ソラニルとは
開けた視界の先、崩れた石畳を下敷きにして転がっていたものは、全身にゴツゴツした硬いオフホワイトの殻をまとった生き物だった。
クジラがカニやエビの殻を着た姿というのが一番分かりやすい例えだろうか。顔の上半分から背中へ向かって殻の兜を被り、また、腹や腰などの関節部分を除く体の大多数を殻の鎧で包んでいる。頑丈な鎧の下には、しっとりと弾力のある質感のブルーブラックの肌が見えた。殻からは背びれが進化したようなたくさんの角が生えており、突き出た固い鎧は長い尾を先端まで守っている。
全身に防具を装備する姿からこの生き物はヨロイクジラと呼ばれ、そして、このように空に住む獣たちを総称してソラニルといった。
ヨロイクジラは大きいものになると超大型の飛行船をも凌ぐサイズに成長するが、周囲の被害より一段と凹んだ石畳に転がっているこのヨロイクジラの体長は二メートルほどで、まだまだ幼子のようだ。腹を動かし息をしているので生きているようだが、半開きの口に足して兜の殻に開いた二つの穴から覗く目はしっかり閉じられており、どうやら気絶しているらしい。
このヨロイクジラが、広場に穴を開けた犯人なのだろうか。
「クゥムー!」
突如、ロカが叫んだ。
ハイエフの乗客の奇異な行動に、ディンセント以下地上の二人の青年もぎょっとする。ロカは、明らかにヨロイクジラに向かって呼びかけていたのだ。
「お前、何言って、」
ディンセントの声などまるで聞こえていないロカは、驚いた表情のままハイエフから飛び出す。
「っ!」
「ちょっ、危ない!」
ハイエフはそこまで高い位置に浮遊しているわけではないが、それでも、上空から飛び降りる女の子を見たレイブリックとフェクサーは受け止めようと慌てて駆け寄る。
もちろん、ロカにはその行為は必要なかった。
突然、彼女の足首から生えた光の翼に鼻先をくすぐられたレイブリックとフェクサーは、さらなる驚きに体を縛られる。ふわりと着地したロカの翼は溶け消え、名残の粒子が数秒間だけ、この世界に跡を付けた。
この広場を遠巻きに囲う人のあちらこちらから、ソラリコという単語が聞き取れる。
ロカの光を、そのオレンジ色の瞳に吸い込んだフェクサーは、苦い顔をしたディンセントへと振り返った。
「おい、ディーっ。あの子、ソラリコか」
「分からん。て、おい、ロカ! 何やってんだっ」
「は? 分からんって、どう考えたってあれはソラリコだろ?」
「あ~だからっ、そいつ、自分はソラリコになるためにこの島に来たって言ってんだよ」
「はあ? だって、もう空を渡れてんじゃん、」
「ちょっとキミ!?」
ディンセントとフェクサーの不毛なやり取りを引き裂いたのは、レイブリックの固い声だった。騎士の三人、そして遠くから見守る野次馬を含めた全員の空気がざわつく。それは、躊躇なくソラニルに触れ、膝の上に甲殻の頭を乗せて撫でるロカを見たせいだった。
「わ、ソラニルに膝枕してるし……恐くないのかよ、彼女。なぁ、ディー?」
「何で俺に聞いてんだよ」
「やめなさい、キミ! もしかしたら、そのソラニルは広場を破壊した奴かもしれないんだから!」
「違う!!」
ロカは強い口調で否定した。
疑う余地など持たない彼女の瞳は強い光を湛えている。
「この子はヨロイクジラよ! この子たちの硬い殻は自分の体ではなく島を守るためのものなの。島を傷付けるなんて絶対にしないわ!」
レイブリックとフェクサーはロカの言わんとする意味が理解できず、互いに顔を見合わせている。目まぐるしい展開にくらりと眩んだディンセントは思わず頭を押さえた。
一体何なんだ、こいつは。
確かに、最初に出会ったときから何かずれているというか噛み合わないというか、説明できない何か不一致な気配を若干感じていたが、まさか躊躇なくソラニルに膝枕する人間だったとは。
遅れてやってきたリザレオは、近付き難い事態の中心から少し離れた場所に浮かんだまま、事の成り行きを見守っていた。
クゥムーはしっとりもちもち肌。
そして、リザレオは現場に合流するタイミングを逃しました。