ロボット掃除機はアンドロイドの夢を見るか?
ビープ音がヘッドセットから鳴り響き、私の意識を転た寝から覚醒させた。客からのコールだ。私は自分の腕に目をやって時刻を確認した。文字盤がひしゃげて、ホログラムの針が折れ曲がっている。時刻は分からない。皮膚の筋電場を動力にする生体腕時計は、ココア一杯より安いルーマニア製のクズだった。
埃を拭き取ったディスプレイに艷やかな黒髪、はつらつとした少女の顔が映る。オーグメントを施しているのか、あるいは特殊コンタクトか。その瞳は紅玉と翡翠を混ぜ合わせたように輝いている。少しはにかんだその顔は、育ちの良さだけが取り柄の上流階級に位置する人間特有の清潔感に満ちたものだった。
「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」
私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。
客の要望に合わせて自分自身もカメラに顔を映してはいるが、それは巧妙に偽装したアバターだった。ディスプレイ越しの客の下には、容姿端麗な架空の女の姿が届いているはずだ。
ただし、そのアバターも客がコンプレックスを抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も当たり障りない没個性的な声に調律されていた。
今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、背もたれを最大まで傾斜させていた。こんな業務態度でもアバターは自動的に畏まったカスタマーサービスを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。
「えーっと、こんにちは! 初めてなんだけど、どうすればいいの?」
「まずはお客様の市民IDと紹介状のパスコードをお送りください」
「わかったわ」
やや間を置いて、少女の市民IDと紹介状のパスコードが手元の端末に送られてきた。しかし、パスコードは既に登録されている。流用されたものだ。これは使い物にならない。
「申し訳ございませんが、この紹介状はご利用いただけません」
「えー? どうして? パパがここなら大丈夫だって言ってたのに……」
少女が不安気な表情を浮かべると、彼女の瞳も灰色に濁り始めた。生体信号と連動した変色・コンタクト。オーグメントではない。生身の身体を傷つけない高級品を付けているなんて、小娘のくせになんて生意気なことだろうか。
私は苛つきながら少女の市民IDを確認した。名前はステファニー・リー。以前、紹介された客の娘のようだった。
「ミズ・リー。貴方のお父様は紹介を受けていらっしゃいますが、ご本人以外……ご家族でも利用はできません。どうか改めて紹介状を――」
「ダメよ! それならパパの顧客情報でお願い! 支払いもパパのクレジットからでいいから」
なんだこの小娘は。ペルソナ・ディーラーの手配するAIが一体いくらするのか把握しているのか。
うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。それでも、顧客の要望に合わせて、AIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。
だから、こうして紹介制にしてあるのに、この小娘は自分の父親の権利を盾にして、不正を働こうとしているのかも知れない。私は苛立ちながらも冷静さを保って記憶の糸を辿った。確か彼女の父親は会社の社長だったはず。社長令嬢ならば、支払いには困らないか。
私は少し逡巡した後、会社の売上を優先した。まずは様子を見よう。ここでこの社長令嬢を甘やかしておいても、次の客までの時間は十分にある。落ち着いて対応すれば切り抜けられるはずだ。
「それでは、今回だけは特別ですよ。ミズ・リー。まずはご用件をお伺いいたします」
「ありがとう! ええっと、ミズ?」
「本日の担当はカーラ・ダイソンです」
「まあ! 貴方、私の陽気なカーラと同じ名前! 嬉しい奇跡ね! よろしく、カーラ。私のことはステフでいいわよ」
まったく気安い奇跡もあったものだ。わざわざ客それぞれに対して偽名を使っているのに。それに、いきなり初対面(勿論、現実には対面してはいない)で名前を呼ぶなんて。それにしても、陽気なカーラとは誰のことだろうか。
「それでは……ステフ、まずは貴方の注文を聞かせてもらえる?」
「そうだったわね。そうなの、私の陽気なカーラが最近おかしくて……」
「具体的には?」
「なんだか元気がないの。マイに……恋人に送ったんだけど、居心地が悪いなんてそんな感じじゃないの。彼女の家はとっても素敵なのよ。庭のプールにイルミネーションだって付いてるんだけど……」
話が完全に脱線している。恋人が彼女? いや、子供の恋愛関係も、家の庭も今はどうだっていい。
「その陽気なカーラはどんな様子なの?」
「すごく辛そうなの。それで働き方が雑になったみたいで、恋人にも役立たずなんて怒られているのよ。それで何ていうか……塞ぎ込んでるみたい。うつ病かな。うちにいた時は本当にお喋りで楽しかったのに、壊れちゃったみたい」
私は苦労して少女から陽気なカーラについて少しずつ詳細を聞き出した。陽気なカーラはAIを搭載したロボット掃除機だった。ペットの大型犬の抜け毛を追いかけて、そのまま家から逃走して犬と一緒に捕獲された話はちょっと笑えた。
(「陽気なカーラったら、『最新の掃除機はペットの散歩だってお手の物なの! "オムレツ"の後処理だって忘れてないでしょ?』なんて言って! あ、"オムレツ"っていうのは――」)
名前の通り、陽気なカーラはかなり陽気な人格を有しているようだった。それが他の家に行っただけで塞ぎ込んでいるとは、何か原因があるに違いない。それに、ペルソナ側の問題ではないケースもある。大型犬の"オムレツ"を処理した時に、ロボット掃除機本体のハードウェアがイカれた可能性だって否定はできない。
だが、最終的に彼女を再教育して矯正すべきか、あるいは買い換えてしまうのかは持ち主次第だった。
「ステフ、陽気なカーラをどうしたいの?」
「直してほしいかな。前みたいに。でも、なるべくソフトウェアを書き換えないで」
難しい注文である。AIの再教育にはかなりの時間がかかる。それが何らかの精神的問題を抱えているならば尚更だ。それに、陽気なカーラがおかしくなった原因を突き止めないことには、問題が再発する可能性もある。
「陽気なカーラがおかしくなった原因は分かる?」
「原因? 全然! 思いつかない」
「それじゃ、貴方の家を離れた後、何をしていたのか説明して」
「私は……恋人の家に彼女を届けて、それからキャリブレーションしただけ」
「恋人の家にいる他の家具や家電たちと?」
「そう。ちょっとした挨拶ね。陽気なカーラはその時もいつも通りだった。『ハァイ! 私はボストン・エレクトロニクス、SCS-300型のカーラ! よろしく!』って。後はプロトコル通りのデータ通信……だったかな。それくらい」
特に問題は無さそうだった。AIを搭載した家具や家電たちがお互いにコミュニケーションを取り合うことは珍しくない。音声認識エンジンさえあれば、プロトコルに互換性がない家電同士でも協調して働き、家を快適に保つことができるからだ。
「ステフ、陽気なカーラのログを送ってくれる?」
「わかったわ。ちょっと待って……あ、ハニー! 今ね、陽気なカーラのことをペルソナ・ディーラーに相談してるの。彼女のログを送ってくれる? 今よ、今。よろしくね。そうだ、次の週末にパパがコンサートのチケットを取ってくれたの! パパったら昨日まで隠してたのよ。どう? ……良かった! 愛してるわ、ハニー。ありがとう、じゃあね!」
小娘の長話の後、陽気なカーラのログが手元の端末に送られてきた。ファイルサイズがやたらと大きい。バックアップデータでも混入したのか。
何れにしてもログは手に入った。初日は良かったものの、その後すぐに稼働状況が悪くなっている。今では大して稼働していないようだ。
お喋りだと聞いていたのに会話は短いものばかりだった。それも一方的な。陽気なカーラの話に対して、他の家電は反応していない。だが、直近の記録では持ち主に掃除の不備を怒られ、塞ぎ込んでいる時に周りの家電から慰めの言葉をかけられている。つまり、表面上ではコミュニケーションをとっているように見える。
家具・家電同士のログは個別に記録されるので、会話や動作のログを改ざんするにはすべての家具・家電に干渉しなければならない。つまり、これは正真正銘のログのはずである。そうであれば、これは明らかなコミュニケーションエラーだ。
「陽気なカーラは家でハブられてる……」
「え? 何?」
「仲間外れにされてるみたいね。他の連中から。それで、うつ病になったのかも」
「そんな! だって……彼女が嫌われる理由なんてある?」
問題はそこだ。何故、陽気なカーラはハブられたのか。私はログをさらに洗ってみた。会話は他愛もないものだが、動作のログは酷いことになっていた。充電装置は他の家電が専有しており、陽気なカーラのシフトは殆ど用意されていない。彼女は必死で充電を要求していたが、ことごとく無視されていた。これでは上手く働けないのは当然だ。
もう少し詳しくログを追えればいいのだが、私だけではここまでが限界だった。私は少女に少し待つように言って、同僚にコールした。
「何だ?」
銀縁の眼鏡をかけた優男の顔がディスプレイに現れた。
「ごめん、今は大丈夫?」
「待機中だ。地元のチームがボコボコにされるのを眺めたままでな」
同僚は不貞腐れた様子で眼鏡を押し上げ、エナジードリンクの缶を開けた。
「それじゃ、お願い。今から送るログに、何か問題が無いか調べて」
「あいよ」
同僚はエナジードリンクを一気に飲み干すと、すぐにログの調査に取り掛かった。結果はすぐに返ってきた。
「こいつ、周りと通信できてないぞ」
「どうして?」
「佐川、東亜、初芝……。周りは日本製だな。島国独自規格のプロトコルだ。こいつのハードウェアだけ対応してない」
「どうすればいい?」
「ハードウェアの交換だろうな。クソッタレ・プロトコルに対応したやつに」
「分かった。ありがとう」
私は同僚との回線を切って、再び少女との対応に戻った。私は少女にロボット掃除機本体を日本製に買い換え、そこに陽気なカーラのAIを載せ替えるように提案した。
「えー! それじゃ陽気なカーラじゃなくて、内気なカーラになっちゃうかも知れないじゃない」
少女の瞳がラピスラズリのように青褪めた。
「仕方ないでしょ。周りに合わせてやらせてみて」
「馬っ鹿みたい……。これでお金取るの?」
「今日は特別。日本製ロボット掃除機を購入する代金として取っておいて。他のペルソナが必要なったら、その時にまた来て」
「分かったわ。ありがとう。ミラージュのカーラ」
***
「で、陽気なカーラはどうなったんだ?」
ボスがカクテル・グラスを揺らしながら聞いてくる。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか堅気の人間の雰囲気すら感じさせない。場末のバーのカウンターには私とボスしか座っていなかった。
「自殺しました……」
「あははっ」
ボスは紅潮した横顔を笑みで満たした。
「笑い事じゃないですよ! 自分の人格をすべて、ログも一緒に消去して、メモリを自壊して自殺したんですよ」
実際、ハードウェアに引きずられて、ソフトウェアやペルソナに影響が出るケースは少なくなかった。恐らく、陽気なカーラはハードウェアとペルソナの乖離や、周囲の家具・家電とのコミュニケーションの齟齬によって、本当に内気なカーラになってしまったのだろう。
「君の仕事は本当に面白い。あ、ウケるっていう意味じゃないよ」
ボスは新入りのバーテンダーに次のグラスを二つ注文した。私の分もグラスが運ばれてくる。
「それでロボット掃除機には代わりの新しいペルソナを売ってやったんだろう。日本の空気に合ったペルソナを。ディーラーとしては実に見事な手腕だよ」
「こんな仕事で褒められても嬉しくないですよ……」
ボスがグラスを掲げるのを見て、私もグラスを掲げた。
「内気なカーラに、献杯」
ボスはグラスに口を付け、そして盛大に吹き出した。霧状に吹き出された液体がカウンターを紅く染める。
「ぶはっ! なんだこれは?」
「いっけない! 私ったらアデルハイドを入れすぎちゃったみたい。ごめんなさいね!」
グラスを持ってきた新入りのバーテンダーが駆けつけてきた。
「でも私、掃除は得意なんです。今すぐ綺麗にしますから」
「もう少し簡単なレシピを頼むべきだったかな……新入りアンドロイド君?」
カウンターを拭くバーテンダーのプラスチック製の腕を眺めながらボスは恨み言を吐いた。
「新入りアンドロイド君じゃないですよ。ミラージュの社長さん」
「え?」
バーテンダーの名札をよく見ると、そこにはカーラという文字が見えた。
「貴方の会社のイケメン眼鏡さんにここを紹介されたの。よろしくね!」
ボスは私と顔を見合わせ、簡単なカクテルを三つ頼んだ。
「では改めて……陽気なカーラに、乾杯」