第七話『逃げれるなら逃げるのが俺のやり方よ!』
「喰らえぃ!!」
「ッ!?」
予想外のスピードで突っ込んで振り下ろされたこん棒の一撃。直撃したら間違いなく粉砕骨折コースだろう。
「シャレになんねぇぞ、これはぁ!?」
隼人は思いっきり右に吹っ飛んだ。すぐさま残っていた右腕で受け身を取って起き上がるが、力を入れた瞬間鈍い痛みが右腕から全身へと響いてくる。
「いって...!」
「ほらほら逃げ回れよなぁ!?」
痛みで止まっている暇もなく、盗賊は遠慮なく隼人に向かってこん棒を振り回してくる。
隼人には少しずつ後ずさりしながら、こん棒を躱し続けるしかなかった。
「いい加減に...しやがれぇッ!!」
たまらず隼人は土を蹴り上げて盗賊の顔面にぶつける。
「うげっ!?ぺっ...こ、こいつ...」
「(今だッ!!)」
運がいいのか隼人の蹴り上げた土は盗賊の口に入ったようで、盗賊は口に入った土を吐き出し始める。
それを隙と見たのか、隼人は右手の人差し指と中指を折りたたんで第二関節で盗賊の顔面―――いや眼球に向かって二つの指を突き出した。
隼人お得意の追跡者撃退攻撃方法。いわゆる『目つぶし』である。
「あぁん!?甘いんだよッ!」
しかし、それを見越していたのか盗賊はこん棒を持っていない左腕で隼人の二つの指を掴み折った。
「いぃってぇ!?クソ野郎ォ―――ッ!!!」
痛みを誤魔化すように大声を出しながら、右足で盗賊の腕を蹴りつける。
「いっつ」
とても痛そうには思えない声を出しながらも隼人の指を放す。放されて蹴るために上げた足が地に着くと同時にバックステップで距離を取る。
「(ちゃんと思いっきり蹴らねぇと痛がりもしねぇのかよ、つくづくクソだなこの世界!)」
隼人は内心毒舌吐きまくりだったが、それでもちゃんと作戦を練り続ける。
あの盗賊のあの体格的にこの力が普通なのか、この世界の人の力は前の世界の人よりも強いのか、前の世界でもアスリート番組を見たりしていない隼人には分からなかったが、今の自分より圧倒的に強いことだけは目に見えていた。
この劣勢をひっくり返すには、やはり相手の急所に向かって全力の攻撃を繰り出すしかない。だがそこで問題が起こる。
隼人の十八番であり常套手段でありたった一つの選択肢である『逃げる』を使うのが、どう考えても悪手なのである。
「(今ここで逃げても、奴がそれを報告しに戻ったらほとんど詰む...それに今はムカついてて相手の方からこっちに来てるが膠着状態で冷静になられて戻られても詰み...)」
このことを考えても、できるだけ自分の方から攻撃しないといけないのである。そしてそれは恐らく対処されて傷を負うだけ。
「きっつ...これ本当...本当だったら終わった後三週間ぐらい家で引きこもってても誰も文句言わねぇよなぁ?ほんとこの世界クソ...」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇって言ってんだよ」
ぶつぶつと不満を垂れてる隼人に再び盗賊は近づいていく。
「はぁ...本当...色々辛いわ」
そう呟くと隼人は今も不安げに涙目で見ているだけしかできないフェリルの方をちらっと見た。
最初盗賊と対峙した時、一瞬で思いついた手。おそらくは勝てるだろう一手。
「......やるか、ほんと辛い」
「なんだぁ?まだ策があるのか?今の所目つぶししようとして返り討ちにあってるだけだがぁ?」
弱音交じりに呟いた言葉を聞き、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべながら近づく。
「あぁ、こっから俺の真骨頂を見せてやる」
そう言うと隼人はまるでステップを踏むかのように軽くジャンプし始めた。
「なんだ?」
「フフフ...なんだろうな?」
そして次の瞬間―――
「あ...!?」
―――隼人の姿が消えた。
「あの野郎どこにいった...?」
そんな隼人を盗賊がキョロキョロと探す中―――
「今のは...」
―――少し遠くから見ていたフェリルだけはどうやって隼人が盗賊の視界から『逃れた』のか見ることが出来た。
隼人はジャンプを繰り返すことで盗賊の視界を自然に上の方へと向けて、あるタイミングで斜め下へと移動しながら木の影に隠れた。
ステップによりある程度の足音も立っていたので、隠れる際に若干物音がたってもあまり気にならない。いわゆる手品などで使われる『ミスディレクション』というものだ。
だが―――
「...出てこねぇな」
「......」
そう、隼人はそれっきり出てこない。
フェリルも隼人が隠れる際の初動だけは見えたものの、隠れた後の動きは全く分からない。
「ッチ、あいつ一人で『逃げたか』...こりゃさっさと報告に戻った方がよさそうだなっとその前に~?」
「ひっ...」
隼人を見失った盗賊はしたり顔で今度はフェリルに向かって歩いていく。
「お前は今捕まえておかねぇとなぁ...ひひ、あんな奴置いてさっさと逃げてりゃこんなことにならなかったのになぁ?」
「う...こ、来ないで...」
フェリルは涙目で後ずさりしていたが、それで距離が離れるわけではなく、ずっと同じ距離のまま縮まったり離れたりもしない状態が続いた。
「あの男はお前を置いて逃げちまったし...お前は結局捕まっちまう『運命』だったってことだな」
「そんな...」
ついに恐怖に耐えきれなくなったのかフェリルの目じりから涙が零れ落ちた。
「やっぱり...私は...」
今までの隼人の言葉がどんどん薄れていく。
結局、人は我が身可愛さで動くのだとこの時改めて実感させられた気がフェリルにはしていた。
少しおかしかったが、それだけに無意識に期待していたのだ。何か変えてくれるのではないかと。それでも違った。
「...やっぱり私は...?」
盗賊にではなく『虚空』にフェリルは問うた。
『やっぱり私は要らない子だったのか?』と。
『虚空』に向かって。居るはずのない『運命』を定めた『神』に問うた。
当然そんなものに返答は返ってこない。すぐさま『虚しさ』がフェリルの中を埋めた。そのせいか隼人への恨みや怒りは自然と沸いてこなかった。
それはきっと最初からどこかで諦めていたからで―――それでもなんでだろうか。
「なんで...?」
『なんでこんなに涙が出るのだろう?』。そんな言葉が胸の奥で暴れているのだ。
「はは、確かにお前は明日には奴隷として売られるんだったな。それでちょっとした可能性に賭けたんだろうが、残念だったな?ひひ...」
「......え?」
盗賊は笑った。そんな『運命』に翻弄された少女を。だが少女はそんな盗賊を見てはいなかった。
「戻ってきてやったぞォ―――ッ!!寝首を掻きになァ―――ッ!!!」
大声を張り上げて盗賊の後ろから飛びかかったのは―――ちゃんと見るまでもない。『静海隼人』だ。
「...本当に救いようのないバカだなぁ!?」
その声を聞いてすぐさま盗賊は振り向いてこん棒を振り下ろした。
だが―――今度の『誤算』は盗賊の方だ。
「は...?」
飛びかかった隼人は『構えていない』。つまり最初から攻撃しようとしていない。
ただただ隼人は空中で体を捻って振り下ろされたこん棒を避けた。
「初撃の攻撃は『逃げる』気だったよ...!」
隼人の足が地に付くのとそのセリフは同時だった。
当然すぐさま振り返る。両者とも。
だが早く振り向いたのは『想定内』の隼人だ。
『想定外』の盗賊は、隼人より数瞬だけ遅れた。
「お、お前の拳なんて...」
「馬鹿だな...そんなもんで攻撃するわけねぇじゃん」
苦し紛れの盗賊の減らず口を速攻で否定する。
盗賊は最後の最後で目撃した。
「そんなんで攻撃したら...手が痛くなるだろうがァ―――ッ!!!」
折れた左腕に黒い布が縛りついている。その布は縛った片端だけまだ布が余っている。
そして余った布は振り返るのが遅れた盗賊の首あたりふわりとついた。
その瞬間、隼人は右手で―――残った指で思いっきり布を引っ張り盗賊の首を締めあげた。
「うぐあぁぁ...ぁ!?」
「そんな痛いの...俺は本当は『嫌』だからなぁ...ッ!!『逃げれる』なら『逃げる』のが俺のやり方よ!」
盗賊は苦しそうに呻きながら首の布をどうにかしようと首を掻くが、『逃れられなかった』。
「ぐぅぉ......」
ほどなくして盗賊は気絶した。血管を締め上げられて、顔中を青くしながら。
「...俺の...勝ちだ......逃げた奴を追いかけるのをやめりゃ...いつか痛い目見るに決まってんだろうが...」
肩で息をしながら、しっかりと勝利を声に出して確認する。
「あ、あの...ハヤト...さん」
「...あー、悪かった」
「え...?」
フェリルは謝ろうとした。たとえ心の中でだろうが、確実に一回隼人に失望してしまった。
本当のこの人を―――最初から、出会った最初からずっと見ていたはずなのに。
だが、謝ろうとするフェリルよりも先に隼人の方が謝った。
「真っ先にお前を囮にしちまって悪かった。しかも何も言わずに...殴っていいぞ?」
「え...でも...」
「いいんだよ。不安になってたのが隠れる前から分かってた。それなのにそれしかやることがなかった...全く、俺の非力さには毎度呆れるね」
「...ハヤト...さん」
なんという人がいたのだろうか。
あそこまでのことをやっておきながら、自分を悪だとして、そして自分を卑下している。
彼は『本音』を隠すということをしていない。
煽り文句だって心から思っていることだろうし、今の自分への文句だって本当に自分を責めているのだろう。
彼は捻くれている。人だったら真っ先にするだろうことをしない。だというのに本当に『自分に正直』だ。いいことも悪いことも。
「...じゃあ、殴る代わりに...一つ私の話を聞いてもらっていいですか...?」
「あ...?文句か?説教か?いいよ、何でもいいから言ってくれ」
だからそのまま言ったって、きっと納得しないだろうとフェリルは直感で理解した。
「...ハヤトさん」
「なんだ?」
納得せずに、自分のせいだと密かに自分を責めるのだろう。だから―――
「本当に...ごめんなさいッ...!」
「...は?」
隼人に了承を取って『逃げ場』をなくしてから謝ることにした。
「私...最後まで信じられずにッ...私ッ」
「は、はぁ!?な、泣くな泣くな!それが当たり前だろうが!」
「でも...そのせいでハヤトさんは自分を責める...」
「んなこと気にしなくていいんだよ!お前は俺なんかのことを考えなくても―――」
「じゃあ...ハヤトさん、自分のことを『なんか』とか言わないでください...!」
「え」
「約束...してください...」
そして隼人の方は隼人の方で『逃げ場』を潰されてなすすべなくフェリルの謝罪を受けてしまっていた。
そもそも隼人の『自虐』はそこまで深刻な意味を含んでいない。
確かに隼人自身そう思ってはいるが、それが心の奥底に残ったりしているなんてことはあまりない。つまりは最初から吹っ切ってしまっている。昔々の『傷』がちょっと形になって残ってしまっているように、単なる癖のようなものなのだ。
更に今まで言われたことも無いような約束を迫られている。
隼人自身、今の状況を完全に把握できていないが、これは中々に『ピンチ』なのでは?と思い始めていた。
それでも―――
「...あーもう分かったよ!...分かった。約束してやるよ...もう自分の事『なんか』とか言わねぇ」
「...本当ですか?」
「あぁ、しょうがねぇけど...本当は今すぐ『逃げたい』けど約束してやるよ」
―――フェリルの誠心誠意の謝罪は―――何故か少し嬉しいような気がしないでもなかった。
こんな小さな『傷』さえも心配してくれるような、心優しい人がこの世界にもいるのだということが。
「全く...慣れねぇことはするもんじゃねぇな。やっぱり人を助けるなんて『めんどくさい』ことは最初からよせばよかった...」
そんなネガティブっぽい言葉も、何故か陽気に聞こえるのだった。