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花魁と懐刀  作者: ニビ
2/13

春 その1

 肩から背中にかけて鈍い痛みが走った。思わずうめき声をあげ、かすむ目をこじ開ける。

「じっとしていなんし。お前さんを匿ったことがバレたらわっちも無事でいられませぬゆえ」

  不意に降ってきたやわらかい吉原の言葉にイタチの少年ははっと目を見開いた。素早く目だけを動かして周囲の様子をうかがう。和室だった。自分のそばにひとりの女がいて、その奥に畳が広めに敷かれている。部屋を囲むふすまの前に金糸銀糸をふんだんにあしらった赤い打ち掛けが飾られてあった。それをみてから少年はわずかに首を傾けて匿ってくれた女の顔を見上げた。

  ゆるく髪を結った女の顔があった。ふつうのもののように獣面人身ではなく、ほとんど人に近い顔をしている。うっすらと生えた毛が顔を覆っているのと髪の間から伸びた狐耳で獣人とわかったくらいだ。

「あんた…花魁か…」

  少年がかすかに声をあげると女は眉をひそめて声を出さぬよう制した。

「追っ手が来てるのよ。静かに」

  口調をたがえた女が少年の上に布をかぶせた瞬間、外からふすまが軽く叩かれた。

「太夫、おやすみのところすいません。怪しいものがこちらに逃げ込んだとの情報がありまして」

  追っ手を取り次いだ太夫の守り役だろうか、外からくぐもった男の声が届いた。

  と、布越しに女が動く気配がした。ふすまに向き直っているようだ。

「なにもありんせん。そなたらの動きで目が覚めてしまいんした」

  女の静かな声が聞こえる。ふすまの外は少しの間沈黙していた。不満げな雰囲気は気のせいではないだろう。

  やがてため息が聞こえた。

「わかりました。ここは捜索しませんが、あとで楼主さまにお話をお願いします」

  足音が遠ざかっていく。どうやら花魁のおかげで助かったようだ。少年はつめていた息をふうっと吐き出した。

「もう大丈夫。…でも、楼主さまにお前のことを頼まないとね」

  その言葉を聞いた途端、張り詰めていた緊張がぷつっと切れた。すぐに目の前が暗闇に覆われ始める。意識を失いかけていることはわかったが、抗えなかった。

(それにしても…綺麗なひとだな)

  最後に思ったのはそれだけだった。

 

 

「…あら、気絶しちゃったわ」

  少年を見つめながら花魁・銀菊はつぶやいた。まだ幼さの残る少年だが、ぼろきれのような服をまとい、もとは金色であったらしい毛色もくすんでいる。毛並みも悪く、どんな環境で育ってきたかは明白だった。

(たぶん、この子は盗賊なんかの使いっ走りみたいなことをやらされていたんだ。仕事をしくじって尻尾切りに使われた、ってとこかしら)

 見ず知らずの少年に恩をかける義理はない、というのが吉原の感覚だろう。だが傷ついた少年はあまりにも哀れで、銀菊は目が離せなかった。このまま彼を追っ手に引き渡しても命を奪われるか薄汚い仕事をさせられ続けるのは明白だった。

(なにかの縁、ということかしら)

 少年の手にそっとふれる。少年はかすかにうめき声をあげたが、目は閉じたままだった。

(引き渡したりなんかしない。吉原の中とはいえ、ここにいられれば少しはましな生き方をできるはず)

 覚悟は決まった。この子に新しい生き方をさせてあげたい。

  銀菊は少年から目を上げると植木鉢を置いてある格子窓の向こうに耳をすました。もうさっきのような慌ただしい音は聞こえない。追っ手はどこかにいってしまったようだ。この子のことを話すなら、今が一番だ。

  銀菊はそっと側用人の部屋のふすまを開けた。いつものように、固い表情をした小柄な狐の獣人がきっちりと正座をして控えている。今日の当番がハヤという名前だと知ってはいたが、銀菊が呼ぶときは「禿」で統一するように言われていた。

「禿、すまぬが楼主さまにとりついでくれぬか。銀菊の火急の用だと」

  ハヤは一瞬だけ眉をあげて銀菊を見たがすぐにうなずいて立ち上がった。滅多に頼みごとをしない銀菊の火急の用というのがなんなのか気になったのだろうが、これで楼主とは話ができるはずだ。

  銀菊は枕元に畳んであった普段使いの小袖に手早く着替えてハヤの返事を待った。騒ぎがあったあとだから寝てはいないだろう。

  ほどなくハヤが戻ってきて無表情に告げた。「楼主さまが鴉の間でお待ちです」

「すまぬな」

  銀菊は短く答えて部屋を出た。肩越しに少年を確認したが、気を失っている少年が起きる気配はなかった。

  磨き抜かれた木の廊下を歩き、仰々しい飾りが施された楼主のいる部屋のふすまを叩くと、不機嫌そうな楼主の声が返ってきた。

「銀菊だな。入れ」

「失礼をいたしんす」

  きっちりとした動作で礼をこなし、正座をして三つ指をつく。おどおどした様子は見せず、さりとて権威も見せない。自分を雇っている楼主にはこの塩梅が難しかった。

「それで、どうしたのだ。よくわからん追っ手どもがようやく帰ったとこなのだぞ」

  楼主がキセルをぽんと灰皿に打ちつけると同時に銀菊は顔をあげた。

「追われていた者を、私の部屋に匿っております。この者を、私の用心棒にしていただきたいのです」

  楼主はさすがに驚いた様子を見せたが、ゆっくりと煙を吸った。

「なぜだね。そのような者は自警団に明け渡すのが筋だろう」

  銀菊はすっと顔をあげて楼主を見つめた。年の分、したたかさを身につけた老獪な狼獣人は真っ向からその視線を受け止めた。

「追われていた者はまだ幼い、イタチの獣人でありんす。さいわい、わっちには特定の側仕えがまだおりんせん。この者に用心棒と側仕えを兼ねてもらいとうございます」

 銀菊は冷静な口調ではっきりと述べた。あせってはいけない。はやる気持ちを無理に抑え込む。この楼主に隙を見せるのは命取りだ。

 楼主は黙ったまま鋭い眼光を花魁に向けていた。めったに顔を合わせようとしない銀菊がなにを考えているかをはかりかねているようだった。

 永遠にも思われるような息苦しい時間が過ぎたあと、狼の老人はようやく口をひらいた。

「よろしい、その者をお前の用心棒にしよう。厄介なことにならぬようにな」

  皮肉っぽい口調で言うと、楼主は口のはしをめくりあげるようにして笑みを浮かべた。狐のものとは違う、太くてぎらりとした奥の牙がのぞく。このひとには、生き物として勝てることはないことを思い知らされた気分だった。

  楼主の言葉の意味を理解できたのはずっとあとになってからだ。彼はなにもかもわかっていたのだろうか。花魁と、用心棒となった少年がたどる道が見えていたのだろうか。






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