05 侯爵邸
ジョージアナ
侯爵家のお屋敷は、見るからに由緒がありそうな、荘厳さのある大きなお屋敷だった。
馬車が近づくにつれ、ジョージアナとジュリアンは、言葉を失った。キョロキョロと見回すと、道路脇の広い芝生の奥で、誰かが犬と戯れているのが見えた。
犬に甘えられて楽しそうにしてるのは、侯爵だろうか。よく顔が見えないけれど、犬には優しそうだ。ジョージアナはほっとして、お屋敷に目を戻した。
この結婚はやめたほうがいいと伝えて、侯爵から断ってもらえるように言わなければ。
怒られないのなら、いいのだけど。
「わぁ! 素敵なお屋敷! 近くで見ると、こんなに美しいのね!」
お屋敷の前に降り立ったジョージアナは、思わず叫んでいた。ファッションや食事や流行に興味がない代わりに、ジョージアナは建物や本が好きだ。このお屋敷は、みる価値がある。大切にされて、幸せに住まれてきた屋敷だ。
「ジョージアナ! 声が大きいよ!」
淑女が大声で叫ぶものではない、それはよくわかっている。でもあまりにも素敵で驚いてしまったのだった。すると、背後からクスクスと笑い声がした。
「褒めていただいて、それは嬉しいな。ジョージアナ・ウィルクス嬢。私はこの家の当主、ウィケット侯爵クリストファー・テルフォードだ。あなたは遅れてくるクラリッサ嬢の代わりに、ドレスの採寸などを請け負っていただけるとか。よろしく頼みますよ。そちらは?」
ジョージアナは息を飲んだ。
やはり、さっき、犬と戯れていた男性だ。
遠目でわからなかったクリストファーの顔が間近に見えた。さらりとした黒髪に淡い緑の瞳が印象的な、端正な顔立ちで、背が高くがっしりとしていて、頼り甲斐を感じさせた。服装もクラシカルだか落ち着きがあり、良い仕立てでよく似合っている。夜会でも素敵だっただろう。クラリッサが一目惚れするのも無理はない。
「あ……あの、私、ジョージアナ・ウィルクスと申します。お目にかかれて光栄ですわ。彼は私のいとこで」
「サウス男爵ジュリアン・トッドと申します。この度はご婚約おめでとうございます。クラリッサと彼女の両親が来られないため、私が代理でお目付役としてまいりました」
キツい物言いに、ジョージアナは肝が冷えた。こんな言い方をするジュリアンは見たことがない。強気で好戦的だ。ジョージアナたちが翻弄されたことに対する怒りなのだろうが、年上で地位も高い相手に、なんてことを。
「……そうか。お祝いありがとう。君の厳しい目に適うといいのだが」
言いながら、クリストファーは屋敷に入っていった。
「どうぞ。ようこそ、我が屋敷へ」
ジョージアナは拍子抜けした。ジュリアンの敵意に気づかないはずはない。それなのに、クリストファーはそれを流し、何事もなかったかのようにジョージアナたちを招き入れたのだ。
ジュリアンもきっと同じだっただろう。それでも、ジョージアナは言っておかねばならなかった。
「ジュリアン、……あんな風に言っては印象が良くないわ」
屋敷に足を踏み入れながら、ジョージアナは、ジュリアンにこっそりと声をかけた。だが、ジュリアンはムッとした表情を隠そうともしない。
「だからどうだって言うんだい?」
「まぁ」
「だってクラリッサが遅れることなんて、彼は気にも留めてないじゃないか」
「代理だもの、誰だっていいのでは?」
「だったら君がこなくたっていいじゃないか」
「でも悪い人じゃないわ。私のこと、お咎めにならないで笑ってくださったもの」
「本当にそう思う?」
「違うの?」
すると、ジュリアンは呆れたように囁いた。
「叔父上はああ言ってたけど、直前にこないなんて、失礼なことはない。侯爵の立場なら、激怒してたっておかしくない。今の僕の言い方で、彼は僕たちを咎め、引き返させることができるんだよ。それで、婚約破棄して終わりだ。簡単だと思ったのに……どうして招き入れちゃうわけ?」
「あら……」
つまり、ジュリアンは先制攻撃とばかりに、わざと威丈高な態度をとり、侯爵の怒りを買おうとしてくれたのだった。できなかったけれど。
「でもそれでは、あなたのせいになってしまうわ。お父様だって……なんと言うか……」
「僕が責められるので構わない。クラリッサの悪行がバレるよりずっといい。いいかい、親類の僕たちにだって火の粉がかかるんだからね」
「そうね……でも……」
ジョージアナは戸惑った。そんなことをしなくても、自分には魅力がないのだ、最終的にはクラリッサでなければ破談になるだろうと、そう思っていたからだ。
「つまり彼は、花嫁が来ないなんて、それでいいってことだよ。いい人だと言えるかい?」
「きっと、クラリッサを信じてるのよ。そうでしょ?」
クリストファーはそんなにもクラリッサと結婚したいのだ。本当に申し訳ないことをした。クラリッサが帰ってくるといいけれど。
「君こそ」
「何?」
「君こそ、どうするつもりだい? 何の関心もない相手だもんな、ちょっとはしゃいだくらい、そりゃ咎めないさ。普段はどうなのかもわからないのに、安心するのはまだ早い。侯爵が噂通り、嫌な奴だったら、戻ってきたクラリッサになんて言う? 最悪、君が結婚しなきゃならないんだよ?」
「う……でも、それはないわ。一目でクラリッサを気に入ったのなら、私のことを気に入るはずがないもの」
「気に入る、気に入らないじゃないと思うけど……クラリッサのためにも、結婚を取りやめてもらうように、彼に訴えるつもりなんじゃないのか?」
「そうだけど……でも……お屋敷、とっても素敵だから……」
すると、ジュリアンは諦めたようにため息をついた。
「君がそれで、ここの滞在を楽しめるのならいいけどね。使用人達だって、侯爵の結婚を喜んでいるのかわからないし、クラリッサじゃないから気に入らないと、でかい顔をするなと、いじめてくるかもしれないんだぞ」
「それは大丈夫よ。使用人達に無視されるのは慣れているもの」
それだったら、両親の元で暮らしていた時より、少し大変になるだけだ。何しろ、家では、やはり両親に見習って、ジョージアナは冷遇とまでは言わなくても、さほど使用人達は大切にされてこなかったからだ。