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「シャルロット・ロシニョール」という女 ―もう一人の公爵令嬢―

作者: Kazma8910

 もしも「人生で最良の瞬間は」と問われたら、かつてシャルロット・ロシニョールと呼ばれた公爵令嬢は迷わず「他人の生殺与奪をこの手に握った時」と答えるだろう。




 長いキスの後、デルフィーヌ・ダイグルはピエール・ロベスに囁いた。

「今日から始まるのね」

「ああ、貴族社会の終わりの始まりだ」


 眼鏡をかけた青年医師が答えた。癖のある灰色の髪のおとなしげな彼が実は何歳なのか、そもそもどこから来たのかダイグル公爵令嬢は知らない。知る必要もなかった。彼の計画の達成は自分の夢の実現と同じ。それで充分だった。


 彼と共に『赤い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』を利用して使えるテロ組織を作り上げ、ようやく葡萄月の大園遊会で襲撃計画を実行できるまでになった。

 これで自分を愛さなかった皇太子とその一族も、自分を馬鹿にしてきた貴族連中も抹殺できる。できるならあの女も一緒に始末してしまいたいのだが。


「ねえ、あの侍女は殺さないの?」

 つまらなそうに問うと、ピエールは苦笑気味に答えた。

「彼女は保険だよ。万一失敗した時にこの世界を離れるためのね」

「あなたが失敗なんてしないでしょ」

「最悪のことを想定して動くの革命に欠かせないんだ」


 なら成功してから殺せばいいのだと、デルフィーヌ・ダイグルは自分に言い聞かせた。出かける間際にピエールは思い出したように言った。

「ああ、ロシニョール男爵が裏切りを疑われて軟禁されてる。部下が憲兵に捕まったようだし、処分させるだろうね」

「そう」


 肩をすくめる程度の反応に彼は笑いながらドアを閉じた。一人残された公爵令嬢はベッドに腰掛け伸びをした。前世での実父の命が風前の灯火と聞いても何の感慨も湧かない。

「あの男なら、いくらでも殺される理由があるでしょ」

 そう呟いて彼女は窓から首都シーニュの下町を見下ろした。前世の幼児期に見た光景と重なり、ふとこの日までの出来事を振り返った。




 違和感は物心ついた時からつきまとっていた。公爵令嬢として育てられ教育を受けても、面倒くさいという思いが拭えなかったのだ。母の侍女にはあからさまに嘆かわしそうな溜め息をつかれた。


 決定的に運命が変わった日を今でも覚えている。六歳の時、ダンスが雑だと教師に叱られ、癇癪を起こして花瓶をたたき壊し左手首に軽い傷を負った時だ。突然頭の奥で何かが溢れたような感覚に囚われ、彼女は倒れた。

 目を覚ました時、側には主治医の老人ではなく助手だという若い医師、ピエール・ロベスがいた。彼は二人きりの時に囁いた。

「やあ、また会えたね、シャルロット」

 その瞬間、まざまざと前世の記憶が甦った。田舎の男爵の庶子として生まれ、彼を操って首都の社交界に入り皇太子を公爵令嬢から奪って結婚にこぎ着けたこと。栄光の頂点からテロの標的にされ皇太子を失い、頼みの子供を流産し公爵家に見捨てられた挙げ句に死んだこと。


 目の前の医師は前世で公爵令嬢を追い落とすのに協力してくれた人物だ。彼の持つ薬物のおかげで、あの役立たずの女は廃人になり自殺した。そのすぐ後に自分も死んでしまったことを思うと業腹だが、現世ではあの女から奪ったものは最初から自分のものになっている。

 デルフィーヌ・ダイグルは有頂天になった。入れ替わるような転生の不思議さよりも、公爵令嬢として生まれた幸運が勝っていた。このまま皇太子と婚約し結婚すれば自分はリーリオニア皇国の頂点に立てる。


 その未来に暗雲が漂ったのは彼女が十三歳の時。皇太子ルイ・アレクサンドルがフィンク半島の小国から留学してきた伯爵令嬢ファニア・エステルハージと恋に落ちてしまった。ダイグル公爵令嬢との婚約が持ち上がっていた時であり、当然周囲は猛反対だった。


 赤みを帯びたブロンドと緑柱石のような瞳を持つ儚げな伯爵令嬢に、デルフィーヌ・ダイグルは明らかな殺意を抱いた。ピエールに連絡を取り相談すると、彼は面白そうに言った。

「これから西方大陸に疫病が大流行する。それを理由に帰国させればいい。ああ、念のために帰国後に気の毒な事故を用意しておけば完璧だよ」


 公爵令嬢はすぐさま理解した。前世で男爵家で居場所を掴むために使った手段を発揮する時だ。現世では娘を道具としてしか見ていない公爵だが、皇太子との婚約が危うくなれば公爵家としても手を打たねばならないだろう。

 まず公爵に涙ながらに訴える。自分がいかに皇太子を慕っており、今回のことに傷ついているか。ピエールから渡された薬物を公爵の酒に混入させ、彼の思考をこれが国益のためだとすり替えて伯爵令嬢を強制的に帰国させた。


 そしてピエールの予言どおりにエスパ風邪が大陸中に猛威を振るった。フィンク半島でも多大な犠牲を出していることを知り、公爵令嬢は今が恋敵を葬る機会だと確信した。伯爵領が迷信深い土地柄であることを知ると、そこから来た労働者にエステルハージ伯爵領での流行は令嬢が持ち込んだのだと吹き込んでもらう。一人ではなく複数から話を流されれば、非現実的なことでも信憑性が生まれてくるものだ。あとは、故郷の家族を心配した労働者が噂を伝えるのを待てばいい。




「あんなに簡単に暴動を起こすなんて、野蛮な土地ね」

 窓辺に立つ公爵令嬢は黒髪を掻き上げた。




 間もなくしてエステルハージ伯爵領で起きた悲惨な事件を聞いた時に感じたのは恐れでも後悔でもなく、自分の手で人を破滅させることができる高揚感と興奮だった。それをピエールは分かってくれた。

「君のような人間が世界を変えていくんだ。恐れも後悔も、革命のためには無用だ」

 前世での過激すぎた革命運動を反省した彼は、現世では上からの改革を目指していた。そのためには公爵令嬢が皇后になるのが必要条件だ。


 だが、前世では恋人と引き裂かれてシャルロット・ロシニョールに依存するようになった皇太子が、現世ではファニアの無残な死にうちのめされ無気力に陥ってしまった。

 ダイグル公爵令嬢との婚約は内定段階から進まず、民族主義者と交友を持ち、廃太子の噂さえ流れる有様だった。デルフィーヌ・ダイグルは憤った。


「あんな腑抜けだとは思わなかったわ」

「確かに、このままだと皇位継承はドートリュシュ大公に移りそうだ」

 ピエールも意外な成り行きに焦りを隠せなかった。

「あそこは跡継ぎがエスパ風邪の後遺症で宮廷にも出られないのよ。大公妃は領地に放っておかれてても生きてるし」

「二人とも片付けて君を大公妃に据えるのは難しいな」

 エステルハージ伯爵領とは違い、皇国内だ。大貴族の不審死には官憲が捜査に入ってくる。


 まるで散歩の順路を変えるような気軽さで、ピエールが提案した。

「いっそ、貴族体制を壊してしまおうか。不満分子を集めて新体制を作るんだ。軍部はやがてフィンク半島侵攻を計画する。エスパ風邪の被害で疲弊した地方の反発を煽れば皇王と貴族たちへの憎悪に変えられる」

「そうしたらどうなるの?」

「新世界を作るんだよ。君はさしずめ新たな秩序の女神だ」


 彼の言葉は前世での幼い日の夢を呼び起こした。

「…世界で一番のお姫様になれる?」

「君が望むならね」

 ダイグル公爵令嬢は微笑んだ。そうなれば、嫌な奴のご機嫌を取らなくてもいい。愛されようと努力する必要もない。ただ、いるだけで頂点から全てを支配できる。

「どれから始めればいい?」

 彼らが共犯者として一歩を踏み出した瞬間だった。


 彼女はまず公爵家の実効支配に取りかかった。ダイグル公爵アンセルムはうって変わって娘を甘やかすようになった。それに批判的だった兄エルネストも陥落させた。父親に関係を強要されたと震えながら告白し、薬物入りの酒で判断力を狂わせる。あとは罪悪感を父公爵への反発にすり替えさせ、対抗意識を植え付けた。

 公爵夫人には二人との関係を見せつけて半病人に追い込んだ。夫人の侍女には怨念のこもった視線を向けられたが、使用人ごときに出来るのはそれがせいぜいだ。




「前世と比べると遙かに楽だったわ」

 窓からの風を受けながら、デルフィーヌ・ダイグルは笑った。




 ロシニョール男爵の寵愛を得るために身体を与え続けた前世の苦労は、ピエールという協力者を得て薬物を使用できる現世では無用のものだった。事実すら不要なこともあるからだ。

 要は、関係を結んだと思い込ませることが肝心なのだ。禁断の関係であればあるほど効果は絶大だ。悩み苦しむ者は容易に思考を操作できる。公爵には彼だけが頼りなのだと信じ込ませ、兄には父から守る騎士なのだと思い込ませる。聖ミュリエル女学園に入る頃には、彼女を頂点とした三角関係で公爵家は危うい均衡を保っていた。


 そして、彼女は現世でのシャルロット・ロシニョールと出会う。


 最初は見逃しそうなほど地味な様子の男爵令嬢に拍子抜けした。しかし、前世での腕輪事件を再現され確信した。彼女も前世の記憶を持っていると。

 北限の塔のことを持ち出すと、男爵令嬢は認めたばかりか宣戦布告してきた。


 役立たずの公爵令嬢が生意気なと思ったが、男爵からの援助もほとんどないのに所作の美しさと巧みなダンスで彼女は注目を浴びる存在になっていった。

 前世で、唯一の取り柄のダンスの時間に怪我をさせ、皇太子の相手役を奪った時は痛快だったのにと苛立ちが消えなかった。


 更にモワイヨン侯爵令嬢が自分の失敗を棚に上げて腕輪事件で庇ってくれなかったと恨み言を漏らすようになり、薬を与えておとなしくさせるしかなかった。その間にも前世で役立たずと見下した女はディロンデル公爵令嬢やパンソン財閥の令嬢と友誼を結び、デビュタントを命じて恥をかかせようとしても斬新なドレスと見事なダンスで皇后に認められた。


 皇后宮に仕える侍女として宮廷に出るようになった男爵令嬢を忌々しく思い、変わらぬ無気力な皇太子に見切りを付けた公爵令嬢は本格的にピエールと『赤い雄鶏』に関わるようになった。

 うるさい皇后に生真面目に侍る男爵令嬢を馬鹿にし、デルフィーヌ・ダイグルはより楽で効率的な関係構築に取りかかった。


 エスパ風邪大流行直前にピエールはドートリュシュ大公に薬を流通から巧妙にかすめ取り高く売り捌くことを持ちかけ、革命資金を調達した。彼が調達する麻薬系の薬物はより強力なものになっていき、公爵家の男たちは令嬢の言いなりだった。念のため、公爵夫人もピエールが主治医経由で薬物中毒にしておいた。

 ドートリュシュ大公に取り入ることにも成功した。彼に対しては被害者として泣き付くのではなく、皇太子ルイ・アレクサンドルが皇王としての資質に欠けると指摘し大公こそが次期皇王の座に相応しいと自尊心をくすぐる手段が功を奏した。大公の居城パレ・ヴォライユは『赤い雄鶏』の隠れた拠点となった。


 ダイグル公爵家の惨憺たる有様に、公爵夫人の侍女に今に悪行の報いが来ると呪いめいた暴言を吐かれたが痛くも痒くもない。淫売呼ばわりされても、この世界とは次元が違うピエールの医術があれば高級娼婦(クルティザンヌ)も恐れる病気や妊娠とは無縁だし、そもそも彼女は自分を安売りするつもりなどなかった。

 男は限界までじらしてちょっぴりご褒美を与えてやれば、次のご褒美目当てで尻尾を振る。勿論、暴発させないために甘い言葉と彼だけが頼りだと思わせ夢を見させ続ける必要があるのだが。


 いい加減ダイグル公爵家に留まることが活動を制限されるようになった頃、皇后から公爵夫人への見舞いの使者であの女がやってきた。それに乗じて父親の寝室で兄を鉢合わせさせて傷害事件を引き起こさせた。

 錯乱状態の公子を正論で諭そうとする男爵令嬢を、回廊で見下ろしながら笑ったものだ。




「あのお上品ヅラ、反吐が出る」

 窓枠を掴み、デルフィーヌ・ダイグルは吐き捨てた。




 パレ・ヴォライユでなじられたことが甦る。ロシニョール男爵夫人のことなど、何であの女が非難するのか気が知れない。同じ思いをしたはずだ。男爵邸に自分のための物など何もなかった落胆と憤怒を。

 前世では男に媚びを売るしか能がないと言われ続けたロシニョール男爵令嬢が、現世では皇后お気に入りの侍女として宮廷の花、白鳥姫ともてはやされるのが不快で仕方がない。


 公爵令嬢に相応しい所作が身につかないのは根気よく反復練習しないからだと家庭教師や公爵夫人の侍女に何度も言われたが、どうせ男の気を引くためにすることだ。それならより効率的な方法を選択して何が悪いのか、彼女には理解できなかった。

 女学園時代に、シャルロット・ロシニョールとどちらが公爵令嬢か分からないなどと陰口をたたかれるたびに殺意を覚え、機会があるごとに身のほど知らずを薬物に溺れさせてやった。


 これまで何人を破滅の淵に追いやったのか、公爵令嬢は数えてみようとしたがすぐに諦めた。ダイグル公爵家の家族、学友、ドートリュシュ大公、使えなくなった革命組織の下っ端、エスパ風邪で死んだ膨大な数の人々……。もうエステルハージ伯爵令嬢の顔さえ思い出せない。




「そんなの、覚える価値もないもの」

 ふと口から出た言葉が胸の中を駆け抜けた。時おり彼女は、どこに向かうのか無性に不安定な気分になることがある。決まって、前世のことを思い出し現世のシャルロット・ロシニョールに思いを馳せた時だ。


「馬鹿馬鹿しい。私は世界一のお姫様になるのよ。ピエールが約束してくれたんだから」

 首を振り、それよりも今日の計画だと公爵令嬢は気持ちを切り替えた。計画が実現すれば、きっと幸せになれる。何にも怯えることのない人生が待っている。


 用意した宮廷のメイドのお仕着せに着替えた。その上からだぼっとした古着を被り、彼女はこれからの行動計画を頭に描いた。宮殿のドートリュシュ大公の部屋に続く抜け道は記憶している。

 『赤い雄鶏』の連中が水路から庭園に侵入し、花火に紛れてオペラ見物をしている皇王以下の貴族たちを爆殺し、革命政権を打ち立てる。『赤い雄鶏』とは別に、ザハリアス帝国からの工作員との話はついている。帝国の傀儡を装いながら、やがてザハリアスにも革命を連鎖させるのだ。


 西方大陸の王国が次々と革命に蹂躙される様子を、公爵令嬢はうっとりと想像した。

「必要ないものなんて、存在する価値ないわよね」

 目障りな男爵令嬢も必ず抹殺する。ピエールの怒りを買わないよう工夫しなければ。


 踊るような足取りで公爵令嬢はドアを開け、二度と戻ることのない部屋を後にした。

悪女の方のシャルロットの話です。本編で説明不足だった点の補足的な話です。覚え書きぼくなったため読みにくくなってしまったかも。

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