男の子の不思議
さて、アリシアがお昼ご飯のために食堂へ入っていくと、入り口でビルとぶつかりそうになった。後ずさって良く見てみると、彼は男の子を小脇に抱えていた。手足は骨の形が分かりそうな程細く、顔色も悪い。よく見ると、ウィア族っぽい見た目をしている。
ウィア族は赤みがかった髪が特徴で、基本的に洗礼を受けておらず、独自の習俗をもっている。家族単位で街を転々としながら暮らしているようだ。アリシアが幼い頃、彼らは不思議な力を持っているのだと、祖母から聞かされたものだった。
以前、儀式に訪れた人々が噂話をしているのを聞いていたことがある。今自分たちの生活が苦しいのは、彼らが食べ物を隠してしまうからだ。街が彼らを追い出さないのは街の偉い人が彼らに惑わされているからなんだ、と。根も葉もない説が広がっているようだった。彼もその噂話の煽りを受けたのだろうか。
「おっアリシアか。丁度良かった」
「へ? ああ、どうしたんだいその子」
考え事をしていたアリシアは、話しかけられたことに気づくのが遅れ、変な声で返事をしてしまった。恥ずかしくて顔が熱くなる。ビルは気づかずに話を続けた。
「昨日も今日も飯を食らいにきた孤児のガキだ。これがなかなか変わった奴でな」
孤児。アリシアがやってきた頃には、一応エルフとの戦争は終結していたらしい。けれど種族、民族、身分関係なく生活は苦しく、多くの者が死んでいくことには変わりなかった。ウィア族は洗礼を受けていないと聞いていたが、構わずそれっぽい人も副祭司様やビルと一緒に見送ったものだった。
ようやく落ち着いてきた頃であるにも関わらず、彼女の脳裏にあの頃の記憶が蘇ってきた。吐きそうになるほどの死臭さえ思い出しそうになった。もしかしたらあの遺体の山の中に、彼の両親が混ざっていたのかもしれない。ビルの腕の中には、彼らが必死に残してきた命がある。
「あんまり無いけど、ちょっとご飯あげるくらい良いんじゃないか。礼拝所ってそういうところだろ」
「甘いな。こいつが仲間を呼んだりしたら人がわっとやってきて、俺らの食う分が無くなっちまうだろ。不公平が出たら大変だしな。自分らが代わりに死ぬってなら大層なもんだけど、俺には無理だ。ほっとんどの祭司にだって無理だろうよ」
「確かにそうだね。もっともだ。だからって何も渡さないってのも聖職者としてどうなのかなって思っちゃうけどね。まあ、仕方ない。で、丁度良かったって、何のこと?」
「なんかこいつ、時々変な所見て話すんだ」
「ビルが怖いから目を合わせたくないんじゃないの?」
「それはねえって」
「ふーん。あっそう」
「そんでな、でっかい声で、人と話しているみたいな感じで独り言を言ってやがる。なんつーか、薄気味悪りいんだ」
「なるほどねえ」
アリシアは男の子に目線を合わせるために屈んだ。
「君の名前を教えてよ」
「ライリー」
「君はここの近くに住んでるの?」
ライリーはビルの腕の中で首を傾げた。そして奇妙な事に、アリシアからみて左に目線を向けた。
「チカク?」
と小さな声が漏れる。その時、彼が向いているのと同じ方向から、人の声とは思えぬほどか細く、高い声
がアリシアの耳に入ってきた。これは、彼女にしか聞こえない声のはずだった。
――また怒られるよ。近くって言っておきなさい。
「うん、ちかく」
小さな声の指示に応じるように話すライリー。彼にも聞こえていたのか確かめたくなったアリシアは、たたみかけるように質問を続ける。
「ねえ、今、誰かと話してなかった?」
「うん。ほら、ここ」
――ちょっと、何言っちゃってんの、馬鹿。
ライリーが手を伸ばした方向から、またあの甲高い声が聞こえてきた。
「どんなのがいるの? 残念だけど、私には見えなくてね」
「え? まじで。ほら、ちっちゃくて、パタパタしてるよ。お前も見えてない?」
「お前って言うの辞めろよ。失礼だろ」
と言いながら、ビルは首を振る。ライリーの大きな瞳が潤んだ。
「さっきからこんな感じなんだぜ。アリシア、どう思う」
そうだねえ、と言いながら彼女は大きく息を吐き、肩をすくめる。
「昔親に聞いた話なんだけどね。小さい子どもは結構幽霊を見るんだって。彼もそういう体質なんだろうさ。こんなご時世だ。きっと何かいるんだろうね」
「ほおー。俺ぁてっきり親を亡くしてショックの余りに幻でも見てるんじゃないかと思ったぜ」
「本当にいるんだってば」
「そうだね」
アリシアはボサボサでくすんだ彼の髪を撫でた。
「確かに。その可能性もありそうだ。その割には結構しっかりしている感じだけど。まあ、人は分かんないしね」
「お前が言うんなら、きっとそうなんだろうさ」
流石に疲れてきたのか、ビルが抱えていたライリーを下ろす。小さな男の子は辺りを見渡しながら、アリシアが着ているトゥニカの裾をつかんで大人しくしていた。
これまで彼女が聞いてきた不思議な声。まだ幼いからだろうか。声の主がライリーには見えている。
彼女自身が極一部を除いて打ち明けられなかったように、ライリーも己の感覚を理解されないまま育つのだろう。成長と同時に見えなくなれば良いのだが……。彼の将来を思うと気の毒で仕方なかった。
(自分なら多少分かってあげられるかもしれない)
その時、彼女の脳裏にある考えが浮かんだ。彼女はライリーを抱きかかえる。
「ねえ。幽霊の見える子がご飯をせがんできて困っているって話だろ。いっそ、ここの子にすれば良いんじゃないか? ベンと祭司様には私がお願いするからさ」
「あ? 本気で言っているのかお前」
「勿論さ。こんなにやせ細ってるんじゃ、そのうち餓死してしまうだろうし、変な子扱いされていたら街でもやっていけないだろう? 万が一幻覚見ているくらい心が病んでいるなら、それこそ毎日神様にお祈りしないとね」
「頼んでみる分には俺らの勝手だが、親はいなくとも誰かいるかもしれんだろ。兄弟とか」
腕の中からライリーが身を乗り出した。目が輝いている。
「俺、ここにいる! めし!」
ライリーは乗り気のようである。実際、彼には兄弟も祖父母も養父養母と呼べるような存在も無かった。たまに同じ孤児の仲間と一緒に行動することはあっても、いついなくなるのか、店の裏に落ちている野菜の皮や、食べられる草の根を取り合うことになるか、いつ急に意地悪されるか分からない。そんな人達しか周りにはいなかった。
食糧難の今、路上生活を続けるのは危険だ。そんな生活を抜け出したがっているということが二人にも伝わってきた。
「ガキの面倒見るのは大変だぞ」
「え? 君に子どもがいたのかい?」
「さ、流石にいねえって。ほら、まあ、年の離れた兄弟をあやす位のことはするだろ」
ビルがむせかえりながら答える。アリシアとビルは笑いながら礼拝堂に向かおうとすると、ライリーが不機嫌そうに、
「腹減った。めし!」
といって手足をジタバタさせた。その時、ようやく二人は結局ご飯を食べさせていなかったことに気がついたのである。
お詫びとしてもう1話です。




