(3/12)ローレンヌはすでにいる
戸籍課のレインは台所の窓から睨みつけているおばさんに明るく手を振りました。
「すみませーん! ナンシーさんをお借りしたいのですがー」
おばさんが肩を怒らせてズンズンやってきました。
勢いに鳥たちが驚いてバサバザーっと飛んでいってしまう。
「なんでだよっ。この子忙しいんだよ。いい加減にしておくれっ」
「図書館のご案内をしたいんですぅー」
「図書館!? そんなごたいそうなところ必要ないよっ」
「図書館は税金で賄われているんですよー。税を払ってる方ならみなさんご利用できるんですー。あ? ナンシーさんのところは税金払ってますよねー」
アンナおばさんがなぜだか真っ赤になりました。
「当たり前じゃないかっ」
「じゃあご案内しないとー。2時間くらいで帰ってきますぅー」と言うが早いかナンシーの腕を引っ張り飛びました。ナンシーはつられてレインについて行きました。
久しぶりの飛行! とても気持ちよかった。ナンシーは緑の髪をなびかせて思いっきり飛びました。羽をはばたかせていると自分の住んでいた村がみるみる小さくなりました。
やがて眼下に石畳の街が見えてきました。ナンシーの住まいはボロボロの漆喰なのに、街は煉瓦建ての清潔な場所でした。
2人で『ストッ』と石畳の地面に着地しました。20分くらいで街に着きました。
図書館は大きな建物でした!
3階建でいくつもの窓があり中は吹き抜けになってました! 螺旋階段が3階まで達していて2階部分と3階部分に色とりどりの背表紙が並んでみえました。
ナンシーはあぜんとして見上げるだけでした。
『夢みたいな空間………』
「こちらです。本当は1階のカフェにご案内したかったんです」
レインは姿勢を正してスッスと歩きました。背中の肩甲骨の動きに合わせて透明な羽が揺れるのをナンシーはうっとりと見続けました。
1階のカフェも素敵でした。テーブルクロスは薄いピンクでセンターに紫と白の花が生けてありました。
高い天井にはシャンデリアが輝き柱はアーチ状でした。
ウェイターが白い布巾を持ってかしこまって来てくれる。レインは手慣れた調子でウェイターに何かを頼みました。
アップルパイと紅茶がきました。見たことのないようなご馳走!
サクッとしたパイ生地と焼リンゴを口に入れると甘さと酸味が同時にやってきました。
「んー!」
美味しい。ほっぺが落ちそうです。なんか。わからないけど懐かしい!
レインは青い目でじっとナンシーを見つめていました。ひじをテーブルの上に乗せ手を前に組んでいます。
「美味しいですか?」
「はい!」
「……………そうですか………美味しいんですか………」
え?
レインが口を開きました。
「私が最初に違和感を持ったのは居間の写真です」
「居間に家族写真があるのは当たり前ですよね?」
「どうしてそう思われたんですか?」
「え?」
「失礼ですが。ナンシーさんのご家庭の年収ならないのが当たり前です」
@@@@
無いのが当たり前?
それはそうなのにナンシーは一瞬ピンときませんでした。なぜピンとこないのかもわかりませんでした。
「写真て。撮るのにいくらかかるか知ってますか?」
「存じません」
「おおよそ。ナンシーさんのお家の10日分の稼ぎです」
「!」
そんなに!?
「私どもは市役所の税務課と連携しています。ナンシーさんのお家の年収も把握しているんです」
「はい」
「写真なんていうものは。一部のお金持ちをのぞけば、そうしょっちゅう撮れるものでもないんです。ましてやあなたみたいな学校にも行かせてもらえない子にさせる贅沢ですか?」
「…………」
「なぜ私どものような課があるのか? それは『カイコ』と『大人』で全く容貌が変わってしまうからです。具体的には瞳の色しか残らない。あとは別人になる。わかりますね?」
「はい」
「だからこそ。生まれたときに髪の毛や瞳の色を記録し『羽化』した後の髪の色や瞳の色も記録する。連携した情報を載せることで本人であることを確認するためです」
「あ、はい」
「写真はあまりに高いし、白黒だから瞳の色はわかりません。ですから文字で記録する。それが私どもの役目です」
「わかります」
「ところで」
レインは鞄から一冊の本を出しました。
「これ。今日図書館に返す予定なんです。すみませんがその前に読んでみていただけませんか」
戸惑いましたが1ページ目を読みました。なかなか難しい内容でした。
「スラスラ読めるんですね……」
どうしてこんなに難しい本が読めるのか自分でもわかりませんでした。
レインはハンカチを取り出して手で遊び始めました。白いレースのついたデザインですみにイニシャルの『R』が刺繍してあります。なんとなく言葉を選んでいるようです。
視線を紅茶に向けたまま『なるべく』何気ない調子で言いました。
「変ですよねぇ。ナンシーさん。あなた畑仕事ばかりさせられてましたね?『羽化前』のナンシーさんもそうです。ほぼ学校には来てなかったと聞いてます。どうして読めるんですかねぇ」
本当だ。どうして読めるんだろう。考えたこともなかった。
「ナンシーさん。先程申し上げた行方不明になった女の子ですがローレンヌ=ゲートリンガンと言います。瞳は紺色。ここから船で3週間くらいかかる大陸に住んでいます」
ドキリとしました。
「その子は街一番のお金持ちの1人娘なのですが。アップルパイが好きで高等教育を受けています。どんな難しい本も読めるんだそうです」
ナンシーは真っ青になりました。心臓が早鐘のように打ちます。
「あの……つまり……それはわたくしが………」
「しかし一つだけ問題があります」
「問題?」
「ローレンヌさんはもう、いるんです」
なんですって?
【次回】『行方不明のローレンヌ』
〈登場人物紹介〉
【デルタストン市】
ナンシー この物語の主人公。緑の髪の毛。15歳。
アンナ ナンシーの叔母
ジム アンナの夫
ルネ ナンシーの叔母
ダイク ルネの夫
レイン デルタストン市役所戸籍課職員
【オルトリア市】
ロバート=ゲートリンガン(ご当主)街一番のお金持ち
パトリシア=ゲートリンガン(奥様)ロバートの妻
ローレンヌ=ゲートリンガン ゲートリンガン夫妻の一人娘。朱色の髪の毛。15歳
リベルタ ゲートリンガン家のメイド
ミンティ ゲートリンガン家のメイド
ダッタ=ヘッジ オルトリア市戸籍課職員




