品も届いたことだし、さっそく始めるとするか」
「始める……?」
グレースが不安になりながら周囲を見回すと、黒服とは別の人間たちがやってきて、グレースたちを取り囲んだ。そして、それぞれ左右に引き離す。
「お、お嬢様!」
「アルフレッド!」
お互いを呼び合うが、周囲の人間が止まる気配はない。
だが、さっと手を上げたイラジュールによって、すべてが中止された。
「ふむ。まんざら不可能というわけでもなさそうだな」
「いったい何を……!」
グレースが動揺しながらそう叫ぶと、イラジュールは心底面白そうに言った。
「ふふっ。我はな、いわゆる『恋愛鑑賞』が趣味なのだ」
「恋愛鑑賞?」
「そうだ。虫を育てたことはあるか? オスとメスを番で入れて、交尾をさせ、卵を産ませる。より良い次世代が産まれるよう、手をかけて世話をする。我はそれを人間でやっているだけだ」
「なっ……」
常軌を逸した発言に、グレースは一瞬にして血の気が引く。
アルフレッドも信じられないという目でイラジュールを見つめていた。
「ふふふ。お前たちの国のいざこざはどうでもよい。が、ふと競売にかけられたお前たちを見て思ったのよ。このままこの二人の間に何も起こらず殺されてしまうのは不憫、とな。よってお前たちにはこれから、あることをしてもらう!」
「な、何を……」
「恋人ごっこだ」
「……は?」
「これからお前たちには『恋人ごっこ』をしてもらう。できなければ、即処分だ!」