第六話『最後に逃げ切ることは変わらねぇよ』
「...なぁ」
「あ?」
食事を届けに来た下っ端に隼人は声をかけた。
「ちょっと頼みがあるんだが」
「お前の言うことなんて...」
聞かんと下っ端が言おうとすると、隼人は一つの『ある物』を取り出した。
「これ、覚えてるか?あんたらがよく分からんとか言って盗らなかったやつ」
隼人が取り出したのはスマホだ。下っ端は取り出されたスマホをまじまじと見ている。
「これが何だって言うんだ」
どうやら少し興味を持ったようで、これは何だと聞いてくる。
その様子を見た隼人は少しほくそ笑み―――
「これはな...カモフラージュだ。この中に宝石を隠してある」
「は、はぁ!?」
―――嘘っぱちを言い始めた。
「俺の頼みはただ一つ。これをくれてやるから俺を出してくれんか?どうせ買い取ってくれる商人もいないんで、めんどくさいとか思い始めてる頃だろ?」
「ぬ、ぬぅ...」
「今なら...この中の宝石をお前だけのものに出来るぞ?」
「ッ!!」
悩んでいるなら背中を押してあげようと言わんばかりのテンプレ誘惑言葉。
それで効果抜群というのだから隼人には心中で笑うことしかできない。
「よし分かった。だが本当に宝石が入っているか確かめさせてもらうぞ」
「それはいいが俺を牢屋から出してからにしてもらうぞ。こっちだって命がけなんでな」
「...いいだろう」
ちょっとだけ迷った様子を見せたが下っ端は了承した。この世界でもこんな儲け話はそんなにないらしい。
下っ端は持っていた鍵を使って牢屋の扉を開ける。そして隼人は牢屋から出たと同時にスマホを下っ端に投げ渡した。
「ん...これはどうやって確認すればいいんだ?」
下っ端は貰ったスマホを床に置いてしゃがみこんでうなっている。
「ぶっ壊しちまって構わんよ。それ自体に『価値』はない」
そう言うと同時に隼人は足の指で下っ端の髪を掴み―――
「へ?」
「ほら、こんな風に」
「へぶっ!?」
―――思いっきり髪を引っ張り、頭を蹴り飛ばし牢屋の格子に顔面を何度もたたきつけ始めた。
下っ端の顔面からどす黒い血液が飛び散って牢屋に花のような模様を咲かせる。
全く耐性の無い人だったら既に吐いていたかもしれないほどに血の匂いが広がる。
ちなみに、それを見ている少女は絶賛ドン引き中である。
「あぶっ!!ひぎゅっ!!へぶっ!!」
「まだ気絶しねぇのか?めんどくせぇな」
「ストップ!あ、あの...もうきっと気絶してますから!」
余りの凄惨さに横やりが入るほどである。
ゆっくりと足で掴んでいた髪を放すと、案の定血まみれになって気絶していた。
「本当に気絶している。まぁそれなら鍵を貰うか...」
隼人は遠慮なく下っ端から牢屋の鍵を強奪する(ついでにスマホも回収)。そして迷いなく少女の牢屋の鍵も開けた。
「...本当に助けてくれるんですね」
「なんだ?俺が言うだけ言って『逃げちまおう』とかやるやつだと思ってたのか?流石にそこまでかっこ悪いことはしねぇよ」
「...本当ですか?」
「そこは俺の『感情』の問題だ。自分の中で嫌な記憶として残るような『逃げ方』はしねぇ。これは俺の中で最低限守るべきことって感じかな...」
こともなげに隼人はそう言うが、それが出来る人がこの世界に何百人いるだろうか?
それでもこの少年だったら、本当にやってそうだと少女はそう思った。
「ほら行くぞ」
こんなところに長居は無用と、さっさと出ようと歩き出す隼人。
「あの...」
「どうした?」
しかし見れば少女が隼人の裾を引っ張っている。引き払おうとも思わず隼人は歩を止めた。
「名前を...教えてくれませんか?」
少女は尋ねた。名を。
「...静海隼人だけど」
「えっと...?シズミ...?ハヤト...?」
きっと次は会えないから―――出来るだけ記憶に残るように―――正確に。
「...ハヤトでいいよ」
「分かりました...私の名はフェリル、フェリルと言います...」
「フェリルな...覚えた」
そして名乗った。少年の方にも、少しだけでいいから覚えてもらえるように。
「そんじゃあ脱出経路なんだけど...」
「は、はい」
名も名乗り終わったので、早速本題に入る。
「一応通ってきた道は覚えてるから、そこを通っていけばいい」
「す、すごいざっくりしてますね...誰かと鉢合わせでもしたら...」
「大丈夫、俺ステルスゲー得意だから」
「(なんだろう...ステルスゲーっていうのよく分からないけど、すごく不安になってきた...)」
開始前から間抜けの片鱗を見せる隼人に、ちょっと期待が薄れつつあるフェリル。
「ここは洞窟の中にアジトを作ったような物らしいな。ここから入り口までは遠くない、そして恐らくアジトの大きさ的にそんなに人数もいないだろう。15人ぐらいか、もう少しいるぐらいかな」
「は、はぁ...」
と思ったら、冷静な分析力を瞬く間に発揮する。下げてから上げるのは狙ってやってるのではと疑い始めるフェリル。
「抜け出すのは案外簡単。そしてこのボロッボロの扉からあんまり喧騒が聞こえてこないってことは、廊下通ってる奴も少ない。足音立てなきゃ楽だろう、多分」
「...最後でまた不安になりました」
なんだか隼人と一緒にいると気分の波の差が激しくなりそうだと直感が走った。
それがいいことなのか悪いことなのか今のフェリルには分からないが。
「流石に百パー逃げられるって人に言うのは無責任だろ。俺は正確に多分ってつけてるんだよ」
「つまり『逃げてる』んですね。後で非難される前に」
「よく分かったな。この数時間の間で俺のことを理解してきたということか」
遠回しに言ったことをジト目でズバリ言い当ててくるフェリルに少し驚く隼人。
「あれだけ『逃げる』『逃げる』言ってれば...それは、まぁ」
「それだけしかやってこなかったんでね。それじゃ行くぞ、今なら声も聞こえない」
扉に耳を付けて聞き耳を立てながら隼人は返答する。そして聞こえないことを確認して出発の合図を出す。
「......」
フェリルは無言でこくりと頷き、先を歩き始めた隼人の後ろをぴったりとついていった。
隼人が言った通り廊下には誰もいなかった。
隼人はそんながらんどうの廊下を迷わずに足音を立てず歩いていく。
そのスピードは普通の歩くスピードと変わらないぐらいなのに、驚くほど音が出ないのだ。
「...うぅ」
対照的にフェリルは隼人の半分程度のスピードなのに気を抜いたら何かを踏み抜いて音を出してしまいそうなほど不安定な足取りだ。
それを見かねてか、隼人は所々で立ち止まって人が来ないか聞き耳を立てているようだった。
「......」
それを見ていたフェリルは申し訳ない気分になる。
助けてもらっておいて、結局はこの人に何もできないことを今更痛感させられる。
「もう少しだ、頑張れ」
隼人は小声でそう言ってフェリルを励ます。そして洞窟のぽっかりと開いた出口から光が差し込んできているのがフェリルにも見えた。
「...は、はい」
フェリルも小声で返事を返す。出口が見えているとはいえペースを崩すようなことはしない。これまでの全てを瓦解させるようなことは出来るわけがなかった。
「さて、後は一気に走って駆けるかな」
出口を抜けて少しだけまだ足音を立てずに歩き、十分に遠くまで来たと判断した隼人はそう宣言した。
「本当に...逃げ...れたんですか...?」
「あぁ、見りゃ分かるだろ」
こんぐらいなんでもないと言わんばかりに真顔で言ってのける隼人。
それでもフェリルはまだ信じられないとばかりに、空に浮かぶ太陽を見ていた。
太陽の光を浴びて本当にあの盗賊のアジトから抜け出たのだと実感するために。
隼人もそんな様子のフェリルを見て、早くしろなどと急かす気にはなれなかった。
ちょっと危ないが、気が済むまでそうさせてやろうと思った。
「ほら、そろそろ行くぞ。まだ『逃げ切り』じゃねぇんだ」
数分経って、フェリルも少し我に返ってきたところで、そう声をかけた。
「は、はい...!」
二人はアジトとは反対方向に走り出した。
それは小走りのようなスピードだったが、確実に、着実にアジトからは離れていく。
このまま『逃げきれる』と、両者思っていた。
その時だ―――
「ッ!?」
―――木の影から、いきなりナイフが隼人目掛けて飛び出してきた。
「いっつ!?」
「え...ハヤトさん...?」
余りに急すぎる攻撃で回避することも出来ず、なすすべなく右の腕を切り付けられた。
手首の大動脈こそ無事だが、相当量の血が腕から滴り落ちて行く。
「おいおい、なんでてめぇら奴隷がこんなところにいるんだ?あ?」
木の影から現れたのは二人が最も会いたくなかった『盗賊』だった。
血の付いたナイフを持ってニタニタと笑っている。
「クソッ!こんなところでッ...!」
右腕の傷を折れた左手で抑えられるはずもなく、血をだらだら流しながらも盗賊と距離を取る。
「は、ハヤトさん...腕が...!?」
「どうやら...完全に誤算だったみてぇだな」
隼人はいつもの声音で減らず口を叩いているが、そんな額には冷や汗が浮かんでいる。
「何ごちゃごちゃ言ってんだ?てめぇらもっかい牢屋にぶち込んでやるよ...」
そんな二人を見て余裕の表情の盗賊がだんだんと近づいてくる。
そんな盗賊相手に隼人は―――
「......」
「...何の真似だ?」
―――身構えていた。それも『逃げる』ためじゃない。明らかに『戦う』ために。
「ハヤト...さん?」
「...別によかったんだ。こんなところでお前と出会おうが」
不安そうに隼人を見ていたフェリルの呼びかけが聞こえていないのか、聞こえているが無視しているのか分からないが隼人は喋り出した。
「腕を切り付けられようがこのまま『逃げる』ことは出来た。だが...それは『俺だけ』だ。『こいつ』もじゃない」
隼人はそう言って切り付けられた右腕をなんとかして動かしフェリルを指さす。
「『俺達』が『逃げる』ためには...どうやらお前をぶっ飛ばさなきゃいけないらしい」
「そ、そんな...ハヤトさん。それなら私なんて『見捨てて』...」
そんな見るからに痛々しい隼人にフェリルは悲痛な提案をするが―――
「んなバカげたことするわけねぇだろ。アホ」
―――隼人は断固としてそれを切り捨てた。
「いいか?そこの盗賊もフェリルもよく聞いとけ。俺はどんなに追い詰められた状況からスタートしようが絶対に逃げ切ってみせる」
隼人は自分の胸を親指で突きながら―――
「『逃げる側』が百人だろうと、『追いかける側』が千人だろうと変わらねぇ。腕が切り付けられる回数が増えたって、体調崩す確率が上がったって、最後に『逃げ切る』ことは変わらねぇよ」
―――まるで『勇者』のように言い切った。本人にそんな気は一切無いのだろうが。
「馬鹿な事言ってんじゃねぇ!てめぇは血まみれにして牢屋に帰してやるぜ!」
「来いよ、怪我人に負けるってことがどれほど屈辱的なのか教えてやる」
ナイフを持って突進してくる盗賊に対して、隼人は薄ら笑いを浮かべて構えるだけだった。
どこまでも不敵な笑みで。