リムナスの答え
不思議なことに、暫くすると、手は一本もなくなり、足元から水が引いていった。キャロルの思いは、乙女 達に伝わったみたいだ。
魔物は歌っている間、身じろぎ一つせず、半開きのまま、キャロルを見つめている。聞き入っているのか、吟味しているのか。
キャロルは十曲程、歌い終えると、大きく息を吐いた。
「今日は、ここまでです。如何でしたか?」
彼女がまっすぐ、おぞましい魔物を見据える。
リムナスは、腹を膨らませたり、へこませたりしながら、ゴロゴロと大きな音を立てていた。土と足がくっついてしまう感覚を覚え始めた頃、ようやく言葉が聞こえて来た。
「悪くない、むしろ良い歌声だった。これまでボクが聞いた中でもかなり上手な方だと思うな」
彼女の顔が、みるみる内に明るくなってゆく。僕も、体中から力が抜けていくのを感じた。
「けどさ、なんか違うんだよね。歌に集中できないんだ。なんでかな。うーん、うーん、ヴーーン、そう
だ、昼間に聞こえた、あの、へんてこで、調子外れの、酷い歌。あれがね、重なって流れてしまうんだよ。だから、折角の歌声なのに、あんまり耳に入ってこなくって。いやあ、あれは酷かった。いらいらして、まとめて飲み込んでやろうかと思っていたんだ。けど、今はあれが聞きたい。なんか、聞いている内に癖になってきちゃった。ねえ、あれ歌った人を連れて来てよ。もうあれじゃなきゃダメなんだ」
え? え? ナニソレ。
魂の抜けたような表情で僕を見つめるキャロル。
僕? 僕ですか。自分に人差し指を向ける。死んだ目をしながら頷き、どうぞ、と手で促す歌姫様。
「あれ、君だったの。じゃあ、歌ってよ」
あれから、僕は訳が分からないまま、なんとなく歌った。周囲の視線が刺さっている。クスクスと意地悪な笑い声が嫌でも耳に入ってくる。目の前にいる魔物が、なんか楽しそうにしている。穴があったら入りたい。
「これで良いんですか」
どうにか一曲歌い終えると、どっと汗が噴き出してきた。羞恥心と、疲れと、混乱でおかしくなっている。
「もっと歌って」
「もう無理です」
「歌ってよ」
「あの、結局約束はどうなったのかしら……」
「うーん。まあ、約束守ってくれたし、まあまあ上手だったし、酷い歌、聞けたから良いや。ほら、君はもう一回歌ってよ」
仕方なく、あと三曲位歌った。水を吸った服が重く、冷たくて、体がいっそう重く感じられる。息が苦しかった。
「もう喉が、限界です。これ以上は、はあ、はあ」
「えー。つまんないの。じゃあ、また歌いに来てね。できるだけ早く。約束だよ。さもないと、どうしようかな、今度は、毒で水を飲めなくしてやろうかな、うーん、でもやっぱり結婚がいいなあ。可愛い子と結婚する。そこにいる娘を、今度こそ、水底に沈めてやる」
「分かりました。行きます、また来ますから」
***
気が付けば、ツリーハウスの所に戻っていた。日はすっかり沈んでいた。
僕達は今、焚火を囲んで夕飯にしている。そして、再び危機が訪れようとしていた。
「お詫びの印だ、な」
ハルディアが、ローフェルを横目に言うと、うずくまった女エルフは目を伏せた。一応、肯定している様子。
老エルフが語ってくれたことによると、彼女は水辺に異変がないか確かめる「守護者」と呼ばれる仕事をしていて、泉の魔物を友達のように思っていた。
近年、生贄になる乙女が来ないという魔物の嘆きを聞き、慰めるため、森をうろついていた盗賊に対し、高値で売れるクレナ石と引き換えに、求道所には若い女が数多くいることを教えてもらい、途中まで協力させていたのだそう。
友達思いではあるのだろうが、我々にとっては困った話である。
お詫びの品とやらが、僕達の目の前に置かれた枯葉の上に、こんもりと盛られていた。そう、白い虫の幼虫、焼いた芋虫が。
これはちょっと、火は通っているけれども、無理。申し訳ないけど、こればかりは食べられない。
「あ、ありがとうね」
と言っているアシュリーは未だかつてないほど顔が引きつっている。キャロルは、顔面真っ青だ。僕も、きっと同じような顔をしている。
女エルフが、不機嫌そうにこちらを睨みつけている。
「やっぱり、人間は嫌いだ」
と呟いた。女エルフの本心を伺い知ることはできないけれど、彼女の根底に流れている人間への不信感と、嫌悪が、この騒動を招いているような気がした。
折角取って来てくれたものを拒否したら、人間嫌いが加速する。食べなければと思っているが、焼き色に紛れている黒い斑点を見た瞬間、体が全力で拒否した。でも、芋虫は、芋虫は無理だ。
「いらないなら俺がもらうぞー」
ライリーが、ひょいっと、僕の前にあった芋虫の山から一匹取っていく。口の中に躊躇なく入れて、咀嚼する。
「ライリーさん、食べられるのですか!」
キャロルが驚く。
「そりゃ、小さい頃は虫も色々食ったぞ。大体不味いんだけど、偶にいけるな、ってのがあるんだ。これは結構旨い方」
「キャロルちゃんの前でどうかと思うけどさ、兄弟って、偶に変なもの食べているよね。今でも。花とか、草とか」
「そんなことねえし」
彼の身に何があったのかは詳しく、聞かされていないが、幼い頃よほど苦労してきたのだろう。
女エルフがライリーを見つめる。狐が彼女の頭の上に載って、体を擦り合わせている。
「美味しい?」
「美味しい」
「それ、あたし好き」
「俺も」
ローフェルの表情が少しだけ柔らかくなった。




