秋 その1
涼しい気配をはらんだ風がのびやかに中庭を抜けていく。草木は装いを変え、赤や黄色に染まった葉がはらはらと舞い落ちていった。葉が落ちるほどに季節の移ろいを感じさせる。どこか物悲しい雰囲気を漂わせながら、秋は吉原にも訪れていた。
「あら、こんなところにも」
銀菊はかがんで綺麗に色づいた銀杏の葉を拾いあげた。虫食いの穴もなく、いちめん黄色に染まった銀杏の葉は形も愛らしい。ここには銀杏の木はないのにどこから、と銀菊は空を見上げる。秋らしくすっと伸びた青い空は美しかったが、銀杏の木は見当たらなかった。
「どうした、銀菊」
近くで薬草の鉢を見ていた裕次郎が立ち上がってたずねた。
「いえ。銀杏の葉を見つけたものですから」
銀杏の葉を帯に挟んで、銀菊は裕次郎に笑ってみせた。
裕次郎が伊岐楼に通ってくるようになって、もう数ヶ月が経った。すっかり季節が移ったいま、朝夕はめっきり冷え込むようになってきている。今年は雪が深くなりそうだ。
裕次郎は十日程度に一度、伊岐楼にやってくる。銀菊を呼んで、昼はこうして薬草の世話をしながらたわいもない話をし、夜が明けるまで部屋で遊技に興ずる。
裕次郎は一度も銀菊を抱こうとはしなかったし、手に触れることさえなかった。
しょっちゅうやってきては長い時間を過ごすものだから楼主は裕次郎が銀菊を気に入ったものと信じて疑わなかったし、裕次郎に身請けをさせようとしているのもわかっていた。
だが裕次郎が時間も金も使ってなぜ自分と一緒にいるのか、銀菊にはわからなかった。
遊女は一晩きりの恋の相手だ。睦言をかわし、体を重ね、一夜の夢を与える。それをしない相手に何を求めているのか、全く掴めなかった。
それでも、と銀菊は思う。熱心に草を間引いている裕次郎の横顔を見つめて微笑んだ。客を選べる花魁の立場でありながら、彼を拒まないのはなぜか、自分の気持ちはもうはっきりとわかっていた。
「裕次郎さま」
やわらかく呼んだ銀菊の声に裕次郎が顔をあげる。
「今よりさらに季節が進んで初冬のころ、吉原では炎の舞、炎舞と呼ばれる火除けの儀式が行われます。その儀式で、私は舞い手をつとめるのです。もし、もしよろしければご覧になってほしいのです」
気丈に口を開いたものの、銀菊の最後の言葉は震えていた。口を閉じて、銀菊は地面に目を向ける。こんなにも拒否されるのが恐ろしいと思ったことは初めてだった。
手になにか触れた。はっとして顔をあげると裕次郎がそっと手を握っていた。壊れやすいものを支えるように、柔らかく銀菊の手をとっている。
「見るとも。必ず。銀菊太夫…炎舞のあとで話をさせてほしい」
優しい声だった。青年の目はしっかりと銀菊の目を見ていた。薄紫のかった、夜明けの色が金色の目を見つめる。このひとは、私のことを考えてくれている。自然とそう思うことができた。