黒幕
墓参りは終わった。母も、満足してくれている様子だった。僕のできることはもう無い。後は、父の元から離れ、天国へ旅立ってくれる事を願うだけ。すっかり日が沈んでいた。そろそろ宿へ行こうかと話していた時だった。
「あーあ。リリアンヌ帰っちゃった。折角もっと面白いことしようと思っていたのになあ」
後ろから不気味な声がする。振り返ると、黒いマント、赤い瞳、青白い肌、そして八重歯を鋭くしたような牙。誰の目から見ても明らかな、本物の吸血鬼が墓石の上に腰掛けていた。
「どなたか存じ上げませんが、母さんに何の用ですか」
寒さと恐怖で震えるのに負けない様、大声を張り上げる。
「何って? 願いを叶えてあげただけだよ。力が欲しいって。丁度さ、目に物見せてやりたいと思っていたんだ」
吸血鬼の爪が伸びる。ライリーが辛うじて杖で弾いた。僕達は必死で逃げる。雪で足がもつれて上手く進まない。
「ボク、礼拝堂の人間って嫌いなんだよね。姉さんにいわれの無い罪をなすりつけて、いじめた人達にそっくり」
痛みが走る。顔に手をやる。べっとりとしている。血だ。深くはなさそうだが、相手は血を吸う生き物、マズイ。首筋に血が流れる嫌な感覚がある。
少し先に、小川が流れているのが見えた。橋は、見当たらない。丁度良い。吸血鬼は流水を渡れない。でも、人間なら、なんとか渡れそうだ。
「兄さん、転送魔法使える?」
「できるけど、転送元と先、二つ必要なんだけど」
「僕が川の向こうで書いてきます。終わったら合図するんで、そこに吸血鬼を飛ばして下さい。先輩。何か
魔法使えませんか?」
身体能力が高く、再生能力も高く、魔法も使える。まともにやり合って勝てる相手ではない。大事なのは時間稼ぎ。
「何も使えねえよ。けど、心配すんな兄弟。俺達にはこれがある」
ライリーは銀でできた聖水の容器を取り出した。銀には古くから、吸血鬼除けの力があると言われてい
る。
「先輩、兄さんが書き終わるまで凌いで下さい」
僕は、ありったけの力を込めて、冬の川を渡りに行った。骨の髄から冷たくなっていく。もがいて、体を動かして、渡る。雪や川の水が入り込んで、更に重くなったマントがまとわりついてくる。ボタンを外す。
マントは、川に流されていった。どうにか渡りきった。だが、息を切らしている暇は無い。吸血鬼から逃げ切る迄は。
転送魔法陣は頭に入っている。手頃な石で円を描き、今日の日付を思い出し、時間を類推しながら書き込んでいく。手が震えている。だが、一文字のミスも許されない。間違えたら、送ることができない。確実に書き込んでいく。
昔、養父に連れられて演劇を見に行き、魔法に魅せられた。僕の夢は魔法使いになることだった。でも、僕は聖職者にならないといけなかった。
前にいた礼拝所で、先輩に当たる人と議論したことがあった。魔法は、神学的に罪か否か。
先輩はこう言った。
「呪文の中に、神の名において命ずってあるだろ? 簡単に言えば、神が命令するってことだ。誰にだと思う? 悪魔に、だよ」
「天使かもしれないじゃないですか」
「自分たちはそれを確認できない。天使だという確証が無ければ、悪魔だと見なすのが妥当だ。つまり、魔法は悪魔崇拝なんだ」
僕は、これに反論できなかった。だから、魔法を使わないと心に決めた。丁度その頃、あまり才能がないことに気づいてしまったのだけれど。
だが、今はそんなことを言っている場合じゃ無い。仲間の命が危険にさらされている。寒い、我慢だ、痛い、知るか、血がぽたぽた落ちている、関係ない。
円は書けた。合図を出さないと。杖なんて持ってない。もう石でいいや。神様、もう天使でも悪魔でも何でもいい、僕にほんの少し力を貸して下さい。
「神の名において命ず、炎よ!」
手が熱くなる。石を投げる。空に、火の玉がつかの間舞った。川の向こうで地面が光る。吸血鬼と思しき影がかき消えた。僕は這いつくばって陣から離れる。
僕は最後の力を振り絞って、再び川を渡った。渡っているのか、泳いでいるのか、溺れているのか分からない。最早、何も感じなかった。どうか火を付けてくれたのが天使様でありますように。




