松山 茜(まつやま あかね)
「備えあれば憂いなし」
私のお父さんの口癖。
私のお父さんは、慎重な性格だったから常に準備をしていた。
私のお父さんは、地方都市だけど新築庭付きのマイホームを建てた。
その家には火災保険はもちろん、地震や洪水、竜巻の被害でも保険が下りる契約をしていた。
家族は、お母さんと私と弟二人の五人家族。
休日には、郊外のショッピングモールに、お父さんの運転する車に乗って家族で出掛けた。その車にも、保険は沢山掛けていたみたいだった。
お父さんはショッピングモール内で、回るショップの順番や昼食を食べるタイミングを事前に計算していた。お父さんは、その通りにしようと頑張っていたけれど、二人の弟たちが、好き勝手なことを言って計画を乱していたから、うまくはいかなかったみたいだったけど。
私のお父さんの職業は薬剤師。
お父さんは、
「小さい時から化学が好きだったから、大学まで行って化学の勉強をして、資格も取って、薬剤師になった」
って、言っていた。
「薬剤師は資格が必要で、これからは高齢化社会で医者に掛かる人が増えるから、仕事が無くなる心配が少ないし、化学が好きな自分には丁度良い」
とも言っていた。
慎重なお父さんらしく、自分の生命保険も沢山掛けていた。自分が病気になっても家族の生活が苦しくならないようにしていた。
でも、いろいろな病気になっても平気なようにしていたのに、お父さんが掛かった病気は、そのどれにも当てはまらなかった。だから、保険は少額しか支払われなかった。
私がまだ、小学校低学年くらいの時のことだから、後でお母さんに聞いたことだけど、お父さんは長い間入院して、手術をしたり治療を受けたりした。病院も何度か転院して色々な先生に診てもらって、尽くせる手は尽くしたのだけど……、
ダメだった。
お父さんが家族の為に残しておいてくれた貯金は入院費や治療費で無くなってしまったけど、お父さんが建ててくれた家と、お父さんが入っていた生命保険で、なんとか家族四人暮らしてこられた。
そんなお父さんの影響か、私は小さいころから化学が好きだった。他の科目は全然ダメだったけど。
いつしか、
「将来はお父さんと同じ薬剤師になる」
って、色々な人に言って回っていた。
その夢に向かって、苦手だった教科も頑張って勉強して、薬剤師になる為に薬学部のある大学に合格した。
大学に入って研究室で実習している時は好きな化学に没頭できて、とても充実した時間を過ごせている。
しかし、その研究室には、私の楽しみを妨害する学生がいる。
その学生は女の子で可愛らしいが、おっちょこちょいだ。実験器具を壊したりするのはよくあることで、似ている薬品名を間違えて、ちょっとしたボヤ騒ぎまで起こしていた。その度に私の実習が中断されて困る。私とは友達になれないタイプだ。
大学の授業が無い日は、駅の向こうのドラッグストアでバイトをしている。薬剤師になった時の為の予行練習も兼ねている。処方箋だけではなく、市販薬についても知識を得ておくのは将来の為にも良いと思う。
今年は試験官のバイトもした。試験開始時に答案用紙を配って、試験終了後に答案用紙を回収すれば良いだけ。後はカンニングをしていないか試験会場をぐるぐる廻ってチェックするだけで良い。簡単に稼げて得した。
そういえば、その試験の受験生の中に、オタクがいた。オタクだと気付いたのは、私が通りかかった時に、そのオタクが消しゴムを落として、それを私が拾ったから気付いた。その消しゴムが、少女向けアニメのキャラクターがプリントされた消しゴムだったから。
初めて本物のオタクって見たから、試験中っていう緊張した雰囲気の中で、思わず笑いそうになったのを堪えるのが大変だった。
私は大学に通うために独り暮らしをしている。実家から通うには遠すぎるからだ。
『メゾン・ド・コント・ド・フェ』
大学からはそんなに離れていない場所にあるアパート。
私が住んでいるアパートだ。
少し不便な場所にあるけど、家賃が安くて助かっている。
このアパートを見つけられたのも、事前に入念に調べ上げた成果だ。
やはり、
「備えあれば憂いなし」
だ。